そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月7日(日)自決の方法

2014年12月07日 | 公開

  過日、ある方としたお話で、欧米では宗教的な歯止めがあるから、自死についてはブレーキがかかり、安楽死や尊厳死といった問題にも原理的な議論が起こるが、日本人の場合は死に対する一種の美学があるため、いったんその方向に触れ始めると際限がなくなる恐れがあるということだった。数日前、偶々NHKの「大岡越前2」の最終回を観たが、死を賭して尾張家へのり込む忠相の供をした与力・同心、駕籠者までもが白装束となって、一旦事あれば切り込んで死する覚悟を見せるシーンに、正直ちょっと感動してしまった。忠臣蔵の時節ということもあろうが、こういう心性は、日本人ならではということになるのか?

  ここのところ、アメリカやスイスでそうした事例が報道されたこともあって、尊厳死に注目が集まっているように思える。スイスの場合、法律で認められているそうだが、たしか医師や家族の前で毒薬を自らの意志で飲むという形だった。

  日本の場合はどうだろう? 光人社NF文庫を読み過ぎるせいか(私はほぼ全冊読んでいる)、手榴弾を1発ずつ配るというのが、やはりよい方法かもしれない。我等の父祖は先の大戦において、多くその方式で自決してきた。古来如何と考えると、入水自殺が日本的といえるかもしれない。周囲が危ないというなら、十分な施設で手榴弾自決と定めるなら、一定の抑止効果もあるかなと考えたが、それでもやっぱり××××万歳!ドカーンといく人も出て来るような気がせんでもない。私もそうなったら、ご迷惑をかけるくらいなら…と思考し、胸の上で安全子を外しそうな気がする。

 

 

 

 

 

 


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