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世にも美しいことば入門。

2005-04-23 18:43:34 | ◎読
小川洋子に誘引されたのだろうか。それとも数学に宿る神の技か。たしかに、『世にも美しい数学入門』で紹介されている定理や証明が美しいことは、藤原正彦先生の解説が巧みなためよくわかる。しかし、それ以上に美しいのが、先生と小川洋子のふたり、そして数学者たちが紡ぎだす「ことば」の数々だ。そこにあるのは、たんにbeautyというだけではなく、「整」「静」「正」といった要素が組み込まれたことばの使い方の美しさだ。

たとえば、以下のコメント。定理の美醜を定義してしまうところからして「整」なんだけど、「醜い定理」を発見して証明してしまった先生のコメントがまた「正」である。

小川●証明できるんですか。
藤原●できますよ。僕、発見してすぐ証明しましたから。それもネチネチとくだらない計算を続けると出てくるんですね。さっきの例のように、石を1,3,5,7と置いていくような、美しい証明じゃないんですよ。美しくないからすでに価値はない。
小川●でも、これを見つけたときには美しい気持ちにはなりませんでしたか。
藤原●そうですね。証明ができたときにはちょっとうれしかったですね。でも見るにしたがって、自分の排泄物をみるような、いやーな気分になってきましたね(笑)。


「フェルマー予想」を証明する鍵となる「谷山=志村予想」をわかりやすく説明するために用いた比喩は、まさにbeautyである。

藤原●楕円曲線とモジュラー形式というまったく無関係の世界が密接に、結ばれているという理論。たとえて言うなら、エベレストの頂上と富士山の頂上を結ぶ虹の架け橋があるという感じ。谷山先生が、「虹のかけ橋があるんじゃないかなあ」と言ったのを、志村先生が、「ほら、ここに虹のかけらがあるよ、あっちにもあるよ、こんな軌跡になるはずだよ」と、いろんな実例を挙げて、虹のかけ橋は確かにあり、こういう形でなければならないということを具体的に示したんです。……「フェルマー予想」を星にたとえると、それは谷山=志村の虹のかけ橋のすぐ隣りにあり、そこから腕を伸ばせば手に取れる位置にあるよと。

また、実体験とファクトからうと生まれでることばは、けっして大声で叫ばれるものではないが「静」と「正」の強さと美しさを生み出す。

藤原●(志村先生は)最初は谷山先生の予想は信じていなかったようなんです。でも、「谷山には不思議な能力がある。ときどき間違うけど、なぜか正しい方向に間違う」と評価していたんですよね。

藤原●そうそう。だけど、この世の中にはない幻の数、虚数です。これを初めて認めたのは16世紀のガルダノという人。二次方程式を解こうとすると、x2+1=0が出てきちゃう。そこで彼はおもしろいことを言っています。「虚数によって受ける精神的苦痛は忘れ、ただこれを導入せよ」

藤原●(ゴールドバッハの問題-6以上の偶数はすべて二つの素数の和で表せる-の証明について)1兆まで確かめられていても、証明ができていないと「だからなんなの?」となっちゃう。すべての数学者はゴールドバーグの問題は正しいと思っているんです。
小川●気配としては正しいですね。

小川●(ゲーテルの不完全性定理について)まさに悪魔的な…。

小川●(「ビュッフォン針の問題」を受けて)全然、円と関係ない問題にπが突然登場してくるということが、どうしても私には理解できないんです。二つに一つだけれども、1/2ではない。どこにどうして突然πが…。「どこからあなた来たんですか」と聞きたくなっちゃう。


「正しい方向に間違う」「虚数によって受ける精神的苦痛」「気配」「悪魔」「どこからあなた来たんですか」なんて、なかなか出てくる言葉ではない。

もちろん、これらはしっかりスタティックに証明できる数学という思考に起因するところが大きいのだろうが、対話者であるふたりの数学の美に対する確信、そして静・整・正への美意識に負うところも多いだろう。

学校の授業ではゆっくりと「観照するまでは通常至らない」数学の美について語り、物質主義・金銭至上主義を背景に実学と産学協同ばかりが叫ばれる世の中において「人間の知的活動の土台である国語と数学が著しく軽視されている」教育に憂う藤原先生のコメントは、強く、迫力すら感じさせる。とりわけ、あとがきに記された彼の想いは、判断がぶれぶれの日本において大切にしたい軸ではある。

これを受ける小川洋子は、友愛数・完全数をものにした『博士の愛した数式』はもとより、それ以前からも静謐でソリッドな美しいことばの使い手であった。たとえば、芥川賞受賞作である『妊娠カレンダー』を読めばわかるが、地の文のすべては「…た。」で留め置かれているにもかかわらず、それはけっして文体のリズムを飽きさせるものにはなっておらず、むしろ静かな、精錬ともいえる美しいリズムを刻んでいる(というか『博士の…』もそうですね。というかほどんどそうか)。小川洋子は、そもそも数学を語る人ではなかったのか、と錯覚してしまうほどである。

この本は、ちくまプリマー新書なので、例によって、娘に勧めなければならなないのだが、数学の根源的な面白さもさることながら、騒ぎ立てることのない「静かなことば」こそが美しく強いのだということをあわせて伝えたい。


むう。久しぶりに書くと、なんだかえらそーな書評みたいになっちまいますね。


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