そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月13日(土)松江で講演をする

2015年06月13日 | 公開

   大学の校友会企画イヴェントのため、羽田から出雲空港へ。60分喋ったら1万円ギャラをくれるというので、ほいほい引き受けた次第。大学で取ってくれた座席は豪華Jクラス。こんなよい席に座れるのは一生に一度だけだな(タダの教授はエコノミーと厳しく決められておる)、と思っていたら、学長閣下が乗り込んできて、2つ前にお座りになったから、仕方なく立ち上がってご挨拶に行った。やあやあと握手されたが、ううむ、大学の学長って、政治家みたいに握手する癖がついているのかな?と変な気がしたよ。

   出雲空港では、ささっと連絡バスに乗り込む。学長閣下がきょろきょろしておられるが、きっと出迎えの車に同乗させてくださろうとの暖かいご配慮ならむと有り難く思ったものの、偉い人と一緒にいるのは気がおけてご勘弁。そのまま「殿町一色庵」に駆け込めば、大将はご不在で、岡山からわざわざ講演を聴きにみえたKさん、Eさんが割子を召し上がっていた。勘定は私がということで、ささやかにおごらせていただきました。

   割子3枚を鶏卵付きでかき込んで、実家へ。「向月庵」へ注文の菓子を受け取りに行き、スーツに着替えて講演会場のホテルへ行く。

   一昨年はほとんど人が来なかったそうだが、さすが有若亡教授のご講演である、たくさんの聴衆がみえた、えへん。学長の講演は思ったとおり内容過多の自慢話で終始し、しかもおいらは話がうまいとご存じなものだから、なんだかつんのめった感じであった。出番が来たので、電子紙芝居を使って、時間ぴったりのお話をする。わ~い、1万円ゲット!

   引き継き校友会の総会に出て、その後は懇親会。県庁や地元新聞社にお勤めの方が多く、名刺交換が大変だった。学長は日帰りだそうで、最終の飛行機に間に合うよう退出されたから、後は身替わりだあ。東本町のクラブ新大橋北詰のバーと梯子して、実家に帰りつけば午前1時半。最後まで一緒にいた税理士君はげ~げ~嘔吐していたけど、大丈夫だったかな? バーのママは佐野史郎と南高同学年だったそうだが、私のスクールカラーのネクタイが欲しいとおっしゃるので、差し上げた。新大橋を見下ろす素敵なお店でありました。ボクの高校同期も伊勢宮でバーのママやっているのがいて、年賀状に乳首の出た写真なんぞを大学宛によこすから、まいっちゃうんだと申し上げたところ、あら、それは××のママだわとすぐ名前が出てきたのは、さすがに業界である。松江でバーやクラブ、居酒屋なんか行かない(実家があるから行く必要がない)からな。でも、久しぶりで楽しかったですわ。