夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

短歌/長女Nを詠む

2009-05-25 06:52:12 | 創作(etude)
 ・昼夜(ひるよる)を取り違えたる吾子深夜我を起こさん相手をせよと

 ・ことばなく育ちておりぬ吾子三十路用あるときは腕を引きたり

 ・明け方に排泄我に知らせたり吾子の習慣(ならわし)十年になりぬ

 ・限りあるわがいのちをば如何にせん重きハンディの娘と暮らし

 ・両親(ふたおや)を頼りに吾子は三十路来て社会に託す道筋立てん

 ・歩みなき吾子腕(かいな)のみ動かして進みて行かん鍵盤目指して

 ・三歳(みとせ)なる吾子に教えし喜びは三十路の今に生きておるかな

短歌/5月

2009-05-25 06:01:11 | 創作(etude)

・畝はずれ野草となりぬアサツキの奔放に咲くを我は羨む

・たらち根を世話する兄は団塊の三食手料理メールにてあり

・日焼けせるわが面頚を人のいう農夫となりし我は笑むまま

・草ぐさもわが身を守る擬態せり野菜のそばに群れなし生きて

・新参の農夫となりぬわが爪は黒き縁取り取れぬままにて

短歌/追悼

2009-05-24 07:20:45 | 創作(etude)
 
 ・人生を流星のごと消え去りし汝の残しおる遺児逞しく

 ・水臭き汝の別れかたあまりにもまた会えるよと言わんばかりに

 ・喪主として挨拶に立ちとつとつと我来生も父の子であれ

 ・縁遠き友との邂逅通夜の席去り逝ける友の意思すら感ず

 ・逝く人に別れの言葉伝えたし会いにも行けぬ子の夕餉かな

Kさんの通夜

2009-05-24 07:18:31 | つれづれなるままに
 Kさんが急逝し、昨夜通夜に出かけた。かつての私が勤務した会社の、上司の義弟である。享年62歳。肺がんからの全身転移という。
 私が就職したのはその会社の立ち上げからで、31年前のこと。15年前に16年間勤務して退社し、別会社を立ち上げた。昨年息子さんと二人で彼の跡継ぎである次男さんと一緒に、ふらりと私の会社に会いに二回来てくれた。
 昨日の通夜で長男さんの喪主挨拶で、約3年前から余命1年といわれてきたことを知り、愕然となった。お別れに来てくれたのかと思えば、なんとも胸が痛くなる。
 まったく予期せぬ彼の死は、葬議場の祭壇に飾られた彼の明るく笑う遺影が語りかけているかのようだった。「よく来てくれた」そう語っているかのようである。
 通夜の最後は読経の僧侶の話である。「般若心経」の空即是色、色即是空などの解説であった。結論は「永遠なものはないので、一瞬一瞬充実した生き方が大切」ということなのだろうか。
 そのことばを引きずりながら昔の会社の仲間と4人で、彼を偲んで遅くまで飲んだ。
 

短歌/再会

2009-05-24 06:53:39 | 創作(etude)
 ・わが友と愉しく語れば時忘れ重き十字架引きて帰らん

 ・三歳のきみを抱きて童話読み今は三十路の君にその書が

 ・じじばばと呼ばれし仲間集まれば声のみ同じあの時のまま

 ・懐かしき友の名前を語り合う風雲の人憧れの人

 ・迷い道袋小路に佇みぬため息の先に朝顔咲いて

POEM / 山へ行こう

2009-05-22 18:52:31 | 創作(etude)
 山へ行こう
 おにぎりを持って
 初夏の山は
 若緑がいっぱい
 
 山へ行こう
 コーヒーを持って
 汗をかいたら
 一休み

 山へ行こう
 山菜を取りに
 味噌をつけて
 小川で食べよう

 山へ行こう
 計画もなく
 あそこの頂
 足の向くまま

 山へ行こう
 独り言を語りに
 誰もいない
 つづれ坂登って

 山へ行こう
 魚を釣りに
 えさは
 川虫

 山へ行こう
 こころフリーに
 スケッチブック
 色鉛筆で

 山へ行こう
 野生に会いに
 サルやカモシカ
 ウサギや狐

 山へ行こう
 おにぎり食べて
 ごろりと横に
 お昼寝もできる
 

童話/ねむちゃんの冒険(絵本作りのための構想)

