考えるための道具箱

Thinking tool box

◎『ジグソーパズル専門店(仮)』<3>

2008-09-05 12:49:37 | ◎創
「えー、お取り込みのところ、たいへん申し訳ありませんが、乗車券を拝見させていただきます」

言った刹那、秋葉博司は、あ、またやっちゃった、と悔いた。「お取り込みのところ」なんて、なんて余計な言葉が口からでるのだ。しかも「えー」なんて溜めまでついて、これじゃあ、すげータイミングを計ってたみたいじゃん。いや、実際に計っていたのだが、そんなふうに策を弄するとき、だいたいにおいて秋葉博司は適切なコミュニケーション対応ができない。計っている間に、事態にもっとも適していると思われる台詞をあれこれ考えて、ああこれがベストだと思われるご名答に達し、その解を何度も復唱することで言葉が自分のものとなるまで完全に記憶してみるのだが、言い出す直前になると、せっかく覚えたキーワードが真っ白に弾け飛び、でももう口は半分くらい開いているものだがら、発語までのコンマ1秒の間に海馬をフル回転し続けるものの、重要なフレーズは発見できず、結局はまったく考えてもみなかったボキャブラリーが、だらりと口から漏れ落ちてしまう。もちろん、その言葉は最適解とは程遠く、そればかりではなくまったく真逆の効果をもたらすことも多く、ときに大いなる怒りと不信を招く。幸いなことに、車掌という要職について以来、そういったミステイクが暴力沙汰に発展したことはないが、初老に差し掛かった上司が、その慇懃無礼な態度により乗客の止所無い憤怒を買い、デッキ近くでボコられているのを見かけるにつけ、いつかはわが身と慄きつつ、そのオブセッションがさらなるストレスを生み、薄氷を踏む思いで言語生活を営んでいる。

今回だって、ほんとうは「お疲れのところ、たいへん……」と切り出そうと思っていたあげくがこの体たらくだ。しかし、「ああっ」とか「うー」なんて唸りながら泣き出す女と、鬼の形相で一心不乱にお菓子をぽりぽり食い続ける男のまぎれもない不倫のこじれの果てを目の当たりにしたとき、「お取り込み」以外のどんな言葉が最適解として選ばれるのだろう。そんなことを詮索した瞬間に、「お疲れのところ」という言葉が完全にスパークし、次に結晶化したときは、「お取り込みのところ」と変容していた。文脈の正しさが、空気の正しさ喰ったといえば、聞こえはよいが、リアルの世界ではなんのブックマークもいただけない。案の定、振り向きざまの女の顔はもの凄い渋面で、こちらサイドとしては、いっさい必要もないのに腰からわざわざ取り出したキャリングターミナルに目を落とすしか逃げ場はなく、落としたからといってなにも時計がぐるぐる回るわけもなく、よく言われるようにその一瞬が永遠に感じられる時を過ごすことになる。

長いインターバルを経てようやく彼女の手帳のようなもの中から引き出され手渡された特急券・乗車券は紛れもなくひとり分であり、ここで始めて、ふたりには男女の関係はまったくなかったことを思い知らされる。秋葉博司は、えーそうなのかよー、と気落ちすると同時に、またまたやっちゃった、と悔いた。つまり、ほんのわずか垣間見た材料だけを拠り所に、妄想を誇大に各方面に膨らまし、はたまた誰が言い出したのかも定かではない伝聞だけで、他人のキャラクターを揺ぎなく断定してしまう癖。まあ、このたびは、「わっ、二人きりでのトリップなんて!」とか直截的に発信したわけでないぶん、「やっちゃった」わけではないのだから、業は軽いといえば軽いのだけれど、事の発端のすべてがこの早合点にあるということを考えれば、絶大なるボーンヘッドであることは相違ない。さすがに「たいへん失礼をいたしました」といったような失言はなんとか寸でのところで食い止めたが、この一件に、今日の占いカウントダウンハイパーのように呪縛され、これから新大阪まで約2時間30分延々と続くのぞみ153号の全業務において立ち込める漆黒の雲の存在を垣間見た気がした。そして虚脱。落胆。阻喪。すわ、新横浜にて逐電。そんな目論見さえも頭をよぎる。

