そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月11日(木)卒論提出日

2014年12月11日 | 公開

  K教授に赤貝殻蒸しを差し上げるお約束で、「にほんばし島根館」へ仕入れに行く。いつ行っても中海産赤貝(サルボウ)は半額で売られている。正価で売られていることがあるのかいな?

  その後、大学へ。今日明日が卒論提出日である。17:00に「かわうち」集合で、卒論を出した学生、明日出すという学生が数名集まった。明日出すと行っても、製本の必要があるため、もう「じたばたしても仕方ないのである。

  提出者の1人(女子学生)にJ宗のお坊さんを紹介してと頼まれていたので、学期末の忙しい時節ながら、K法師にお出ましを乞うた。採点作業の後、駆け付けてくれる。この学生は出版社への就職が決まっているそうだが、社名を聞くと神楽坂にある、たしか「うつわや釉」のTさんのご主人が社長をなさっていたところじゃないかなあ。H君はUさんと話が盛り上がっていた。Uさんの友人の元芸能人に紹介してもらい、よい「お友達」になったとか。勝手にしなはれ。

  結構きわどい話も出たが、セクハラにならぬよう十二分に予防線の張った。最終学年ともなると学生も十分大人で、まあその割りにUさんは純朴なところも残っている。会社に入って芸を要求されたらどうしたらいいでしょう?と聞くので、トンコ節でも覚えて唱ったらどうだいとアドバイスしたが、こりゃ完全にセクハラ気味だ。

  Uさんは何でもかんでも、よいと思ったことはすぐメモしている。これはアルツハイマー気味の教授も見倣いたいもの。

  お店の隅ではA教授が静かに飲んでいらっしゃった。3時間ほどどんちゃん騒ぎして散会とする。ホノルルマラソンに参加するためハワイへ出発するという御仁もいて、なかなか活動的な学生諸君であったよ。

  


12月10日(水)離洛帖を観に行く

2014年12月10日 | 公開

  「うつわや釉」のNさんは、片口のよいものが入ると薦めてくださる。私が片口好きで、片口で薄茶を点てて喫したりする人物だということをよくご存じである。しかし、坪島土平作のよいものを先般こっそり手に入れたので、お薦めの岡本作礼作の絵唐津小片口は正直ピンと来なかった。しかし、そのうちお祝いの品を差し上げるべき御方が出来したので、思案の結果、この片口を確保しておこうと思いいたる。学位委員会の後、13:00過ぎにお店を訪ねると、Nさんがおいでになったから、お願いしておいた。

  昼食がまだである。そこでNさんに、これからお昼を食べたいのですが、お薦めのお店はありますか?とお尋ねしてみた。八百屋の「瑞花」を教えてくださったのもNさんなのである。先生、カレーを召し上がります?とおっしゃるので、うんうんと返事したら、「想いの木」というお店を教えてくださる。

  土壁に囲まれた狭い階段をあがったところにあるドアを開けると、ちょうどお帰りのお客があり、外でしばらく待つ。フロアは男女の店員が担当しておられるが、すばらしい接客ぶりであった。タンドリーチキンの付いたセットを、本日のカレーでお願いし、ランチビールも注文した。壁には書があしらわれている。

  辛さも選べて、少辛をお願いしたが、もっと辛くてもよかったと重う。独りの女性客が多い。

  さて、夕方の編集会議まで時間がある。どこで潰すか? 飯田橋からメトロに乗り、白金台まで行って、国宝離洛帖を観ることにした。美術館のお庭はもう紅葉も過ぎて、色がすっかりうつろっていた。

  畳にあがってお軸を見上げていると、左横に呈茶用の茶室があって、大勢席入りしていらっしゃる。お茶券は400円で、私もお願いすればよかった。

  帰りは高輪台へ出て、日本橋で乗り換え、末広町で降りた。「文行堂」を訪れ短冊を物色。下旬にUWのA先生に贈呈するお土産に好適なものは…と思案して、短冊に想いいたったというわけ。本当にぴったりのが1枚あった。どうかお楽しみに。

