そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月18日(金)K研究会

2016年03月18日 | 公開

 K研究会が「志満金」さんで開かれた。なんで私がこんなすごい会のメンバーになっているのか、今でもよく分からないところがあるが、元K庁調査官Y先生のご推薦なのであった。角筆研究の大家K先生の対面に座らせていただく。斜め前も総持寺大学のK先生で、いやはや、斯界の最高頭脳である。

 中学・高校の2年先輩で、現在京都大学教授のH先輩のことが話題になる。K先生の後輩ですな。H先輩の弟で家業を嗣いだアッちゃんとは、同級生なのだ。H先輩、京大の入試を受けに行き、試験日の前に吉川幸次郎の自宅を訪ね、このたび京大を受験するのでよろしくと挨拶したという武勇伝?は、高校生の時に教師から聞かされたが、K先生によれば有名な話で、都市伝説かもという噂もあるらしい。しかし、H先輩は、小学生にしてすでに著書を刊行したという方である。

 角筆のK先生から、新羅語の角筆資料についてのお話を興味深くうかがう。最近、仁和~宇多朝の文字の問題を考えていたから、大いに刺激を受けた。参加してよかった。

 大学へ行き、メールボックスを確認すると、拙論文が掲載された学内学会誌が投げ込まれている。久しぶりの論文である。あ~恥ずかしい。少し固め打ちしないと、アベレージがあがらないよなあ。

 メタセコイヤの下に落首を貼り付けたら、すぐに撤去された。無粋やなあ。

   根を断たれ 枝も切られて 鉢植ゑの ごとなり果てぬ メタセコイヤは (有若亡)


3月17日(木)演習登録ガイダンス

2016年03月17日 | 公開

 新2、3年生向けの演習登録のためのガイダンスが開かれた。前近代の演習クラスから始まり、まずT教授がいささかしつこい話をなされ、私があっさり話し、I 教授が怖い話をなさった。うわ~、こりゃ仕組むところがあるわな。

 配当作業を手伝いましょうか?と主任に申し上げておいたが、「レ・リーサ」へ行って配送をお願いした。お母様はいらっしゃらなかったけれども、「レ・リーサ」をお題に詠んだ一首を短冊にしたため、贈呈申し上げた次第。

  七重八重 花なる町に 母刀自は 笑顔あきなふ 焼き菓子の店 (有若亡)

 「レ・リーサ」は山吹町にあって、イタリア語で「笑顔」という意味なのだそうである。太田道灌知らない方には分からないかな?

 大学近くの交差点でK先生とばったり。NYからお帰りになったばかりだとか。そういえば、ウチの院生諸君も、アメリカへ行ったのがいる。


3月16日(水)栄光の日々

2016年03月16日 | 公開

 今宵のお稽古事は盛りだくさんだった。20:00過ぎに終わって、O社長はご出張中、同居人も帰りが遅いと分かっていたから、神楽坂の「十六公厘」の腸詰が無性に食いたくなって赴く。奥の席に賑やかな一段と、カウンターには外国人男性と日本人女性が1組、いちゃいちゃしている。

 おや、マスターはいらっしゃらない。席につくと、カウンター内の女性が、定休日なしの営業になったので、マスターにはお休みの日ができました・・・と説明してくださった。

 寒いので、麦焼酎のお湯割をお願いし、もちろん腸詰を生姜でいただく(何も言わないとニンニク添えが出てきます)。

 私の前に立つその女性から、突然、私は××学部の出身なんです・・・と話し掛けられた。おや、私は××学部の教務主任をしていましたよ・・・とお返事する。ええ、学部入学式の時、先生が出てきてお話されたことを覚えています・・・ですと。いやはや、どこにどなたがおいでか、分からんものである。あの学部入学式、悪戯して君が代を流しました。今のじゃなくて、フェントンの君が代を、役職者入場のBGMに流したのですが、誰も気付かなかったな。

