そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月7日(月)京都で缶詰一日目

2016年03月07日 | 公開

  朝食を摂りに行けば、おばさま方の大集団。な、なんじゃ、こりゃ?と思いつつ、仕上げにコーヒーを飲まんと欲すれど、コーヒーメーカーがぶっ壊れているらしい。即座に断念して切り上げ、「イノダコーヒー」の本店へ行って、濃いのを飲む。今日は長丁場になりそうだ。

  9:30から輪読研究会のスタート。私のほかは、隆信研究で知られるAさん、歌合判詞研究で知られるYさん、我が郷里にあるS大学准教授のNさん、それに、午後からはKさんも加わって、5人というメンツだ。明日は古筆切研究で知られるK氏合流の予定で、俊成研究などで知られるK女史は感冒にやられて欠席とあいなった。沖縄のK君、近江のHさんも、お仕事で残念ながら欠席。

  注釈の上中巻は既に刊行し、残りの下巻を今秋に出して完結させなければならない。10年かかった。黄金週間直後の入稿に向けての最終点検なのだ。輪読テクストは、とうてい個人では読み解けない難物なのだな。

  Yさんは4月から、母校R大学の専任教員に栄転される。心ばかりのお祝いの品をお渡しした。O先生の後任だが、O先生、完全に隠居モードで、困ったものだ。

  12:30になったが、全然進んでいない。1時間、昼食タイムと云うことになったから、私は寺町通りへ走り、御池を越えて北行、「ばんてら」で、卒業式の時に修士課程修了の諸君に差し上げるお祝いの品を購入した。で、南へ戻った辻角に立つ客引きのおにいさんと目が合い、「ローストビーフ丼 700円」というから、すぐできる?と確認し、「出石庵」の隣の地下のお店に入って、あっという間に平らげる。それから。六角通りまで戻って西行、「宮脇賈扇庵」で以前から欲しくてたまらなかった講談用張扇を購入、「ぎぼし」で松江の老母へ海老煎餅を送り、錦の「千波」でいつもの青実山椒を買う。

  13:30再開で、あとは延々20:00まで休みなし。頭がグズグズになってきた。宿に泊まる4人で、20:15に食事に出掛ける。柳馬場通りを北行、坂本龍馬の妻お龍の生家跡にあるおばんざいのあるお店で、とにかくうどんを啜って、少し飲んだ。食後は上島珈琲でダベる。いや、楽しいといふもさらなり。楽しいのみならず、しみじみ、あはれとも思ふことであつたわいな。


3月6日(日)子供短歌コンクール表彰式勤仕そして京都行き

2016年03月06日 | 公開

  さすがに研究発表、飲み会の翌日は疲れが残っているが、正午までに子供短歌コンクール表彰式のお手伝いのため虎ノ門へ行く。文科省の前のところを地上に出て、マッカーサー通りをクロスしてニッショーホールへ。簡単な練習の後、モーニングコートに着替えて待機。今回は開式すぐの出番だから、楽ちんでありました。

  新橋駅まで歩いて東京駅へ移動。オアゾの丸善で、Aさんが母校の教員に栄転されるお祝いと、新幹線の中で読む新書本を買い、切符を買って新幹線の乗る。もちろん、横浜崎陽軒のシウマイ590円也とビールも購入。

  18:00過ぎに京都着。伊勢丹の地下でお酒とお弁当を買って宿舎へ。チェックインし、部屋の中で飲み食いして済ます。明日から2日間、宿舎の会議室で注釈の缶詰なのである。


3月5日(土)研究発表をする

2016年03月05日 | 公開

  大学へ。来年度、ある業務の取り纏め役を仰せつかった。その関係の依頼方の雑務を行う。11:00過ぎに埒があいたので、今日は鰻重!と、「すゞ金」へと赴く。なにしろ午後、久しぶりに研究発表をせにゃならん。エネルギーを補給せねば。ところが、げげげのげの、大行列!