  上野からJRに乗って編集会議へ向かう。編集委員中の一番乗りだった。

 


12月10日(水)素白随筆

2014年12月10日 | 公開

  10:00から学位委員会なので、コートのポケットに岩本素白の随筆集の文庫本を突っ込んで家を出た。電車は始発に乗れたので座ることができた。素白の随筆は、時々無性に読み返したくなる。「守部と辮玉」という文章が一番好きである。

  電車の中で読んでいて、ふと、書店で付けてもらった紙のカヴァーの見返しのところを見ると、ボールペンでメモが記し付けてある。「2013 12/17 SSH」と年月日があり、「天翔けり山河越えて若きどちここに集へり大久保の山」と短歌が一首。これは一年前に、高校の校長をやっていて、国際シンポジウムのレセプションで披露するために、新幹線の中で詠んだ時のメモではないか。国際シンポジウムだから、第二句は「海山越えて」とすべきだったかな?と思う。

  この文庫本は2014年1月10日第一刷発行とあるが、たしか書店に並んだ途端に買った記憶がある。dog-ear (dog yearではない!)あちこちに…。しかし、この本は本当に心にくい。第二章の扉に、「川は、みな曲がりくねって流れている」とあるのは、まさに含蓄ある一句といふべいよ。川はみな曲がりくねつて流れゆく…いいよなあ。「Cafe GOTO」の、洗面所へ行く扉の右に掛かっている千曲川の絵を想い出した。

  さて、学位委員会ではまた、発言しまくってしまった。教務頭が回転し始めると止まらなくなり、けっきょく周囲から軽く見られることになるんだが、分かっちゃいるけど止められないんだよね、これが。


12月8日(月)月曜はしんどいなあ

2014年12月08日 | 公開

  朝いち演習は、少し先まで進めた。本当はN君の論文を紹介すべきだが、まあ、よいことにした。結局、DBの使い方、用例の集め方は、座学でいくらやってもダメだということである。

  昼食は「高七」に一番乗りする。日替わり定食の、御飯はごく少しにしていただいた。

  午後の学部講義は調子がよい。まさに専門中の専門の内容を講義するのだが、こういう体験は今までなかった。私は学統的には傍流の傍流で、別に主流になろうとの野心もないので、自分の主研究を学生に講義する機会は、今までなかなか得られなかった。今般は退職者の補充が得られない現状に鑑みてこのような仕儀とあいなってきたわけだが、考えようで、いたしかゆしと言えなくも無い。

  修士課程の演習は、通ふ千鳥さんがうまいこと突っ込み処をたくさん作ってくださったので、助かりました。一歩間違うとアカハラと言われかねないが、慎重に弄くっているうちに時間がきた。続く学生研究会は、2つ分発表してもらったので、20:00近くまでかかる。それにしても、俊成という人のコンテクストは何と申すべきか、長明無名抄に書いてある通りだと思う。

  4年生は卒論提出間際の時期であり、研究会幹事役のA君は勤務先の忘年会ということもあって、今晩は飲みに行くのはやめにして帰路につく。メトロのホームでK教授にお会いしたが、ゼミの後であらせらえrたのであろう。

  月曜はやっぱりしんどいですわ。


12月8日(月)総選挙真っ最中

2014年12月08日 | 公開

  朝いち演習があるので、7:00過ぎにJR最寄駅へ行けば、総選挙の日本共産党の候補者が駅頭に立っておいでだった。運動員が配布するビラを受け取ったものだから、候補者御自ら近づいて来て握手を求められた。仕方なく右手の手袋を外して握手してもらいましたわ。居住地の選挙区は県内ドン尻番号のマイナーなところで、自民党と民主党と共産党の候補が立っている。こうなると、棄権はしない信条を貫けば、投票先に選択の余地は全くなく、特段悩むこともありませんわい。大学教授という人種は基本的に、左翼ということになっているからなあ(本当かいな?)。

