一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?
ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。
奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。
これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。
これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。
特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。
今回は、青森県のキリスト祭りと埼玉県のジャランポン祭りです。
キリスト祭り(青森県三戸郡新郷村)
ゴルゴダの丘で磔にされたとされるキリストは、
実はキリストの弟イスキリで、本物のキリストは密かに日本に渡り、
106歳の天寿を全うしていた、という眉唾的な話があります。
そもそもの話の出所は、竹内文書と呼ばれる古文書にあります。
神代文字と呼ばれる象形文字のようなもので書かれた
竹内文書を解読した竹内巨麿は、1925年にこの地を訪れ、
キリストの墓を捜索し、ほどなく、文書にある通り、
新郷村でイエス・キリストの墓を発見しました。
さらに竹内文書には衝撃的なことが書き連ねられています。
イエスは21歳の時に初来日し、12年間神学について修行を重ね、
33歳の時にパレスチナに戻り、神の教えについて伝導を行ったが、
弟イスキリがゴルゴダの丘で身代わりに磔にされ、
処刑されたことを機に再来日し、ここ新郷で106歳の生涯を閉じたと言うのです。
エルサレムから青森県新郷村までは直線距離で約8900㎞です。
経由したであろうユーラシアの地には
イエス・キリストが立ち寄ったという記録は一切ありません。
弥生時代の中期、アラム語かヘブライ語しか解さない人物が
日本に到達するまでの道程は、聖者でもなければ不可能だと考えられています。
この伝説を持つ青森県新郷村の戸来地区には2つの十字架が残っています。
キリストの墓とされる「十来塚」が立つ戸来という地名は
ヘブライに由来するといわれ、この地に残る伝承歌ナニャドヤラは、
ヤハウェを讃えるヘブライ語の歌であるという説もあります。
新郷村の旧家に伝わる家紋は、
ユダヤのシンボル六芒星の「ダビデの星」と酷似しています。
不思議なことに、戸来小学校の校章には
ダビデの星と同じ形の籠目がデザインされています。
また、この地には子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて
墨で黒い十字架を書く風習もあります。
なんと、キリストの子孫が村役場の職員として勤務しているそうで、
2006年に海外の取材も受けたそうです。
ウソみたいな話ですが、信じる信じないは全てあなた次第です。
これらをふまえて、毎年6月の第1日曜日には
戸来地区のキリストの里公園でキリスト祭が行われます。
キリスト祭では、神道式の慰霊祭が行われ、
ニャドヤラの唄と踊りが奉納されています。
【交通アクセス】
電車:JR東日本「八戸」駅から車で約1時間。
車 :八戸自動車道「八戸IC」から約1時間。
ジャランポン祭り(諏訪神社:埼玉県秩父市久那)
埼玉県秩父市の下久那という地域では毎年3月に、
「ジャランポン祭り」という陽気な葬式祭りを開催しています。
ジャランポン祭りとは、諏訪神社春祭りの前夜祭、
生きている人を生き仏(死者)に見立て、
一般的な葬式と同じことをしながら飲めや歌えの大騒ぎをするそうです。
生き仏役の方は、白装束をまとい、額には三角の紙をつけ、棺桶に入ります。
何故か、生き仏役は一升瓶を抱え、坊さん役は黒染めの袈裟をまといます。
お付きの坊さんたちは唐草模様の風呂敷姿というのだから、
その設定だけでもおかしいのです。
葬式には引そん、大堤、大はつ、小はつを用い出棺の仏事を営みますが、
この楽器でキン・ドン・ジャランと七・五・三または四・二・三に奏します。
ジャランポンとはこのにょうばちのすり合わせて発する音を表現したものです。
生き仏役は毎年何人かの候補から選ばれるのですが、
基本的には地元地域の方が担当しているとのことです。
もっとも重要とされる、お坊さんの役は、
決まった方が担当しており、でたらめでいい加減な言葉、
その人の失敗談など、ユーモア溢れる読経に、周囲は大笑いです。
酔いも回って、毎年大盛り上がりだそうです。
開催時間は1時間程度で、葬式が終わると神社へ棺桶を運び、
真っ暗な境内で万歳三唱し、生き仏が蘇るところでクライマックスを迎えます。
その由来について古老の話によると
「いつ頃から始まったものかよくわからないが
昔村内に疫病が流行した時、病苦に喘ぐ人々を救うため
諏訪明神に人身御供を献じ悪疫を退散したころによる」そうです。
今では諏訪神社の春祭りに行っているのですが、
江戸末期までは近くにあった宗源寺の行事であり、
ここで葬式を行い諏訪神社に送ったのだそうです。
宗源寺は「新篇武蔵風土記槁」によれば「諏訪山と号す。
曹洞宗大宮郷広見寺の末、本尊弥陀開山天秀春盛
文禄二年十月廿三日寂す」とあります。
寺は明治維新の神仏分離によって廃寺となり
祭りも諏訪の社に移されてしまいました。
この祭りが疫病除けの行事であることは位牌に悪病退散居士と記してあることや
古老の語る伝承によっても容易に理解することができます。
ジャランポン祭りの由来は他にもあって、
その昔、城落ちした殿様が諏訪神社の隣にある宗源寺に、
命からがら逃げつき、村人にかくまわれながら生きながらえ、
その殿様の厄除け縁起祭りとして始まったのだとか、
はたまた、神社のお祭りで酔っぱらった村人が
ふざけて騒ぎ始めたのがきっかけだとか、諸説あるようです。
なにはともあれ、地域の大切な行事であり、基本的に非公開ですが、
近年ではブログなどで情報が公開されてしまうことから、
興味を持つ方が増え、大阪など遠方から来る人もいるそうです。
【交通アクセス】
電車:秩父鉄道「影森」駅下車、徒歩約30分。
いかがでしたか。
祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。
長年にわたって受け継がれてきた祭りには、
理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。
たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?