2009-05-22 06:47:14 | 創作(etude)
1.ねむちゃんのこと
 ねむちゃんは6才の女の子です。生まれたときに脳にしょうがいがあって、言葉が話せませんし、一人で歩けません。

2.ねむちゃんの楽(たの)しみ 
 でもいつも車椅子(くるまいす)での散歩(さんぽ)が大好(だいす)き。ねむちゃんは虹(にじ)がかかると、消(き)えるまでにこにこながめています。それから庭先(にわさき)にやってくる鳥(とり)や、虫(むし)たちが好き。とくにチョウチョウやトンボが飛んでくると、いつもその動(うご)きをよく見ています。朝露(あさつゆ)がくもの巣(す)にかかって、くもの巣が銀色(ぎんいろ)にかがやくのを見るのも好きです。

3.ねむちゃんの家族(かぞく)
 ねむちゃんの家族は5人。お父さんはお百姓(ひゃくしょう)さん。お米(こめ)や野菜(やさい)をつくっています。お母さんは小さなパン屋(や)さん。だから朝がとっても早いのです。妹(いもうと)のまみちゃんは3才(さい)。近くの保育園に通(かよ)っています。そしておばあちゃんです。おばあちゃんはねむちゃんのお世話(せわ)をしてくれます。そうそう忘(わす)れていました。猫のゴンゾーが一匹(いっぴき)います。ゴンゾーはオスで、ねむちゃんよりも前にこの家(うち)にやって来て、もうおじいちゃんだそうです。ゴンゾーはいつも、ふらりとねむちゃんのいる縁側(えんがわ)にやって来て眠(ねむ)ります。ねむちゃんはゴンゾーのきもちよさそうにかくいびきが大好(だいす)きで、一緒(いっしょ)にまねをします。

4.ねむちゃんの病気(びょうき)
 ねむちゃんは生まれつきの※脳性麻痺(のうせいまひ)とてんかん発作(ほっさ)があり、薬(くすり)を飲(の)んでいます。月に二度ほど意識(いしき)を失(うしな)って、からだがかたくなります。発作の時間(じかん)はだいたい3分から5分くらいで、発作が終(お)えるとしばらくねむちゃんは疲(つかれ)れたように眠(ねむ)ってしまいます。いつ発作(ほっさ)がおきるのかは誰もわかりません。一年に一回大学病院(だいがくびょういん)に通院(つういん)して、先生の診察(しんさつ)と脳波検査(のうはけんさ)を受(う)けます。脳波検査はシロップを飲んでから行います。頭(あたま)に電極(でんきょく)という細(ほそ)い線(せん)がたくさん)ついた帽子(ぼうし)のようなものをかぶらされ、眠っているときと起(お)きているときの脳波(のうは)のようすを測(はか)ります。ねむちゃんはこの病院とこの検査が嫌(きら)いです。いつも時間が長くかかるし、眠らされるからです。起きた後もいつも眠気(ねむけ)が続(つづ)きぼんやりするようです。

5.ねむちゃんの冒険(ぼうけん)の国(くに)の入(い)り口(ぐち)
 ねむちゃんはてんかん発作がありますが、でも発作が起きているときには必ず夢を見ます。いつもキラキラとお星様(ほしさま)がまばた)いている夜(よる)だったり、お花畑(はなばたけ)の上を自由(じゆう)に飛(と)びまわる夢です。目がさめてからなんだかとても、その夢のような記憶(きおく)の中にいるのが好きです。
 ある日のことです。ねむちゃんが縁側(えんがわ)の日(ひ)なたから、お庭(にわ)をながめているとオニヤンマが飛んできました。一回お庭をつーっと一週(いっしゅう)すると、今度は縁側の前のねむちゃんの方を向いて浮いたままでとまりました。その時です。ねむちゃんのからだがとつぜんがくがくとしたかと思うと、頭からつっぷすように縁側に倒(たお)れました。発作です。でもだれも気づきません。

