気づいている人は気づいていて、気づいていない人は何のことをいっているのかすらわからないと思うけれど、今日のワークショップの秀逸は3番。じつはものすごいことやっている。「WEBユーザビリティテスト」の対抗となる「WEBコンテンツテスト」のメソッド。これ公式的にアナウンスしておこう。
プレミアム・モルツ(缶)はね。つまみなしでは一缶飲みきれないたぐいのビールなんですよ。あ、生は別ね。
「ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリの混同は、ドゥルーズの中に政治的思想を読み取りたい論者たちの欲望を直に表現していることになる。」(『ドゥルーズの哲学原理』國分功一郎)
「自由間接話法の恒常的使用は、ドゥルーズが具体的事例を思考していないことの証拠ではなく、具体的事例を思考していることの証拠である。」(『ドゥルーズの哲学原理』國分功一郎)
なんの構造化も整理すら行われていない膨大な量の情報をナマのままぶっ込む物量戦を内省しない悪い慣習を改めさせる「技術」が必要。
「泥縄でも着地させる」というのは言ってみればブリコラージュのことです。
コーダクミなんとかという人の音楽会があったようでブルーラインが素敵な雰囲気になっている。
あんなおじさん(=おっさん)が件の音楽会に参加しあまつさえ記念品である大きな赤い布かばんまで購ってしまう動機を憑依して想像せよ。
すごいな。QUEENとPOLICEが入ってない RT @amass_jp: 米エンタメ雑誌Entertainment Weeklyが、エンタメ系のさまざまな「100 Best」を発表「歴代最高のアルバム TOP100」も発表しています amass.jp/24347
「とはいえ、明日も太陽が昇る保証などない。……にもかかわらず、或る時に我々がそう信じるという事態が起こる。認識とは、そのようにして、我々が見たこともないもの、触れたこともないものを肯定することである」(『ドゥルーズの哲学原理』國分功一郎)
「「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。自由な人間の姿を作ること、権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発すること……」(『ルクレティウスとミュラークル』ドゥルーズ)
「ドゥルーズが論述の対象となっている哲学者によって意図的に概念として使われていたわけではない言葉を概念化して提示している、ということだ。それはドゥルーズが次のように考ええいることを意味する―ヒュームはそうとは知らずに「事情」を概念化していたのだ、と。」『ドゥルーズの哲学原理』國分
もうお気づきだとは思いますが國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、無茶苦茶面白い、というか無茶苦茶わかりやすい。これでドゥルーズのことが少しは理解できるかもしれない。