そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月12日(金)「舞姫」の自筆原稿、そして義士伝を聴く

2014年12月12日 | 公開

  今朝ほど作った「赤貝殻蒸し」をK教授におすそわけした。神楽坂下で待ち合わせる。大阪寿司のお店でご馳走していただき、こりゃ海老鯛ならぬ、赤貝で穴子だった! 蒸し寿司は、幼少の頃育った家の並びにお店があって、よく蒸したてを食べさせられたから、馴染んでいる。冬には美味しいものですなあ。なおK教授は、赤貝ご飯をお炊きになったらしい。

  さて、ABAJ国際稀覯本フェアの下見会の会場ホテルまで歩いて行く。エレベータで会場階へあがると、ちょうどキャンパス図書館のF課長殿がおいでだったので、一緒に展示会場へ。KOのI教授が学生さんをたくさん連れておいでだった。森鷗外自筆「舞姫」原稿46,440,000円也を触らせてもらった。個人的には二十巻本歌合の一巻、65,000,000円也が素晴らしいと思ったけれど、凡慮の及ぶところに非ず。新聞で話題になった漱石の子規宛書簡4,500,000円也もしっかり拝見した。

  会場に松野陽一先生が入って来られた。F課長が直接にお話ししたことはないと言うので、ご紹介申し上げる。世田谷禅宗大学のS教授も入って来られたので、なかつよ文学会機関誌への原稿を有り難うございましたと、学会事務局員として御礼申し上げた。

  18:00からは東京出雲学生会の第554回例会、義士会である。義士会というからには、12月14日が定例だが、今年は曜日の加減で2日前倒しとなった次第。神田すみれ師の義士伝講談、このたびは「赤垣源蔵 徳利の別れ」だった。私はこの会の幹事の一人なのだが、お酒の注文係をやらされる。先輩会員の面白い(しかし長い)話を聴かされた。

  来賓として島根県東京事務所の課長さんがお見えで、私の隣にお座りになったから、自虐カレンダーの「観光資源は神頼み」は実に秀逸ですね!と世辞を申し上げた。いよいよ干し柿のシーズンになったが、畑の干し柿に「八雲立つ出雲干し柿箱詰めにほし柿つるすその干し柿を」の一首を入れたらどうでしょうかと、その場で短冊にしたためた愚詠を差し上げた。お持ち帰りになったが、検討してくださらぬかなあ。

  参加した現役学生を誘って幹事連、Y新聞政治部記者氏らと二次会へ。現役の学生諸君の参会を得ることが難しく、いつも薄氷を踏む思いである。



12月12日(金)ぼてぼて茶碗

2014年12月12日 | 公開

  赤貝の殻蒸しを作った。松江では「からもす」とか言っておったっけ。少し薄めに味付けをする。朝食はホットドッグだったが、同居人が殻蒸しをどんどん召し上がったのは可笑しかった。やめられなくなるんだよね。

  通勤電車の中でまた素白の随筆を読む。素白岩本堅一先生がなつかしいのは、稲門の先輩ということもあるが、「ぼて茶碗」という文章に接してこのかた、そう思うようになった。これは松江の「ぼてぼて茶碗」について触れられたもので、松江人にはうち笑まるる内容である。

  花札演習は、十月札の発表を聴いた。抱き鹿角紋の紹介に関連して、鶴見に抱き茗荷紋の蕎麦屋があって美味いですよと言う受講学生がいたので、それは聞き捨てならぬ、教えなさいと尋ぬれば、「登茂吉」というお店だそうである。今度鶴見大学へ行く機会があったら、立ち寄ってみよう。