 空中(くうちゅう)に静止(せいし)したままでオニヤンマ(オオヤマトンボ)が、ねむちゃんに向(む)かってこういいました。

オニヤンマ「やあ、ねむちゃんこんにちは。だいじょうぶかい?苦(くる)しくないかい?」

ねむちゃん「あらオニヤンマさん。こんにちは。ええ、だいじょうぶみたい。」

オニヤンマ「どうだい、きょうは良い天気(てんき)だし、いっしょに遊(あそ)びに行(い)かないかい?」

ねむちゃん「どこかに連(つ)れて行ってくれるの?」

オニヤンマ「きょうは龍神ノ滝(りゅうじんのたき)へ行ってみようかと思(お
      も)っているんだよ。きれいなところだよ。」
 
ねむちゃん「へえ。行ってみたいなあ。でもわたし歩けないし、からだが大きい
      し、きっと無理(むり)よ。」

オニヤンマ「よし、それじゃ目(め)をつむってごらんなさい。そして3,2,1      って数(かぞ)えるんだいっしょにね。」

オニヤンマ「せーの。3,2,1」

ねむちゃん「せーの。3,2,1」

するとねむちゃんのからだが急(きゅう)に小(ちい)さくなって、オニヤンマの背中(せなか)に乗(の)ることができました。

オニヤンマ「ほーらすごいだろう」

ねむちゃん「ほーんとだ。おどろいたなあ・・・。」

オニヤンマ「それじゃあ、出発(しゅっぱつ)!」

オニヤンマの羽根(はね)がぶんぶんと音(おと)を立(た)てて回(まわ)り、すーっと大空高(おおぞらたかく)く舞(ま)い上(あ)がりました。思ったよりも風がなく、ねむちゃんはとってもきもちよく空から小さく見える町並(まちなみ)をながめていました。川(かわ)がせまってきます。川の水面(すいめん)ぎりぎりを飛んだかと思うと、今度(こんど)は林(はやし)の上(うえ)です。春(はる)の林(はやし)の上からは、やわらかな緑(みどり)や桜(さくら)のピンクがまざり合(あ)ってとってもきれいです。しばらくすると、龍神の滝に到着(とうちゃく)です。

オニヤンマ「さあ、ねむちゃんはこの場所(ばしょ)で少(すこ)し休(やす)んでいてね。ぼくはお食事(しょくじ)の時間(じかん)なんだ。」

 そういってオニヤンマは、滝(たき)のしぶきが舞(ま)い上(あ)がる川面(かわも)を行ったり来たりしはじめました。ねむちゃんはしばらく新鮮(しんせん)な空気(くうき)をおなかいっぱいに吸(す)いながら、滝のゴーゴーと音を上げながらしぶきを上げる川面を見ていました。お日様がそのしぶきにかかり始めると、そこにはいつもよりも近(ちか)い空間(くうかん)に虹(にじ)がかかりました。ねむちゃんは大喜(よろこ)びで、さっそく虹(にじ)の歌(うた)を歌いました。