  もっとも、同居人は、ありゃまったくの浮動票である。投票所へ行って、ポスターの写真がいいかどうかで決めているとしか思えん。教員組合に加入している大学教授のくせに、いったい何を考えているんだか。不真面目といふもさらなり。しかし、投票は自由、秘密は厳守尊重されなければならない。


12月7日(日)古書展目録

2014年12月07日 | 公開

  昨日届いた古書展の目録を見ていたら、E博物館に好適な書簡の出物が目に付いた。こりゃ副館長殿にご注進いたすべいよ。同居人のほうが専門が近いから、あんたから連絡してよと依頼した後、自分でもメールを送った。よくまあこういうものを見付けるわね!と同居人に感心されたが、古書展目録を眺めれば自ずとそういうことになるんじゃないの?

  あっ!と思う写本も載っていた。ううむ、これは何類本だろう? 日曜なれど、お店に電話してみたところ、まだあるとのことで、図書館と相談したいと思いますが、個人で買うかもしれません、とにかくお願いしておきます…と手を打っておく。もともと修士論文で扱いたかったテクストの、江戸前期写となれば悪くはない。

  一応、文献学者の端くれということにしておるが、最近はさっぱり調査にも行けやしない。目も見えなくなってきたし、つらいことである。

  明日の講義のハンドアウトを作成し、早々にアップした。参考論文もPDF所在のURLを表示すればよいだけだから、ずいぶん楽ちんとなったものである。


12月7日(日)自決の方法

2014年12月07日 | 公開

  過日、ある方としたお話で、欧米では宗教的な歯止めがあるから、自死についてはブレーキがかかり、安楽死や尊厳死といった問題にも原理的な議論が起こるが、日本人の場合は死に対する一種の美学があるため、いったんその方向に触れ始めると際限がなくなる恐れがあるということだった。数日前、偶々NHKの「大岡越前2」の最終回を観たが、死を賭して尾張家へのり込む忠相の供をした与力・同心、駕籠者までもが白装束となって、一旦事あれば切り込んで死する覚悟を見せるシーンに、正直ちょっと感動してしまった。忠臣蔵の時節ということもあろうが、こういう心性は、日本人ならではということになるのか?

  ここのところ、アメリカやスイスでそうした事例が報道されたこともあって、尊厳死に注目が集まっているように思える。スイスの場合、法律で認められているそうだが、たしか医師や家族の前で毒薬を自らの意志で飲むという形だった。

  日本の場合はどうだろう? 光人社NF文庫を読み過ぎるせいか(私はほぼ全冊読んでいる)、手榴弾を1発ずつ配るというのが、やはりよい方法かもしれない。我等の父祖は先の大戦において、多くその方式で自決してきた。古来如何と考えると、入水自殺が日本的といえるかもしれない。周囲が危ないというなら、十分な施設で手榴弾自決と定めるなら、一定の抑止効果もあるかなと考えたが、それでもやっぱり××××万歳!ドカーンといく人も出て来るような気がせんでもない。私もそうなったら、ご迷惑をかけるくらいなら…と思考し、胸の上で安全子を外しそうな気がする。

 

 

 

 

 

 


12月6日(土)亡父の命日

2014年12月06日 | 公開

  亡父の命日である。おうた文学会は関西例会が行なわれる日だが、亡くなった時も神戸での例会に参加し、新幹線ホームでこのまま松江へ帰ろうかと迷い、結局東へ向かって帰宅したら訃報が届いていたという仕儀とあいなった。

  老母に電話すると、先に送った里芋や、手配した千枚漬は届いており、これからお膳を作ってお供えするとのことであった。

    朝食は同居人が作ったが、ナメコのお付けは沸騰させるし、粕漬けの魚は焦がしちゃうし、火にかけたまま洗面所へ行ったりするからだ。だいたい調理に愛情というか、真剣味というものが足りない。何怒ってんのよ?とふくれているが、朝から気分が悪い。