 その××学部も、私が卒業した△△学部も、この3月で廃止になる。出身学部が無くなるのは、なんとなくさびしいものだ。その××学部は、とてもよかったとその女性がおっしゃったので、うれし涙が浮かびましたわ。沈没すべき学部を改革で延命させたみたいに、教授会で言われたこともあったからな。

 神楽坂あたりで飲んでいても、大学に関係した御仁にでくわすことが多いなあ。まあ、当たり前といえば当たり前ですが。

 ××学部教務担当教務主任、私の大学役職キャリアの中で、もっとも輝いていた2年間、栄光の日々と断じて過たない。

 

 

 


3月16日(水)高校教師時代の教え子君が

2016年03月16日 | 公開

 図書館から顔を出せと連絡が来たし、学部の某主任殿にお願いの儀もあり、夕方からはお稽古ごとの会場手配も必要なので、お昼過ぎに自宅を出ようとしたら、ちょうど姑殿が帰ってみえた。サンドウィッチを下さったので、トマトジュースとともにのみこんで昼食とする。

 図書館に出頭する。昨日T氏がみえて、寄贈の品々を届けてくださったよし。その際に、私宛への下されものも預けられているという仕儀で、受け取りに行ったのである。例によってお菓子を持参、そうしたら紅茶を淹れてくださった。いただいていると、博物館長殿が閲覧にお見えで、先日はご無礼いたしましたと、ご挨拶する。ダダイズムの資料を見に来られたよしで、新吉ですか?とお尋ねすれば、そうだとおっしゃる。早々に退散することにいたした。

 下されものは赤いナイロン風呂敷に包まれているが、「かはひとすぢ たえずながる(ゝ) ふるさとの たそがればかり さびしきはなし 」の一首が染め抜かれている。内藤策の歌、珍しいもののようだ。研究室に持ち帰って中味を開けると、す、すごい! 何じゃこれ~という資料が、整理されてファイルに納められている。原稿や、書翰、葉書なんぞもある。こんな資料、ほんとうに貰っていいんだろうか?と茫然としていると、ドアを叩く音が…。

 教え子のH君がにゅっと顔を出した。この御仁は、彼が16歳の高校生の時分、国語の教師をしていた私が教えたという関係なのだ。1階下の中国語関係の先生の研究室を訪ねたがご不在で、私のところに立ち寄ってみれば、在室していたという仕儀。まあ、お茶でもと、「Cafe GOTO」に誘う。41歳になったそうで、すると教えたのは25年前か。「羅生門」とか教えたらしい。するとコース主任のT教授が入っていらっしゃって、相席になった。いろいろ昔のことがお耳に入っても敵わんから、早々に退散することにする。いやはや、何と申したらよいやら。

 


3月15日(火)久しぶりの神田まつや

2016年03月15日 | 公開

 痛風の病院へ行く、検査数値について主治医のY先生、土俵際ですねと「大相撲」興行中らしいコメントをなされた。新宿駅まで地下道伝いに歩き、中央線に乗って御茶ノ水で乗り換え、秋葉原で降りて「神田まつや」へ。今日はなんだか、どうしても「まつや」!という気分だったのよ。

 おそらく一番年嵩の花番さんだと思う、暖かくなりましたなあ・・・と声を掛けて、トイレの横の席に案内される。ここは特等席なのであ~る。雲丹は無いとのことで、どうしましょう?と相談すれば、ゆばになさったら?とのお薦めに従った。お銚子に、蒲田の手前を出来次第にてお願いする。もう顔を覚えていただいているらしく、割り箸は付いて来ない。My箸持参100回くらいで10円値引きしてもらえるかなあ?と冗談を申せば、あ~ら蕎麦味噌くらいサーヴィスいたしますわよ・・・と、嬉しいことを言われた。ささっとたぐって、店を出る。お昼前だからね。

 それから延々歩いて、京都館へ。先日カードを忘れたので、スタンプを押してもらい、500円の商品券を頂戴する。任天堂のマリオ花札が教材用に欲しい気がしたけれど、また今度ということにした。東京駅の地下で日本酒を買って帰宅する。