 お空と大地(だいち)が手をつなぎ
 なかよしなかよしあそびます
 やさしい風が背(せ)を押(お)せば
 わたしの足どり軽(かる)くなる

 虹さん虹さんありがとう
 色とりどりの橋(はし)の上
 七(なな)つの光(ひかり)が結(むす)びます
 きょうはどこに行(い)けるかな

 その唄につられて二匹(にひき)のルリイトトンボが遊(あそ)びに来ました。

 ルリイトトンボ「やあ、ねむちゃん。ようこそ、龍神の滝へ・・・」

 ねむちゃん「あらこんにちは。ルリイトトンボさん。ここはとってもすてきな所
       ね。」

 牡ルリイトトンボ「ひとりぼっちでさびしくないかい?」

 牝ルリイトトンボ「いまの歌とってもすてきな歌声だったわ。」

 ねむちゃん「あら、ありがとう。ほめられちゃった・・・うれしいわ。でも私い
       つも一人で遊(あそ)ぶから、けっしてさびしくなんかないわ」

 ルリイトトンボ「それじゃ、ゆっくり楽しんでいってね」

 ねむちゃん「ありがとう、ルリイトトンボさん。私の庭にも遊びに来てね。」
  
  こうしてまたねむちゃんは、一人で川面をながめています。高い滝の上から水が滝壺(たきつぼ)に落ちる音と、その水が川の石にぶつかって流れるごーごーという音が、なんだかまたとてもたのしい唄になってねむちゃんには聞(き)こえはじめました。

 しばらくねむちゃんが一人歌(ひとりうた)を歌っていると、ようやくオニヤンマがもどって来ていいました。

 オニヤンマ「ねむちゃん、一人にしてごめんなさい。さびしかったねえ。さあまた背中に乗って、遊びながら帰りましょう。」

 そうしてねむちゃんはまたオニヤンマの背中に乗りました。

 オニヤンマ「出発進行!」
 ねむちゃん「出発進行!」

 ふわっと浮(う)いたかと思(おも)うと、静(しず)かに今度(こんど)は大空(おおぞら)に舞(ま)い上がりました。

 オニヤンマ「さあ今から滝壺めがけてジェットコースターだ!しっかりつかまっ
       ているんだよ!」

 そうオニヤンマがいうとふわりとからだが一瞬(いっしゅん)浮いたように思いましたが、やがてキラキラ光り輝(かがや)く七色(なないろ)の虹のアーチをくぐりぬけ、どんどん滝壺を目指して下降(かこう)しはじめました。
 ねむちゃんの髪(かみ)「はひゅーひゅーという音とともに後ろの方にひっぱられ、あまりにも強い風が目に当たり涙(なみだ)がたまりはじめました。そして滝壺に飛び込んでしまうかと思った瞬間(しゅんかん)、今度はまた上昇気流(じょうしょうきりゅう)に乗ってぎゅーんと大空高(おおぞらたか)く舞い上がるのでした。

 オニヤンマ「どうだい?こわかったかな?」

 ねむちゃん「ううん。風がとっても強くって、なんだか吹き飛ばされそうだった
       けどおもしろかったわ、とっても・・・。すんごいスリルだわ。」

 オニヤンマ「お母さんたちが心配するといけないから、そろそろ帰ろうね。」

 そういうと、先ほど来たコースをあっという間にたどって帰りました。すっかり茜色(あかね)に染まった空がとてもねむちゃんには美しくみえました。

 ねむちゃん「ありがとう。オニヤンマさん。とってもたのしかったわ。ありがと
       う。」

 オニヤンマ「今度またお花畑の花が咲くころ迎(むか)えに来るよ。それじゃまたね。」

 そう言い残してオニヤンマはどこかに飛んでいってしまいました。それからねむ
ちゃんは、またすーっと眠ってしまっていました。

お母さん「ねむちゃん、目がさめた?心配(しんぱい)したわ。気がついたら、ねむちゃんの意識がなかったから・・・。あーよかった。」

 ねむちゃんはいろんな体験をお母さんに話したかったのですが、やっぱりことばは出ませんでした。お空が夕焼(ゆうやけ)け空に変わって、まもなく夕方のご飯です。何もなかったように、ねむちゃんの一日が終えようとしています。きょうもねむちゃんはにこにことしながら、お父さんの帰りを待ちました。

 ねむちゃん「またトンボさんたち遊(あそ)びに来てくれるかなあ・・・。」

 お母さんの台所(だいどころ)で夕飯(ゆうはん)のしたくをするまな板(いた)の音と、おいしそうなにおいがねむちゃんのところまでただよってきました。

※脳性麻痺(のうせいまひ)とは、出生前や出生時、あるいは出生直後に脳に受けた外傷がもとで筋肉の制御ができなくなり、けいれんや麻痺、そのほかの神経障害が起こることです。