べつに女の客が「取り込んでなんかいません!」とか「不倫カップルなんて失敬な!」なんて激しているわけではないのだから、ほんとうは負のスパイラル回転をいますぐに止めるべきなのだが、そんなときに限って、乗客にボコられて苦渋をひん曲げてでも愛想を保とうとする上司の歪んだ笑みが頭をよぎり、しどろもどろになる必要なんてまったくないのに、しどろもどろになって女の検札を終え、しどろもどろに次の男の乗車券・特急券の提示を待つような、人生しどろもどろの旅を続けることになる。実際に、男の乗客が、いつまでも自分の乗車券・特急券を取り出すそぶりを見せない苛烈なしどろもどろ時間が続き、これをなんとか断ち切ろうと、再びナイスなトークを繰り出してしまう。「お食事中のところ、まことにお手数ですが、乗車券・特急券を……」なんて言っちゃえば、ぼりぼり食うこの貧しいお菓子がおれのお食事か?おれのディナーか?ってなもんで、結果的には礼節を欠いたことになってしまったこの慮りに、さすがに男の乗客は大きく反応する。はあん?といった威嚇的な雰囲気が場を覆いつくさんとするなか、それが救いとなるのかどうかはわからないが、いやむしろ新たなしどろもどろライフの幕開けとなる可能性の方が高そうではあるが、すでに検札を終えた前の席から、ひとまず場をブレイクするだけのインパクトのある手が差し伸べられた。

「人、座ってへんのに、なんでこんな下げるかなあ。なあ、おばちゃん」

#

『ジグソーパズル専門店(仮)』
『ジグソーパズル専門店(仮)』<2>

◎『ジグソーパズル専門店(仮)』  <2>

2008-02-21 00:52:09 | ◎創
「ちょっとは遠慮してくださいよ。もー」

みるからに、もさいおんなじようなおっちゃん1&2が、まるでQBBの中学生日記のように、もしくは加藤と志村のように、リクライニング縄張り争いを展開しているさまをみて、呆れが思わず口をついてでた。ふだんの藤森響子なら、いくらこれはだめやなあと思う意見があったとしても、まったくの他人に対してこんなふうに進言することなんてない。言えたとしても、「すみません。ふにゃふにゃ……」ていどのものなので、だから、予期に反して意識をつきやぶって、自動的にしっかりと意志のこめられた台詞が出始めたのには自分としてもおどろいたけど、そんなことだから「さいよ。もー」にいたっては、声が戦慄いていたし、頭の中がどっちかという白ではなく真っ赤になっていた。いやオレンジだったかも。

動物的な衝動を呼び出した原因は、もちろん現前に屹立する2つの背もたれにより、最後尾席の後ろの空きスペースにぜひ置いておきたいと予定していたキャリーバッグのための空間が矮小化してしまっていたことと、そしてもうひとつは、おっちゃん1の奥の席、つまり、せっかく20日以上も前からエクスプレス予約の席番リクエストで確保していた20番のE席への行く手を阻まれたことなのだが、どう考えてもそんなしょうもない理由で、意志ある無意識が作動するわけはないので、きっと真因ないしは心因は、やっぱあのことなんだろうなあ、と藤森響子は、いまや直立したリクライニングの間をすりぬけ、荷物と自分の居場所を確保したひとときに考えてみた。

「ちょっとよいかなあ」と気軽に呼ばれていった会議室で、そんなことまったく考えてもみなかった叱責。「考え方がおかしいんじゃないかな」なんて急に言われたら、誰だって総毛たつ。「昨日さあ、会議でさあ、得意先からの申し入れを説明したあと、おれがさあ、厳しい状況だけれどなんとか乗り切っていこう、みたいなことを言っただろ」と、厭なことを「あっ」と思い出させる緒言。「そしたら、君なんていった?」って詰問するけど、わたしが答えることを期待してないんだろうなあ、案の定「おれはそれ聞いた瞬間、ものすごく腹がたったよ。『もう、ウチの部署はダメですね』って。いったいどういうことなんだ?君何年目だ?あの場にいたほかのメンバーのことぜんぜん考えてないじゃないか。若いやつらもいるのに、チームでやってるってことなんてぜんぜん考えてないんじゃないのか。」と一気にきた。「それだけじゃない」って、まだ、あった?ああ、「この間だって、そうじゃないか。今回のチーム編成。」のことか。「なんてった?」ってもうヤなとこ突いてくるなあ、しかもヤな言い方で「『私は、上に村下さんなんていなくったって、ちゃんとやっていけます』って言ったよなあ。まるで小学生の子どもとおんなじじゃないか。そもそも、村下くんのことなんて思っているんだ。藤森さんなんかがいっさい気づきもしないようなところで、組織を支えて、いつもメンバーのキャリア設計とモチベーションを考えている優秀な男だよ。藤森さんが学ばなければならないのはそういう、子供じゃない村下のような心根じゃないか」と、仕事ぶりじゃなく「性格」の問題を、それも「比較」案で提示してきた。さすがに、まいった。これまで30年積み上げてきた自分というものを、性格のことなんか何ひとつわかっていない男にすっぱり斬られると、こたえる。へこむ。親や娘に申し訳がたたない。「なんかさあ、去年までうまい具合にヤマダ電機の受注がとれたからって、自分のことをデキる人間って思ってんのかもしれないけれど……」と、まだまだ続くな、と思ったとたんに、肉体的に気分が悪くなってきた。「それだけの人間は、おれの組織じゃ絶対に……」だんだん聞こえなくなってきた。そのあと、自分もなにか喋ったような気がするけれど、あんまり覚えていない。すみません出張の時間、といって切り上げさせてもらった、と思う。たぶん。