  夕食は姑殿と二人。「鶴齢」を開けたが、やさし~いお酒でしたわ。


3月12日(土)好き嫌い

2016年03月12日 | 公開

  一週間を思い起こせば、いろいろなことがあった。ううむ、落ち着いて研究もできん。しかし、考えるとむかむかする御仁はT教授にT教授にT教授・・・、Tというイニシャルのヤロウばかりだ。もっとも、一番の悪人はS教授だろうがな。まあ、TとかSとか言っても、特定できまい。勤務先の大学全体で、私が唯一尊敬する現役教授(元ボス)も、T教授だし、もっとも仲のよい、専攻の時代についてはご同業の教授も、S教授だ。また3人で飲みたいな。T教授が学長になっていれば、おいらも図書館長くらいにはなれたかもしれんがな。

  大学の中で経てきたキャリアを思い起こせば、すべて「副」か「第二」が角書きに付いていることに、我ながら可笑しく思う。こりゃ、人生を象徴しているかも。学部卒業時の成績が2番だったことは、総代の控えにされたことで分かった。大学院の入学成績も、学費免除の奨学金が貰えるトップが教授の息子で(当時は教職員の子女は学費免除だった)、自動的?に私に振り替えられたから、これも2番だったことが分かった。そのトップは日本最大の大学の図書館長になったけれど、私は勤務先の図書館副館長で終わる(両者とも痛風で、同じ主治医にかかっているけどな)。・・・ハンモックナンバーといふことかしらん。次席の念とは、このことか?


3月12日(土)イタリア料理は・・・

2016年03月12日 | 公開

  昨夕、18:00に同居人が帰ってきたから、姑殿と三人で、近所にできたイタリア料理店に入ってみた。ずいぶん凝った料理をお出しになるが、結局客は我々だけで、これでやっていけるんかいな?と心配。たぶん、もう二度と行かない。BGMがダメだった。

  6月18日に、松江で講演することが決まる。去年も同じ催しで講演したが、なんでもものすごく評判がよく、聴衆も空前の入りだったとか。それで、連続してやってもらえないかとの打診を引き受けた次第。なにしろ1万円も貰えるでな。ただし宿泊は実家でできるから、大学も安上がりだろう。当方、老母のもとへタダで帰省できるメリットもある。今回は「研究の最前線」みたいなタイトルにした。一応、ある分野では、私だってトップクラスの研究者の一人という自負は、あるんであ~る。


3月11日(金)マイナンバーを送る

2016年03月11日 | 公開

  マイナンバーを知らせろと勤務先から指示があり、郵便局から簡易書留で送付する。これは、ひたすら、権力側に都合のよい監視制度である。監視されていることを、国民は常に意識せざるを得ないからだ。これこそが、パノプティコン(フーコー)というものに相違あるまい。いやな世の中になったものだ。

  日本も遠からず、ファッショ体制に移行せんとも限らないぞなもし。


3月11日(金)歯医者に行く

2016年03月11日 | 公開

  同居人が予約してくれた(はずな)ので、新宿の歯医者へ行く。通っている痛風の病院と同じフロアにあるのだ。受付に行くと、予約は聞いていないと言われる。ありゃりゃのりゃ。同居人に電話する間、受付嬢、お名前を聞き違えていました・・・ということで、事無きを得る。とれた被せ物を、セメントで固め直してもらった。

  日本橋高島屋の「大近江展」の案内はがきをもらったから、帰りに寄ってみる。酒蔵が何軒も出陳していた。淡水パールが素敵だった。ホワイトディも近いがな・・・と思わんでもなかったが・・・。

  同居人は勤務先大学で研究会、帰りはさほど遅くならないというので、近所に開店したイタリア料理店に行ってみようか、ということになった。床屋さんの近く。そのあたりは飲食店が固まっているのだが、新規に焼き鳥屋さんが開店し、現在改装中のお店も2軒ある。道を下った高架下には、松坂肉の焼肉屋が本日開店。その辺はちょっとしたフーゾク・エリアなんだがな。


