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日本の100名城!~近畿地方2~

2012年03月05日 | 海外旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回も、近畿地方(52番~55番)です。

 

52番 観音寺城

 

 観音寺城

 

観音寺城は、近江源氏の佐々木氏、後に近江国守護六角氏の居城で、

小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となりました。

支城に和田山城、佐生城、箕作城などがありました。

 

標高432.9m、南北に伸びる繖山の山上に築かれました。

南腹の斜面に曲輪を展開し、家臣や国人領主の屋敷を配しました。

総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされています。

天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていました。

周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都に至る東山道、

長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、

それらを管制できる要衝に位置していました。

 

[所在地]

滋賀県近江八幡市安土町

 

[交通アクセス]

鉄道:JR東海道本線「安土」駅から徒歩約40分で桑実寺、

   さらに徒歩約30分で観音寺城本丸跡地

車 :名神「八日市IC」から国道421号・国道8号を経由で

   観音寺城山林道有料道路

 

53番 二条城

 

 二条城

 

徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、

江戸幕府の始まりと終焉の場所でした。

 

京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、

織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがありますが、

現在見られるのは徳川氏によるものです。

 

城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、

22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、

二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。

さらに1994年にはユネスコの世界文化遺産に

「古都京都の文化財」として登録されています。

 

[所在地]

京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町

 

[交通アクセス]

鉄道:京都市営地下鉄東西線「二条城」駅下車、徒歩約3分。

 

54番 大阪城

 

 大阪城

 

大阪城は、通称「太閤さんのお城」とも呼ばれていますが、

元々は「金城」あるいは「錦城」などと呼ばれていました。

1959年の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、

徳川幕府によるものであることが分かっています。

 

大坂城は、上町台地の北端に位置します。

かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、

またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもありました。

戦国末期から安土桃山時代初期には石山本願寺がありましたが、

1580年に焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、

豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となりましたが、

大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。

徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数mの盛土をして縄張りを改めさせ

豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされます。

その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となりました。

姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられています。

 

現在は、昭和初期に復興された天守と櫓や門などが現存し、

城址は国の特別史跡に指定されています。

 

[所在地]

大阪府大阪市中央区大阪城

 

[交通アクセス]

鉄道:JR大阪環状線「大坂城公園」駅、またはJR東西線「大阪城北詰」駅、

   または大阪市営地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅、「谷町四丁目」駅、

   「大坂ビジネスパーク」駅、「森ノ宮」駅下車すぐ。

バス:大阪市営バス「大坂駅」「上本町六丁目」「あべの橋」から

   02号系統「大手前」もしくは「馬場町」下車。

船 :大坂水上バス「アクアライナー」(遊覧船)で大阪城港から。

 

55番 千早城

 

 千早城

 

千早城は、鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城です。

四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城です。

 

大和国五条と南河内国を結ぶ最短ルートとして、

昔から交通、軍事の要街であった千早街道から登り詰めた

金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城です。

城は、周囲が約4㎞で千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、

東は風呂谷があって、四方の殆どを深い谷に囲まれ、

城の背後のみが金剛山の山頂に連絡する要害の地です。

金剛山の山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、

比高は175mとなっています。

北条軍の大軍を引き受け、

楠木正成が奇策を用いて名高い攻城戦の舞台となったところです。

 

[所在地]

大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早

 

[交通アクセス]

鉄道:南海高野線または近鉄高野線「川内長野」駅から南海バス小澤線

   「金剛山ロープウェイ前」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

   近鉄高野線「富田林」駅から金剛バス千早線「千早ロープウェイ前」

   または「金剛登山口」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

車 :近畿自動車道「美原南IC」から国道309号経由大坂府道705号で。

   金剛登山口周辺に有料駐車場あり。

 

最近は雨が多いですね。

これも地球温暖化による異常気象の影響なんでしょうか?

暖かくなってきたのでジョギングでもしようと思っていた決意が

雨のお蔭で中止になってしまいました。

 

でも、確実に春は近づいています。

さあ、近くの野山に出かけましょう。



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