もちろん言い訳はある。正直なところ、苦境を乗り切っていこうったって、その具体的な乗り切り策のいっさいを精神的な鍛錬に委ねた無策をダメだと思ったし、ビジョンのない繁忙対策の一貫としての人事異動なんて、いくら立派な理由を並べたって、対処的な療法にしかすぎないってこと、それこそ小学生でもわかる。しかし、確かに言葉は足りなかったのもまた事実。「もう、ウチの部署は “いまのままこれまでと同じことをやっていては” ダメで “きっと、具体的な提案の手法とか、総合的な見地からプライシングなんかを変えていく必要がありま” すね」って言えればよかたんだし、「私は “ほんとのところは一人の上司に師事したいと思っているんです。もう、こんなふうに2、3ヶ月ごとに組織が変わって、上の人間と同時に方針も微妙に変わる状態には耐えられません。だから、そのことへの抗議もこめて、別に固有名詞である必要はまったくなかったのですが” 、上に村下さんなんていなくったって、ちゃんとやっていけます。 “と、いったまでです。そのあたりのことを、わかってください” 。」って言えれば事態は変わったかな。いや、たいして変わんなかっただろうな。「うーっ」なにも、出張直前のバタバタなところをわざわざつかまえていわなくったっていいじゃん、それこそあんたがメンバーのこと考えてないじゃん「ああっ」って思わず声が出た。親や娘に申し訳がたたない、と思い返したとたんに涙もにじんできた。おい、おっちゃん1、なんで、リッツなんかぽりぽり食ってんだよ、しかも水も飲まずに、と左傾したところに、なんともはやタイミングの悪い命令がくだった。
「えー、お取り込み中のところ、たいへん申し訳ありませんが、乗車券を拝見させていただきます」

◎『ジグソーパズル専門店(仮)』

2008-02-03 02:31:18 | ◎創
「こんな情けない話は、小学生のとき以来だ!」

憤怒した38才の志木宗吾は、品川駅のプラットフォームの喫煙コーナーのちょうど横あたりにある最新式のユニバーサルなデザインを施した自動販売機の商品取り出し口に向って、思い切り踵を落とした。なにかプラスチックの軸のようなものが折れる音。ところが事態はいっこうに変わらない。「いまどき、金を入れて商品が出てこない自動販売機なんて!」と、もうひと蹴りのための助走に入ったところ、そんな重大な局面などいっさいかまわず、食品卸会社勤続約22年の係長代理ふうの男が近寄ってきて、当該の自動販売機で、あったか系の飲料を求め、百二十円をほぼすべて十円玉で挿入した。志木宗吾は、「二の舞だ」と、ほくそ笑みながらそのおっさんに声をかけたが、事態は一変して、聞きなれた「ガン」という音ともに、『ジョージア カフェラッテ』が排出された。