  本日は「もものくわい」と学内学会大会の掛け持ちで、9:00前に大学へ到着し案内掲示を貼りまくる。ガマン専任先生と交替で勉強会の講師を務め、来春の打ち合わせなどにも参加した。その間も中抜けして、午前中、おうたの研究発表だけ聴いて質問した。80年代に発表したら絶賛されただろうが、きょうびはもっと重点というか、どこにフォーカスするか、インパクトを置くか、考える必要があるなあとの感想を持つ。しかし、修士1年にしてこのレベルの、しっかりとした発表ができるというのは極めて立派で、筋のよい人だと感心した。そうそう、おうた文学大辞典書籍版が刊行されましたな。

  午後は研究発表2本と森朝男先生のご講演を聴く。最後の発表は茶道に関する作品の読解が述べられたので、さきほどまでガマン専任先生とご一緒だったと申し上げながら質問。発表者は茶道を知らず、また、現代の知識から読解してみせたが、近世のコンテクストでしっかり吟味しなければマズかろうて。私の大学院の担当科目をずっと受講してくれた人なので、いきおい教え子として厳しい言い方になった。

  総会は議長を務めた元助手W君の要領を得た進行で問題なく終わり、18:00から懇親会が行われた。昨日の発表者から、私にダメ出しされたけれど、2014はちゃんと「にせんじゅうよねん」と読んでます、19…は「いちきゅう…」と読むけど…と抗議?される。おいらのブログなんか読むなよなあ。(笑) まあ、これは主としてウチの研究室の院生諸君向けに書いているようなところがあるので、構わないけれど。助手をやっていた時に副手をしていたHさん(女性)も参加しておいでだった。司会者に、Hさんに喋らせなよと囁いたが、司会者氏が根回しに行くと断られたとか。根回しせずに急に指名すればいいのに。結局、懇親会では発表者以外、スピーチした女性は皆無とあいなったではないか。感心したのは、学部1年生が参加していて、森朝男先生と堂々とお話していることだった。いやはや、頼もしい。お酒飲んでないだろうね?と尋ねると、烏龍茶飲んでますとの返事で、結構、結構。大先輩からの苦言?も飛び出したり、まあ、全体としては実に盛会だったと思う。

  帰路、人身事故の影響で電車が止まってしまった。迂回乗車して自宅最寄り駅へ辿りついたら、案の定本線も遅延しつつ動き出していた。だいたいこういう目に遭うと、こうですわな。果物が食べたくなって、スーパーで金柑を買う。一緒に買った千葉産の落花生を、同居人がめっぽうかいに美味いとどんどんお召し上がりになる。まあ、朝の喧嘩の仲直りは、自然、落花生がとりもってくれたという形になりましたわい。


12月6日(土)ミ、ミシュランガイド!

2014年12月06日 | 公開

  隣の個人研究室のT教授によれば、「とん太」が昨日発売の「ミシュランガイド東京2015」に掲載されたのだとか。ビブグルマンというカテゴリーらしい。T教授が学生時代、バイトされていたお店である。

  しかし、これでますます混むんじゃないかな。ガイドの発売日に偶然、かきフライ定食食いに行って、よかったなよなぁ。

 


12月5日(金)学内学会大会初日

2014年12月05日 | 公開

  朝いち演習は発表担当の都合で1組のみの発表とあいなったので、案の定時間が余った。仕方がないので江戸時代の寺子屋では「小野篁歌字尽」というのがテキストに使われていまして、その見返しにこの小野道風と蛙の故事が絵画化され、載っているものがあるんですよ…と、そういうところから、三馬の「小野■(竹冠に愚。「ばかむら」と訓む)嘘字尽」を紹介、さらに小野篁の「無悪善」の故事まで脱線して、時間を潰した。「子子子子子子 子子子子子子」の訓み方を知っている学生が一人だけいたので、心強く思った(高校の教科書に載っていたかな?)。

  昼食はメトロに乗って「とん太」へ。カウンターの角の席に座れたので、かきフライ定食をとん汁でお願いする。「とん太」のかきフライは、要するに、牡蠣の選択が非常に正しいということなのである。大きからず小さからず、ここのところが実は、かきフライの急所なのだ。大学の偉い方がカウンターの一番奥の席においでになったので、会釈をした。「とん太」の手前、神田川にかかる橋のあたりに、いつも行列のできているお店があるが、料理写真を見ただけで、私のような老人は辟易してしまうがなあ…。