3月11日(金)述懐

2016年03月11日 | 公開

  好きなものだけ食って、好きなことだけして…というか、嫌いなことはしないで、まあ、仕事など為すべきことは為して、小じんまりと生活して、72歳で、すうっと死んでいきたい。それまでは、気の合う研究仲間と一緒に、どこにも逃げていかない古いテクストをいじくりまわし、結局は850年前の人間も本質において現代人と変わらなかったんだ…などというつまらんことをしみじみ確認する。いざとなれば、人文学研究に、さほどの金は要らんし、かからんやり方はある。和物の人文学研究者で、ほんとうによかったと思うが、世の中の役には、ほんとうに立たないわな。定年退職目前に迫っての述懐であった。


3月11日(金)震災から5年

2016年03月11日 | 公開

  もう5年経ったのかとも、まだ5年しか経たないのか、とも思う。あの日、自宅に居たのは私一人で、同居人は電車に乗っていて最寄駅から3つめの駅に着いたところだった。姑殿は銀座においでで、愚娘は勤務先。同居人はものすごく時間をかけて隣の駅まで戻ってきて、私は車で迎えに行ったが、あの時、給油に寄ったスタンドで、ガソリンを20㍑でなく満タンにしておけばよかったと、後で幾度も思ったことだった。姑殿はその晩は都内知り合いの飲食店内で泊り、娘は勤務先が避難所に指定され、ターミナル駅からどんどん帰宅困難者が誘導されてきたため、炊き出しだ何だで当分帰れなくなったのだった。

  大きな出来ごとには、人生何度か遭遇したが、やはり鮮明に覚えているものだ。高校教師になり部活の夏合宿引率に出掛け、夕食のTVを観ていたら日航機墜落事故が起こった。集中講義のホテルの部屋に戻り、TVをつけたら、WTCに2機目の旅客機が突っ込む瞬間だった。あの時の自分と事件と…改めて思う。

  歯の被せ物がとれてしまった。同居人がお昼に歯科の予約をとってくれたので、直しに行くべし。


3月10日(木)担当理事閣下と再会

2016年03月10日 | 公開

  12:30から会議で、その前に腹ごしらえと「金城庵」でざるをたぐっていたら、昨日の高校卒業式におでましの学校法人担当理事閣下が入って来られた。やあやあと隣に座って、お話をする(ずいぶん褻なりな格好だ)。私が校長をやっていた時に考えていたアイデアが、徐々にそういう方向に向かいつつある。こう見えても、いささかの先見性は持ち合わせていたのだ!

  会議室へ開始時刻ぎりぎりで飛び込めば、弁当が用意されていた。うわ~、りんだもぢらなければよかった…と思ったが、後のまつり。それでも炭水化物、いっぱい摂取してやったぜ。会議も、予定より30分近く延長して、まいった。某教授の発言にカチンときて、喧嘩腰の発言をしてしまった。あああ、短気はいかんなあ…。

  走って研究室へ。14:30に、4月から修士課程に入学してくる女性と面談のお約束。既にドアの前でお待ちになっていた。科目履修についてひとわたり説明し、上級生を1人紹介することにした。


3月9日(水)高校の卒業式に参席

2016年03月09日 | 公開

  今日は、以前校長を務めていた高等学校の卒業式日であり、来賓として招待されたので、出掛けて行った。11:30までに来いということだが、新幹線は1時間に1本、あまり選択の余地はない。下車して改札に向かうと、祝辞を述べられる旧知の同窓会副会長殿とご一緒になった。そして改札を出れば、事務長殿が待っておられる。はて、私を出迎えるはずはないと訝しむと、案の定、学校法人の担当理事閣下が後からおいでになった。4人でタクシーに乗って、会場の市民会館へ。