聞きなれた音は、同時に志木宗吾の心象風景をあらわす音でもある。やはり、あったか系を選ぶべきだったのか……。本来の志木宗吾であれば、まず、ここで追加で小銭をいれて、別種の飲料で再トライする程度の知恵は持ち合わせている。詰まっている飲料に上から新たな荷重をかけて押し出すという算段だ。しかし、今回に限っては、追加で選びたい飲料がなかった。そもそもこの自動販売機には、格別に飲みたいと思える飲料はなく、でも新幹線のなかは乾燥するだろうから、しいて言えばという選択で「緑茶」を選んだくらいのもので、飲みたくないもので、すでに百二十円を失ったうえ、さらに「緑茶」以上に飲みたくない飲料に百二十円を投資するのは、まるでもう今日はダメなんじゃないかとうっすら気づいているパチスロにメダルを投入する感覚にも似て、志木宗吾のベットを躊躇させた。誰かれかまわず関係者を捕まえて、販売機の前面をあけてもらうとういう選択肢も、三分後に到着するとアナウンスされているのぞみ号の前ではまったく無力だ。なにもかもをあきらめた志木宗吾は「この百二十円を外国為替に投機したら勝てたかもしれないじゃないか、平成も二十年にもなろうとも言うのに、こんな情けない話は、昭和以来だ!」と、さっそく『ジョージア カフェラッテ』をぐいぐい飲みだしたおっさんに呪詛を浴びせながら、指定券に書かれた12号車20番D席の乗降口に向った。

12号車の後車側の乗降口では、合理的な整列乗車のためにひかれた青いラインに沿って、すでに賢そうなビジネスマンらしき二人が並んでいた。三番手についた志木宗吾のうしろにもほどなく拓殖大商学部三回生ふうの男子と、ディアゴスティーニ・ジャパンで「書店営業二年、一所懸命やってきました」ふうの女子が続いた。列車到着のアナウンスが、先の百二十円への逆上をかき消さんばかりに、いよいよ盛り上がり、のぞみ153号のヘッドライトが線路を照らしはじめた矢先、前に並ぶ賢そうなビジネスマンと志木宗吾の間から合理的な青いラインを踏み越えんばかりににじり寄ってくる灰色の影が見止められた。その影の主もどうやらビジネスマンらしいが、おそらく四十近いにもかかわらず髪がほのかに金色に輝いているところを見る限り、また「Mizuno」の灰色のフィールドコートを着ているあたり、「人は見た目が9割」的に言えば、仕事より少年野球のコーチが大事、と言わんばかりの男で、大方の予想どおり青いラインをなきものにしようとしているようだ。志木宗吾がさりげなく前につめれば、金髪コーチも敵愾心あらわに前につめる。志木宗吾がさりげなく視線を青いラインに落としてみても、金髪コーチは注意を喚起しない。そんな散漫な注意力で、よくも野球少年の指導が務まっているものだと思うが、きっと明日の練習の後のコーチ同志の飲み会のことで頭がいっぱいなのだろう。商店街のスナックのねーちゃん(32)とのデュエットのことなんかを考えているのかもしれない。列車が到着しドアーが開くと、案の定、コーチは、志木宗吾の前に具体的に露骨に割り込んできた。志木宗吾は比較的大きめのキャスター付スーツケースを携行しており、それを巧みに使うことで、コーチの蛮行をブロックすることもできたのだが、百二十円の件で気落ちしていたこともあり今回は思い限った。だいたい、こんなことは新幹線を利用するたびの茶飯事なので、いちいち激昂していたらきりがない。以前は、ラインではなく有刺鉄線にすればいいのにと過激に考えたこともあったが、そういった工事が運賃に跳ね返るんだったら本末転倒だと思い、JR東海への「拝啓 これだけ新幹線が発達しているにもかかわらず、まだホームでの整列の方法がわかっていない人が多すぎる。それはもはや人の問題ではなく、青いラインの問題である……」と書き出された提案の手紙をポストにいれる寸前に思いとどまった。

そんなことを思い出しながら、志木宗吾は、寛大な気持ちで、なぜなら俺は最後尾の席で最大限リクライニングできる裕福な立場にあるものだから、指定席にもかかわらず焦って横はいりする君のあまり意味のない暴挙を「許す!」よと、コーチを招きいれた。王様は臣民に寛容であれ、なんて口ずさみながら。情けは人のためならず、なんて口ずさみながら。そして、もうこれ以上の不遇はないだろうと安心しながら。
すべてを忘れようと20番のD席についたのもつかのま、コーチは19番のD、つまり志木宗吾の前に着席し、そればかりではなく困ったことに王様なみのリクライニング権を行使しはじめた。いくら志木宗吾が最大限リクライニングしたところで、コーチの席からからひどい圧迫を受けては、まったくリクライニングしている気分になれない。さすがにこれには参った。なにか垂訓をと、体を起こそうとしたそのとき、志木宗吾のものではない、苦言が聞こえた。

「ちょっとは遠慮してくださいよ。もー」