  それでもカウンターに座れたので、米の汁をいただく。まあ、お客が多くて後廻しになったが、鰻屋だから仕方がないよ。

  食い終わって、コーヒーも飲んじゃえと「Cafe GOTO」へ行く。ゴト―さんと馬鹿話をしていたら、西新宿は十二社通りの話題になった。私は学部学生から大学院生時代、結婚するまでの7年あまり、この通りの近くに下宿していた。そうしたらゴト―さんも、そのあたりのこと詳しいのなんのって…。よくタンメン食いに行った中華料理店があったんだよね…と言えば、「白龍」ですか?と即座に返事が返ってきた。うわ~、「白龍」知っているとは! 通いに通ったお店である。スペシャルタンメンを食っていたら、隣の席に汚い腕時計した男が座り、顔を見るとアルフィーの坂崎幸之助だったことがあった。このお店、今もあるのかしらん? 店主は亡くなられているはずで、当時はブルースリーみたいなおにいさんと2人で切り盛りしておられたが。

  14:00から研究会の委員会に出て、14:50頃から1本目の発表が始まる。Nさんの発表は源氏物語に関係するもので、聴いているうちに、なんだか辻褄の合わないような気がしてきたら、N君やYさんがかなり厳しい質問というか、指摘をし始める。Yさんは、話が長いなあ。たまらず指導教授だったJ教授が、やや援護射撃的な発言をなさった。さて、16:15から私めの発表とあいなる。

  がちがちの文献学的内容。マクラやツカミを工夫したつもりだが、来聴者が全然笑ってくださらないので、まいった。K先生には、資料がずいぶん多いんだねと言われるし…いつも大雑把な話をするわけでもない。ハンドアウトは60部用意したが、後で聞けば余ったのは5部だとかで、自分用は別にしたから、55名の聴衆とはまあまあの人数でござったよ。まあ、どんなに面白がってこのテーマを研究しているか、そこらあたりは伝わったかと思う。

  そのまま「かわうち」の懇親会へ。これはもう、どんちゃん騒ぎ。発表者のNさん、とっかえひっかえ色々な人に意見を言われていたが、これこそが内輪の研究会である。やはり話してみて、論は整理される、というところがありますな。

 

 

 


3月4日(金)土岐善麿

2016年03月04日 | 公開

  土岐善麿といえば、母校島根県立松江北高等学校校歌の作詞者である。三番が好きだったな。東京の大学に進学し、大学院に進んだ頃、善麿が逝去し、現在宮中歌会始の選者をなさっているN先輩と私に、ご葬儀の受付を務めるよう指導教授から下命を受けた。

  そんなこんなで、善麿には深い縁を感じていたのだが、このたび、またひょんなことから、善麿ご令孫と、勤務先大学図書館との間を仲介するような仕儀とあいなり、ご令孫から丁重なご挨拶とともに、善麿の書斎にあったという数冊を頂戴することにあいなった。

  包みを開けてみると、京極為兼関係の本があり、故井上宗雄先生が書き入れをして善麿に贈ったものと、善麿自身が修補用としていろいろ書き込んでいるものであった。井上先生は大学院時代の恩師であり、大学の専任教員となった当初、研究室が相部屋だった。いやはや、くすしきご縁と、いふもさらなり。


3月4日(金)内視鏡検査

2016年03月04日 | 公開

  9:00に胃カメラの予約をしたから、大学近くのクリニックへ。麻酔を含まされて、葛のつるみたいなのを口から突っ込まれる。見たくもないのに、画像を見ながら先生が説明してくださる。

  胃の中の炎症が、昨年よりだいぶひどくなっているようだ。食道も白っぽいわだかまりがあちこちに出来ていて、これは加齢によるものなのだそうだ。生検をしましょうと、2箇所採取される。

  まあ、ろくなことではない。生検の代金を払ったら、財布の中が空になった。

  研究室で雑用をする。隣の研究室の、イスラム研究のO先生は、大量本棚の設置作業を指図なさっていた。12:30に院生のA君到来、なかむかし文学会の大会発表資料を拝見した。もっと見やすく直しなはれとアドバイス。さて、うどんでも食いに行くかな。


3月3日(木)結局外出

2016年03月03日 | 公開

  終日自宅で仕事をしようと思っていたら、しまった! 研究室のPCに肝心のUSBを差し込んだまま、帰ってきちゃっていた。仕方が無いので、取りに行く。大学に行ったら、昼食どきになってしまったので、N坂をのぼって「高七」へ。2番目の客とあいなった。

