(亀田八幡宮)
亀田八幡宮
明治二年(1868)五月十七日、亀田八幡宮で降伏の誓約式が執り行われた。降伏の前夜、榎本は自刃しようとしたが、介錯を命じられた大塚靍之丞(彰義隊改役)に押しとどめられ、翻意して余兵の助命を乞うて総督府に嘆願することにした。このとき大塚は短刀に触れて指三本を失っている。
東京に護送された榎本は在獄三年ののち明治五年(1872)、赦されて自由の身となった。明治二十年(1887)には子爵を授けられている。
亀田八幡宮の神與殿の前には、「箱館戦争降伏之地碑」が建てられている。
旧拝殿の弾痕
亀田八幡宮付近も激戦となった。拝殿の位置は、往時の場所から変わっているが、古い板材をそのまま使った拝殿には弾痕が残されている。
亀田八幡宮
明治二年(1868)五月十七日、亀田八幡宮で降伏の誓約式が執り行われた。降伏の前夜、榎本は自刃しようとしたが、介錯を命じられた大塚靍之丞(彰義隊改役)に押しとどめられ、翻意して余兵の助命を乞うて総督府に嘆願することにした。このとき大塚は短刀に触れて指三本を失っている。
東京に護送された榎本は在獄三年ののち明治五年(1872)、赦されて自由の身となった。明治二十年(1887)には子爵を授けられている。
亀田八幡宮の神與殿の前には、「箱館戦争降伏之地碑」が建てられている。
旧拝殿の弾痕
亀田八幡宮付近も激戦となった。拝殿の位置は、往時の場所から変わっているが、古い板材をそのまま使った拝殿には弾痕が残されている。
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