阿部和重の『幼少の帝国』は、ある意味、プロ流の体もなしていてかなり楽しめた。高須クリニック院長、東映テレビとバンダイでライダーや戦隊の「CMD(キャラクターマーチャンダイジング)」に関わる人たちへのインタビューなどが「成熟拒否」をテーマに絞ったこともありシャープになっている。
もっとも、そこは阿部和重なので、「成熟を拒否する日本(人)」という紋切り型をいかに読み替えていくか、という作業がなされていて、それは、「成熟拒否=アンチエイジング、小型化、省エネ化、終わりなき青春」などと位相をかえることで、いくぶんは成功している。
意味はまったくなく、重要でもなんでもないガジェットだけれど、人間を構成しているものはそういったガジェットで、しかし、それらが集まることで得体のしれない、でも避けることのできない「なにか」の輪郭が見えてくる、という彼のスタイルは、ノンフィクションになっても変わらない。
もし、このノンフィクションから何かが、つまり小説が生まれる予断を感じたとしたら、それはまさに『アンダーグラウンド』ではないか。なに比べてんだ、と各方面からお叱りを受けるかもしれないが、これが阿部和重のマジなスタイルだ。
とかなんとか、うだうだ考える前に、読むべきはそれぞれのテーマに合わせて登場する幼少の帝国の識者たちのインタビューだ。たとえば、東映テレビ篠原氏。
「いきなり阿部さんの構成を叩き崩す話になってしまいますが、番組があり、人気が出たから、じゃあ、この商品を作ろうか、という流れは、ほとんど変わっていないんです。……阿部さんはベルトの商品化から番組を構想していると見ておられるでしょう?……最初に事実を言っておかなければならないのですが、あくまで番組内容ありき、は不変です。……でも、世間では、玩具主導という見方をされている人が多いようですね。大人げなく否定しても意味もないので種明かしをしませんが。」
どこまでがウソホントかわからないが、まあそういうことだ
制作/製作の裏話としてあげられている、以下のような言葉も見逃せない。
東映の篠原氏:「僕も含めた東映マーチャンダイジングチームの強みは、製作チームと完全連動していることなんです。一つの企業のなかで、営業チームと製作チームって、だいたい相反するでしょう。東映で言うと、製作チームが工場チームで、僕たちが営業チームですけれど、両者は一体になって動き、相乗効果を追求しています。」
バンダイの高橋氏:「子供たちをがっかりさせないことが一番大切です。」「はい。ただ玩具を売るためというより、正に「子供たちをがっかりさせないために」時間をとっているのです。……オダギリジョー、水嶋ヒロ、佐藤健という俳優にしても、子供たちだって、格好いいお兄さんが変身したほうがいいじゃない、というキャスティングなんです。お母さん、あるいは20代OLに受ける役者は誰々なのよ、という発想はありえません。」
そして、なにより、特定規模電気事業者(PPS)業務代行、電力卸取引などの電力マネージメント事業を中心とするエナリスの池田元英社長の日本のエネルギー政策(=日本の未来)に対する絶望と希望。この人の思考と思想の切れ味、何なんだろう。たとえば、「幼少の帝国」のテーマを真っ向から捉え、答えを出してしまった以下のような言葉。
「「幼少」というテーマを私なりに翻訳すれば、夢を見る能力ではないかと思うのです。その能力は他の国と比較すれば、長けているんじゃないでしょうか。夢を見る能力を保つ意味においては別に成熟しなくとも、幼少のままで結構と思っています。専門家である作家さんを前にして言うのは恥ずかしいですけれど、大切なのは想像力です。環境が厳しいからこそ、工夫や夢が生まれてきます。」
もちろん、エネルギー政策についての切れ味も見逃せない。
「エネルギーの需給データの分析はどんどん手軽になってゆきますから、すべてが予定通りに動けば無駄は生じません。ただ、当然、スケジュールの変更は起きますし、そこで新たな歪みが生じます。歪みが生じるところに、必ずビジネスが成り立つんです。」
池田:「本心をいえば、震災前、発送電分離の議論は、あと10年か15年はかかるかと思っていたんです。ところが一気に縮まってしまったので、むしろ弊害がでているのではないでしょうか。」
阿部:「一気に変化が起こって議論もそれに引っ張られ、今まで少しずつ積み上げてきたものの上に、外野の意見があちこちから乗っかかってきて混乱している状況ですか。」
池田:「今や、もう本当に戦後状態です。時間軸が狂っている人と正常な人とで、議論がばらばらになるのは、いい傾向ではありません。」
さらに、なにげなく日本の未成熟にふれたり。
「スマートグリッドの大前提として、オープンなアクセスと情報がどうしても必要になるんです。そこで、インターネットがとても重要になってきます。ところが、なぜか、日本人は、インターネットが匿名だと考ええいる節があるんです。……Facebookに代表されるように、もう本当に実名で、私はどこのだれですと名乗ることを前提にした社会にしたら、日本人が本来保持していたコミュニティーを復活できるわけです」
「かつで、サングラスだけで顔を隠せた時代がありました。しかし、今は顔認識ですべて確認できてしまいます。技術的に、匿名でいようとすることは意味がないというリテラシーを学ぶ教育システムも必要でしょう。というより、普通に行動していれば、内面はともかく、ほとんどの情報が把握される世界が目前なのです。だから、常に、自分は公人であるという認識を社会の成員全員が持てばいいのです。」
意外とマイナーな人っぽいのだけれど、なんかすごい志がある。経緯はわからないが、すばらしいキャスティングだ。