  さて午後は学内学会の大会初日、研究発表を3本聴く。聴衆が結構多かった。2本目の発表者は私の講義のTA君だったが、いまハンドアウトのどこを喋っているのか、きちんと示せばもっとよかったろう。3本目は語学系の発表で、分かるのは私だけよと同居人も聴きに来ておったが、そもそもこの研究をして何の意義があるのか、素人衆も大勢聴くこうした学会発表では、そういう説明も必要であろう。また、H・Lをエイチ・エルと訓むのはやめてほしい。聞きづらい。高・低と言うか、ハイ・ローとちゃんと英語にして言えばいいのに。それから、研究文献の年号を言う時に、××(2014)を「にいまるいちよん」と読むのもいかがなものか。「にせんじゅうよん」でいいのではないか。聴いている人にストレスを与えない配慮が足りないのである。大学院生諸君はよく心すべきである。

  評議員会に出る。出席者僅少で、この学会も先行きどうなるか?という感じだ。E学部のI教授が積極的に問題指摘をされたのがよかった。また、研究室の先輩Tさんが、名誉会員に推挙されていたのにはいささかショックを覚える。70歳以上が要件なので、さればTさん、古稀だったのかあ!

  同居人と一緒に帰宅。途中、神楽坂でイタリアワインを2本買い、過日「うつわや釉」の女ご主人のTさんに教えていただいたリサイクル着物屋さんに入ってみると、大島だが私にぴったりのがあったので、思わず購入してしまった! お茶のお稽古用としては紬はまずかろうが、未使用でこの値段となると、きょうび仕立て代以下である。持って帰って着物に目利きの姑殿に見ていただいたら、よい買い物をなさったと感嘆された。普段から少し、着物を着つけることにしようかなあ。


12月4日(木)N君と飲む

2014年12月04日 | 公開

  T教授から興味深いお話を聴いた。いやはや、もとより頭のよい方とは感服しておったが、最先端のトピックスへのアンテナの張り方がすごい! 私らのごとき数百年前の文化を研究しているものとは随分違うが、それでも話が繋がるところが面白かった。心づもりより早く用が済んだので、雨の中、ちょっと買い物に行く。へえ、ウルシの蜂蜜などというものがあるのかと驚いた。しかし、ちと高いかなあ。

  18:00からサイコロ・コースの学部生N君と飲むお約束で「かわうち」へ。ちょっと訳ありの御仁であり、前々から気になっていた学生である。3時間ほど話をしたが、まあ深く物事を考えているようだし、自己相対化もできている感じなので、大丈夫かなと思ったけれども、あくまでも素人目にそう映っただけなのかもしれない。気張らず、マイペースで生きて行ってください。

  しかし、「かわうち」の「手羽先餃子」は、学生が皆感銘を受けるみたいだ。


12月3日(水)御堂関白になる

2014年12月03日 | 公開

  A師匠のご指導で、忘年会の歌会のリハーサルみたいなことをする。「うつほ」の意味がどうも釈然としないが、作者の意図と享受者の読みがすれ違うのは、よくあることなんだけれど…。

  余興?の打ち合わせも。私はなんと、御堂関白役をやらされることに。原典ヴァージョンと、現代語訳ヴァージョンを交錯させるという面白い思い付き。しかし、現代語ヴァージョンはどう演じたものか。道長を森繁、実資を有島一郎でやろうかということに一応はなったけれども…。まあ、こういうのを、その場でアドリブでやっちゃうのが、大学教授というものなのだ、エヘン。

  終了後は飯も食わずに直帰。松江からアゴ製品が届いていたので、ボージョレヌーボーの残りおよびベーグルと一緒に食って、おしのぎとする。

  A師匠に、本日の有職故実のご講義の画像を見せていただいたが、武官束帯を着したモデルの女子学生があまりにかっこよくて、驚きももの木だった。これをきかっけに、前近代で卒論を書く学生がぜひ増えてほしいよ。


12月3日(水)神楽坂逍遥?