脳性麻痺は乳児1000人につき2〜4人の割合で起こりますが、早産児にはその10倍の確率で起こります。出生時体重が非常に少なかった乳児には特に多くみられます。

脳性麻痺は病気ではありません。筋肉の動きをつかさどる脳の部分(運動野)が受けた損傷が原因で起こる症状を総称してこのように呼びます。脳性麻痺の子供は、脳のほかの部分にも損傷がみられる場合があります。脳性麻痺の原因となる脳の損傷は、胎児期、出生時、出生後、乳児期の初期などに起こります。いったん受けた脳の損傷は、子供の症状が成長や成熟により変化することはあっても、それ以上悪化することはありません。子供が5歳を過ぎてから受けた脳の損傷は脳性麻痺とはみなしません。



「日本の頑張る社長」から(ご紹介)

2009-05-21 09:08:22 | 福祉について
たまたま新潟に帰郷している折に、テレビでこの会社が取り上げられ、胸を熱くしました。思わず書き留めた3つの言葉ですが、どうしても4つめが思い出せずに、インターネット検索をして、ヒットしました。
 「どうせ・・・できやしない」という思いがあるのと、「為せばなる」と思うのではこんなに差があるのだと思い知らされました。
 どうしたら目の前の人ができるようになるのだろうかという熱い思いと、創意工夫があれば必ずや道が開けるのだと思います。
 養護学校の先生があの時一度だけで断られ、諦めていたら現在はないのだと思います。何度も足を運び、障害者特性を理解していただくために「せめて実習を・・・」という要望に根負けした社長がそこには居ました。50年前のお話しです。


※ 以下の記事は、2008年11月03日「障害者に働く喜びを」のブログ「 日本の頑張る社長」から転載させていただきました。

 「日本理化学工業会長の大山泰弘(おおやまやすひろ)氏 。おもにチョークを製造する会社だそうですが、特筆するのは社員の約7割が知的障害者の方々ということ。働くことで、このなかの3つが満たされる。

 ・愛されること
 ・褒められること
 ・人の役に立つこと
 ・人に必要とされること」

大山会長が禅宗のお坊さんにたまたま聞いた言葉だそうです。
節目節目に、この言葉を思い出したいです。


【放送内容】

 不況にあえぐ中小企業にあって、社員の幸せを考えつづけている会社がある。神奈川県川崎市にある「日本理化学工業」だ。そこで働くのは知的障害者たち。この会社の従業員は74人のうち54人が知的障害者だ。しかも重度の人が半数以上を占めている。障害者の雇用を積極的に進める企業の中でも、草分け的な会社だ。

 日本理化学工業が知的障害者を雇用することになったのは昭和34年。養護学校の教師が卒業を控えた15歳の女子生徒の就職を頼みにきたことから始まった。「最初は同情からだった。しかし、彼らと共に働くうちに彼らから教わることの方が多かった」そう語るのが会長の大山泰弘(75歳)だ。最初は2週間だけの研修として2人の少女を受け入れた大山だが、一生懸命働く2人の姿に心を打たれ、次第に障害者を雇用するようになったという。
 人間の幸せとは「人にほめられる」「人の役に立つ」「人に必要とされる」こと。いずれも「働く」ことで得られる喜びだ。しかし養護学校卒業後に障害者施設に入ると「働く喜び」はなかなか得られない。働きたい気持ちがある障害者たちに道を開こうと、日本理化学工業は障害者雇用を続けている。
 
 日本理化学工業が作っているのは、主に学校で使われるチョーク。粉の飛びにくいチョークで国内シェア30%を占める。大山は、工場の生産ラインを障害者の動きやすいように工夫し、作業効率を高めるようにしている。
しかし、日本理化学工業を取り巻く環境は厳しい。少子化の影響、ホワイトボードやパソコンの普及でチョークの使用量が減っているのだ。そこで日本理化学工業では、クレヨンとチョークとマーカーの利点を組み合わせた“新しいチョーク”≪キットパス≫を開発。売り込みに奔走している。


