そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月2日(火)渡邊でしらす蕎麦

2014年12月02日 | 公開

  痛風の病院へ行く。尿酸値は7を超えており、コレステロールと血糖値も絶望的な数字である。足も浮腫んでいるし…。次回は正月休みが引っかかるので、薬が40日分出た。さて、飯は少し控えるかな。

  その前に同居人に頼まれた用で、新宿駅隣接のKデパートへ行く。1階婦人靴売り場へ赴き、同居人が夏頃購入しの靴の中に釘の先端みたいなのが出現?したのを、何とかしてもらってきてと命ぜられたのである。釘ならば単に抜けばよいと思うが、案の定、店員さんがあっちのほうに持って行って、暫くして、「抜きました」と持って来てくださった。お詫びに?ということで、靴用のスプレーみたいなものもいただく。

  で、昼食は「渡邊」へ。しらす蕎麦を注文する。このお店の花番さんは、蕎麦屋の花番さんとして実につきづきしい格好をしておられる。まことに好もしい限りだ。

  さて今日はもう帰るだけだが、またぞろ赤貝が欲しくなって、東京メトロを丸ノ内線、銀座線と乗り継いで三越前まで移動、「にほんばし島根館」に入ると、赤貝が山のように半額で売られていた。売り子のお姉さんとお話をしたが、お姉さんは佃煮にしたのだそうである。ううむ、赤貝はやっぱり殻蒸しにするのが一番だと思うがなあ。簡単で、いろいろ応用もきくし…。2袋購入する。

  姑殿は昨夜は検査入院されたのだが、帰宅したら同居人の姉上に付き添われて帰っておいでになっていた。義姉上に、すぐお帰りですか?とお尋ねすると、しばらくはおいでだそうで、赤貝調理しますからちょっと待っていてくださいと、大急ぎでシゴ(出雲弁で処理のこと)にかかる。貝をよく洗ってから、鍋に放り込んでつゆの素と味醂と水、それに生姜を入れ蓋を閉め、強火にかける。バーッと沸騰してきたら鍋ごとゆすり、貝の口が開いたら一丁上がり。身の入った殻のみを残して笊に入れ、さっと濯いだ後につゆと生姜を加えてざざっと混ぜる。これが私流。

  鍋ごと二階(我が家は二世帯住宅で、二階が姑殿の居住エリアなのだ)へ持って上がり、義姉上に好きなだけ持って行ってくださいと、ビニール袋をお渡しする。20分ほどで殻蒸し1㎏調理しちゃうんだから、吾輩も結構手早いと思うぞなもし。姑殿が、あっと驚くぐらいおたまですくって、袋にお詰めになったが、やはり実の娘は可愛いのであろうよ。

  杉並に住んでいる実妹のところに持って行ってやろうと考えていたが、またの機会ということにしようか。 


12月1日(月)はや師走にぞ入りにける

2014年12月01日 | 公開

  朝いち演習は、出席簿で出欠をとることにした。影印を読みながらどんどん当てて行くのである。クローズ・リーデイングをガチガチにやって、徹底的に鍛えることにした。本日から鬼のような授業とあいなる。

  11:00にウズベキスタンのH先生が研究室へお越しになる。お願いがあるとのことで、何ならむ?と身構えたが、ご両親が訪日される際のビザ申請の保証人?みたいなのになって欲しいとのご依頼であった。もちろんふたつ返事で快諾申し上げる。そんなことはメールでご連絡いただければ引き受けましたのに、ご丁重なことでござった。

  昼食は「たかはし」へ。もちろんお箸は持参である。中国文学のI教授と相席になった。古典学は貴族の学問だ!というご高説を承りながら、ぶりさし定食をいただく。書店に立ち寄って、『華麗なるナポレオン軍の軍服』という図鑑みたいな本を購入。実はこの原著は、高校生の時に上京した際、青山学院大学近くにあった洋書屋で買ったフランス語の本上下二冊であった。当時、フランス語は分からなかったから、四苦八苦して読んだ記憶がある。『解体新書』翻訳の苦労話みたいだった。いや、なつかしや。

  午後は3コマ立て続けで、4時限の学部講義は本当に本当の専門というか、修士論文で扱った内容を喋った。5時限の修士演習は欠席者が多かった。

  学生研究会は予備日にしてもらって、お茶のお稽古に行く。30分ほど遅参したが、そのままKさんのお稽古の客席に座らされた。Nさんの唐物を扱う点前を拝見してから、最後に私が薄茶の平点前を延々とさせられる。炉になって今期?初めてだったので、すっかり忘却しておったよ。茶巾の扱いに注意を受ける。それから、茶筅を入れる前に構える癖があるらしい。お師匠に、何流か?と言われたが、全く意識していなかった。

  終了後は皆さんでお稽古場の上のイタリアンへ。ずいぶん安いお店である。4月の席のお床は私が担当するらしいが、春のよい軸を持っていないので弱った。どうしたものか。中院通茂の詠草じゃあ軽すぎるだろう。弱ったなあ。Iさんに二条切は相場いくら位するんですか?としきりに尋ねられたが、凡慮の及ぶところに非ずである。