  今年の卒業生は、校長として入学させた生徒たちである。320名定員の1学年で、319名の卒業生というのはぴったりだ。式はさくさくと進み、大勢の生徒が表彰されたが、囲碁の名人女子生徒は、マスクをかけていない素顔を初めて見ましたわい。送辞、答辞は前現の生徒会長が行うのが慣例で、ともに女子生徒だったけれども、いずれも「身の丈に合った」感というか、あきらかにすべて自分で考えて書いたに違いないけれども、すてきな内容の文章で、感服した。とくに答辞は、私はこの学校が第一志望では無く、他校を落ちて入学したけれども…という、まあ他の高校の卒業式の式辞では絶対に出てこないようなことも平気で述べられていたのがまた、好もしいといふもさらなり。そういえば、担当理事閣下の式辞(出だしの話が昨年とまったく同じだったので、ありゃと思ったが、途中から面白くなった)で、卒業にあたって不本意な人はいるか?との問いかけに、一人の男子がハイ!と元気よく返事をして起立したのも、すてきだった。いやはや、尋常な高校ではない。

  あいにくの雨が強くなった。14:00過ぎに式は終わって、17:00の祝賀会まで時間がある。現校長とお話をしながら時間を潰し、15:00になったから校長の奥さま運転の自家用車で会場ホテルまで送っていただく。控室が用意されていたから、そこでビールを飲み、私は日本酒まで頂戴してしまいました。現校長は、ずっと同じ高校教科書の編集を一緒にやってきた先輩である。専門も近く、校長は11世紀、私は12~13世紀を研究対象としている。最近、学校で持ち上がった問題を話題にしたが、私ならこうする…みたいなアドバイス?を、おおけなくも申し上げてしまった。大学院の後輩で、この学校の教諭をしている一両名についても、気になることがあるのだが、とかくこの世は生きにくいは、漱石ならずとも人生の実相であろうよ。

  卒業生の保護者の会主催の祝賀会は、にぎやかだった。このブログをお読みというご父母、何人も声をかけられたが、あやまちすな。吃驚したのは、米子ご出身の方があり、お話をしていたら、松江北高等学校の同期で現在参議院議員になっているS君の、なんと、いとことにあたるということだそうで、こんなご縁もあるんかいな!…と、狭い世界を痛感した次第。

  新幹線駅まで、ホテルのバスで送ってもらった。なにしろ1時間に1本である。そうしたら、いつも焼酎の緑茶割り缶とアテを買っていた売店のおばちゃんが、あ~ら先生!と声を掛けてくださり、うれしくなった。高校の敷地はこの新幹線駅に接しているが、駅に入ったらオフであると割り切り、生徒がいようがいまいが、酒を飲んでいた。相当変わった高校だったが、校長も変だったのである(いや、現校長はまともな方である。ちょっとウェットだけど…)。

  新幹線に乗って帰宅。自由席、幸いに座れて楽ちんだった。明日は大学で会議である。ちょっとやっかいな問題が待ちうけている。


3月8日(火)京都缶詰め二日目

2016年03月08日 | 公開

  9:00から缶詰めスタート。今日はKさんが合流、ご担当の吟味、最初から難渋する。

  お昼を1時間摂る。向かいの「菜根譚」で、全員一緒。さて、四条通のスタバまで行って飲み物をテイクアウトし、缶詰め再開。

  会場の会議室は17:00までなので、15ほど積み残しが出たが(私の分も3つ)、今回不参加の人の担当分と合わせて、なんとかぎりぎり20日に処理できそうである。

  19:05の新幹線の指定を取っているから、「八百三」へ行って柚味噌を買い、並びの「亀末廣」でお菓子を買ってお土産とした。そのまま地下鉄で京都駅へ移動し、伊勢丹地下で弁当とお酒を買って、指定を1時間早いのに変更して、ホームにのぼれば、缶詰めでご一緒だったAさんとKさんが。隣の車輛の指定席とのこと。いやはや、奇縁です。

  例のごとく新幹線内では、弁当食って酒を飲むと眠くなり、気が付けば新横浜だった。自宅最寄り駅にたどりついたのが21:05。いと、めやすけれ。同居人から電話があり、まだ高田馬場、同じ専門の方々と飲んでいたらしい。

  明日は校長を務めていた高校の卒業式で、来賓として出席の返事をした。お祝いの包みを作る。明日もまた新幹線である。