  大将ご一家で山口・広島・島根・鳥取旅行をなさったので、いろいろ画像を見せていただいた。松江城もばっちり写っていたが、我が実家はそのすぐ脇である。レンタカー借りて、800㎞走ったのだとか。さて、本日は上定食、御飯にお付けは僅小で、米の汁もいただく。

  そろそろ、卒業式の時に卒論ゼミの学生諸君(今回は全員女子!)にさし上げる記念品や、研究会に出ていた学生への就職祝いを、調達しておかなければ…と、若松河田から大江戸線に乗って上野御徒町に移動、「2K540」に行った。大好きな「アグリトーキョー」を覗けば、いつもの女職人さんが店番をなさっていた。風俗画報シリーズ?はあまり増えていなかったけれど、14日に会うUWの博士候補生さんに差し上げるのにまあ好適なカードケースを見つくろっておく。そうそう、「被き物」をモチ―フとしたお財布が出ていたが、A師匠やエイトマン先生に好適に思いましたが、いかがでしょうか?

  「匠の箱」もまあ好きなお店の一つなんだけど、物色すれば、そうだ、江戸更紗のカードケースなら、名刺入れにもなるし、好きなの選んでもらえばいいか…と思い付いて、お店にあった10個全部まとめて大人買いに及ぶ。包まなくていいからねと申し上げると、店員さんもにこにこ。就職祝いの品も、江戸更紗の懐紙挟みにした。これに懐紙を入れ、菓子切りを添えて贈れば、ちょいと気がきいている。菓子切りは、来週京都へ行くついでに、目星があるから…そうしよう! これで懸案解決。

  そのまま帰宅して、居眠りをしていたら、18:00が過ぎ、夕食はどうなるの…という不安げなお顔の姑殿に起こされる。うわ~、すぐ作りますと御飯を早炊きにセットすれば、30分でできる。すみませんが、クレソン鍋にさせてくださいと、uegumoに出ていた八百屋さんでもとめておいた天然クレソンと豚の三枚肉、それにブナシメジを鍋キューブで仕立てることで、我慢していただいた。

  明日は9:00から内視鏡検査である。21:00から絶食に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


3月3日(木)雛は不在の雛祭り

2016年03月03日 | 公開

  過日、某先生、地位のある御仁が「国文学者は研究室で研究していてもらいましょう」と発言したというエピソードを披露して憤慨されていたが、私は、まあそういうこともあるよな…と思わんでもなかった。この話自体、同業者が裏でつるんで、競争相手の梯子を外したということであり、当時、私は絶対にそうだと確信していたもの。こういうのを、「政治力」と申しますな。

  結局、国文学、前近代の研究なんて金はかからんし、人手も要らない。図書館の近くに自宅があれば、だいたい事足りる学問である。まあ、調査や踏査に出掛ける必要はあるけれども、ふつう研究自体も国内で終始できる。

  国際的に発信したり、活躍しなければ学者じゃないみたいなことを言われる。平家に非ずんば、人に非ずだ。しかし、奢る平家も久しからず、とも申しますな。もう、いやなこと、できないことは、請け合わないことにする。世の片端で、「一隅を照らす」人生こそ、いとめやすけれ。

  過日提出した辞表は、組織トップのL先生に無事受理された。にこにこ笑いながら、残念ですとか言われたから、よほど私が邪魔だったのだろうよ。邪魔者は消せ。老兵は去り行くのみ。

     死に支度 早く始むに しくはなし しくものなくば 座布団を敷け (露不知)…座布団一枚?

  ああ、やっぱり第一志望だった國學院大学に進学しておればよかった! まあ、研究指導を担当した、変わった弟子?が一人、同大学の准教授になっておるから、もって瞑すべいよ。

 


3月2日(水)無駄遣い?