2014年12月03日 | 公開

  コーヒーを買いに神楽坂へ行く。「緑の豆」の新しい焙煎機はPC管理で、焙煎が終わって受け皿に落ちてくる豆は、ほどなく冷えてしまうようになっているらしい。まさしく焙煎ロボットという感じだ。コロンビアなんとやらを200gいただく。

  「うつわや釉」に立ち寄ったら、Nさんとご主人のTさんもいらっしゃった。塗物の大椀が入荷したばかりとのことで、見せていただく。とても素敵である。かけ蕎麦用としてはちと小ぶりだが、こういうので牡蠣蕎麦なんぞたぐったら言うこと無いわいなあ。

  そうだ、エスプレッソを飲もう!と「Cafe GOTO」上がる。混んでいたのでGOTOさんの目の前のカウンター席に座ると、二、三日前に新しいオーブンを入れたと自慢し始めた。リンナイ製とは、東京ガス扱いの製品だからだそうだが、今までのが自転車なら今度のはスクーターくらいの優れモノです…とは、何だかよく分からない。中に照明がつくのが画期的?なんだと。でも、デロンギ社の自慢してたじゃない?と尋ねると、あれはタタン用とのお返事である。タルトタタンについては、ものすごいこだわりがあるのがこのお店なのだ。だから、チーズケーキはたしかに定番だけれど、やっぱりタタンを頼まないと、GOTOではない。


12月3日(水)恫喝に聞こえるぞなもし

2014年12月03日 | 公開

  道路の掃き掃除をして、ゴミを出して、朝食は同居人がセットしておいたのを食べる。午前中は会議だが、9:00になったので慌てて家を飛び出す。駅の階段、エレベータも走ってあがって、会議室に飛び込んだのがまさしく10:00。自宅から大学まで、かっきり1時間かかることが分かる。

  会議内容はもちろんここには書けぬが、今日はひどく声を荒げる御仁もおいでで、臨席していてちょっと困った。まあ、揉めれば揉めるほど世の中よくなるとは、今は亡き我が指導教授の金言であるが、それにしても、その物言いはいかさま恫喝に聞こえるぞなもし。もともと徳の無い御仁であるからして、挙措進退に謙譲の心を示さなければ、到底お人を動かすことはできないぞよ。正義は吾にあり…はよかろうし、危機感を感じない者はアホだ!というのも分かる。だけどね…昨日までの権力者が、かさにかかってそんな態度をとっては、身も蓋もなかろうて。それに今は、権力者じゃないでしょ(権力者のつもりかも知れないが…乃公出でずんばの気概は分かりますぜ)。

  終了後、あんたが居るからうまく着地したみたいなことを私に言う人がいたが、まあ、どなたに対しても言いたいことは言える立場だとは思う。失うものは何も無い。しかし、この学部や大学を一体どうしたいか、そもそも議論なんかしたことないだろうが。ご存知の通り…で済ませてきたのが、今までではなかったか? 結句、大学なんてしょ~もない所だ、ということに落着する。こんな大学、滅びても仕方が無いんじゃありませんかい?

  …だから揉めるのは結構なことなのである。そういうことならむよ。

  在職証明が届いていたので、H先生の宿舎にお届けする。ビザ申請に必要な書類とのこと。郵便局で雑誌の購読会費を振り替え、蜜柑とナメコを買って生協のPCセンターへ回る。修理してもらったPCがまた不具合になって、再修理ができたと連絡があった。どうもこの機種とは相性が悪いようだ。窓口対応してくださった方に蜜柑を差し上げる。昼食は「AMA」でカレーを食う。

  コース室を覗けば通ふ千鳥さんがおいでで、金土の学内学会研究発表会のハンドアウトをセットしていらっしゃった。蜜柑を一つ差し上げる。通ふ千鳥さんPR誌への寄稿が大好評につき、いろいろな方から声を掛けられるのだそうである。