 障害者雇用促進法の施行により、従業員56人以上の企業は1.8%の障害者を雇用することが義務付けられている。大企業を中心に障害者の雇用は年々増加しているものの、1.8%の障害者雇用率を達成している企業は4割程度と今なお現実は厳しい。


 大山会長のその「思い」にも深く感銘を受けましたが、同時に障害者の方々が嬉嬉として働いている姿に、「人が働くということ(働く意味)」について、あらためて考えさせられ、また熱く胸を打たれました。






めくるめく花々の日々

2009-05-20 07:23:15 | つれづれなるままに
 晴れたから良いといえないのは、風が強いからだ。黄砂が車を汚し、空はぼんやり霞んで見える。
 津軽では水田に水が入り、間もなく田植えの準備だ。水田に山々が美しく映り、カモたち水鳥が水田に不時着して泳いでいる。桐の紫の花が咲き、ブーゲンビリアやボタンの花、藤の花が咲き始めた。
 私は終日農作業で、顔も耳や首筋も真っ黒に日焼け。かろうじてめがねをかけているんで、顔だとわかるくらい。(これは冗談)
 昨日はジャガイモを追加して植えた。こんなに植えてどうするのかというくらいに、たくさんのキタアカリとメークインだ。わたしはジャガイモが大好きで、土をかぶせながらあれもうまいなこれもうまいなとイメージの世界。全部で400個の種芋を植えると、単純計算で2000個の芋がなる。その中の仮に1割が対象外としても、1800個の芋がなる計算。
 トマトも3種類で20本植えた。畑が広いので安心だと思っていたら、少し足りなくなってきた。残りの10本はブルーベリーの畑の近くに植えることにした。
 バジルとオクラが強風で茎が折れたり、痛めつけられてしまった。自然とのやりとりをしているなと感じる場面だ。「受容」という言葉があるとすれば、「拒絶」という字が頭に浮かんでくる。人生ではこの2文字がいつも交互にやってくる。 
 きょうは会議だらけの一日で、運営会議、理事会が夜。その合間に岩木の青少年安全推進会議の、小学校の登下校見守り日で自転車出動。
 きょうは風もなくあったかな一日になりそう。
 
 

POEM/ Muscular pain of one weak

2009-05-20 07:18:28 | 創作(etude)
最初の畑の一週間

 月曜日 草取りをした
 火曜日 一度目の肥料を撒いた
 水曜日 畑を鍬で起こした
 木曜日 野菜を植える場所を決めた
 金曜日 苗をそろえた
 土曜日 畝を作った
 日曜日 星を眺めた

 次の作業の一週間

 月曜日 豆を植え
 火曜日 芋を植えた
 水曜日 かぼちゃを植え
 木曜日 トウモロコシも植えた
 金曜日 ハーブを植え
 土曜日 トマトを植えた
 日曜日 葉物野菜を植えた

 それが私の一週間

 月曜日 風が吹いた
 火曜日 風が続いた
 水曜日 野菜が倒れた
 木曜日 野菜が死んだ
 金曜日 野菜を植えた
 土曜日 雨が降った
 日曜日 支柱を添えた

 それが次の一週間

 月曜日 野菜に虫がついた
 火曜日 野菜の虫を捕った
 水曜日 追肥を上げた
 木曜日 かんかん照りだ
 金曜日 土はからから
 土曜日 雲すら見えない
 日曜日 水をかけた

 それが次の一週間

 月曜日 草をとった
 火曜日 畑を耕し
 水曜日 雨が降った
 木曜日 雨が続いた
 金曜日 花が咲いた
 土曜日 花を選った
 日曜日 話しかけた

 それが次の一週間
 
 そこからが
 筋肉痛の始まりで
 腕も
 背中も
 お尻も
 足も
 痛みが残った
 それでも私は
 こころさわやか
 美味しく
 酒が胃の腑に落ちる

 夢見る農夫
 痛みの中で
 あの人に
 あの野菜を
 月夜の晩に
 届けてあげよう
 痛みではなく
 ときめき添えて
 苦悩ではなく
 夢を添えて