2016年03月02日 | 公開

  同居人は関西方面へ出張に出掛けた。夕方、お稽古事があって大学へ行く必要があるが、午後に自宅を出ればよいので、たらたらする。なかつよ文学会事務局から、春季大会での研究発表が採択された旨のメールが来る。発表資料はほぼ作り上げてあるが、T図書館とK出版社に、掲載許諾をとらなければならなと思うので、それぞれ電話した。T図書館では、担当者が休みなのでメールを寄こせと言われ、K出版社(娘が住んでいるマンションの隣にある)にはFAXを寄こせと言われる。

  まず神楽坂へ寄り、「瑞花」で葉ものを買ってから「jokogumo」を覗く。仙台ご出身の、スタッフのお姐さんが、おいでだった。面白いピンバッヂを衝動買いする。S太郎ちゃんは上gumoですよと言われたので、白銀公園に沿って歩いて行くと、水曜は八百屋が出ることになったそうだ。群馬のお野菜を販売されているとか。見ればな、なんとクレソンが! 沢で刈ってきましたとは、元手はタダかしらん。魅力的な野菜類が、安価である。こりゃいいわ。S太郎ちゃんはお母さんに抱かれて眠っていた。

  角を曲がって「うつわや釉」も覗く。娘が蕎麦鑑定士の試験に合格したので、蕎麦猪口でもと物色したが、適当なものは見当たらず、すっと細身の青磁の湯呑を1つ、衝動買いに及ぶ。

  さて、大学に到着し、文書を作ってK出版社へFAXを送り、T図書館へもメールを出した。K社からはすぐ返事が来て。許諾が貰えた。もものくわいの、来年度の会場手配もうまくいって、ガマン専任先生にご連絡する。

  18:00からお稽古事。18:00においでの予定のOさんがお見えにならず、やきもきする。お昼にお風呂場で転んで、骨折されたんだそうである。でも、ご無理ながらも到着され、なんとか話がついた。それで、3月6日の習礼をする。最後に冷泉家のビデオを観て終了。A師匠や学生さんも交えて、「北京」で夕食を摂った。A学部のS教授ご一行様がおいでになる。ママさんに聞くと、毎週来店されるよし。キャパの大きい、リーズナブルなお店だから、教授ご用達もむべなるかな。


3月1日(火)年度最後の定例教授会

2016年03月01日 | 公開

  12:15から教室会議、13:00から来年度担当する輪番基礎演習の打ち合わせ、14:00から年度最後の定例教授会である。退職される教授連のご挨拶があって、17:40に終了。我がコースからはN教授が定年退職される。このご挨拶を拝聴するのは、礼儀だと思う。それなりにちゃんとした格好をして(ネクタイは省略)、教授会に出た。

  本年度で定年退職されるのは、昭和20年生まれの教授連である。西洋史のO教授は勤続46年だとか。N教授は大学系属校の教師を2年なされたので、44年だそうである。また、選択定年で早くお罷めになる英文学のM教授は、一緒に助手をやった仲間である。当時の助手の中では、私が最年少だった。専任教員になった人が結構多い。そういう意味でも、そろそろ寿命?だな、との感慨を深くする。

  本当は18:00からなかつよ文学会の常任員会だったが、私は席を外すべき審議事項があったので欠席し、教授会後の教員懇親会、まあ年度の打ち上げに出た。2時間ほど飲み食いして、大いにしゃべって、帰宅する。同居人は明日から関西出張。帰ってきたら入れ変わりに、私が京都へ行くことになっている。

  キャンバスの曙杉は、見られぬ姿とあいなっている。

      会堂の 工事のために 枝剪らる メタセコイヤの 姿凄まじ (露不知)

  シュールな光景であるが、だんだん、何かしらの象徴に思えてきた。 

    見上ぐれば 裸の幹が 雲ひとつ 無き天空を 指さしてゐる  (露不知)


3月1日(火)2016年度の担当科目数

2016年03月01日 | 公開

  昨日、来年度の担当科目一覧が届いていたので、持って帰って確認する。春学期が10科目に、秋学期が9科目。もちろんオムニバスの担当というのや、重複するのもあるが、他学部の講義も春に1科目引き受けている。新入生向けの輪番科目も回ってきたから、こりゃ大変だわい。夏の集中講義は、例年の通り1校となった。

  たしか明日が成績発表日のはずだが、試験ができなかった…みたいなメールが来た。知らんがな。こういう点だけはだんだん、というかもともと、私は至極冷たい大学教授なのだ。あやまちすな。

  本日の予定。教室会議に、輪番科目の説明会があって、教授会。その後、年度の打ち上げ懇親会で、これは実質、退職の先生方を囲む会となる。なかつよ文学会の委員会が入っていたのだけれど、私は出席しない方がよいような事情が生じたので、全面委任ということで連絡した。