夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

皐月の終わり

2009-05-28 06:03:05 | つれづれなるままに
 郭公が鳴き、燕が飛びかい、田植えが終わろうとしている。若緑の苗の植えられた水田に、逆さ富士が映るこの美しき緑の季節である。そして五月が終わろうとしいている。新型インフルエンザは、なんとなく終焉に向かいつつあるのか。しかしだからと言って、地球上が安心できる時代ではないことは確かでもある。
 北朝鮮問題はまさしく、地球上の貧困問題である。いつの時代にも「必要悪」と呼ばれるものはあるのだろうか。現にイラクのフセイン大統領が米国の猜疑心によって倒されても、何にも問題は解決しないばかりか、混沌としてしまうのである。
 北朝鮮の核実験、ならびに度重なるミサイルの発射は、駄々っ子があめがほしいからと道端で地団太を踏んでいる様にも似て哀れだ。かつては同じ国家でありながら、二分されているこの南北問題は古くて新しい問題でもある。極めて政治的な構図なのだ。アメリカとロシアと、中国というこの3つの構図が、南北問題の極限問題を暗黙裡に示している。イラクのように北朝鮮を締め上げたら、結局そのつけは中国に波及すると言う。小国とはいえ、北からの難民が一挙に中国に流入したとき、その災厄を中国は警戒しているのかもしれない。
 麻生首相の口から「首都先制攻撃」などの発言が出ることに、自分は違和感を感じている。「戦争の放棄」を憲法でうたいながら、なぜこうした発言が出るのだろうか。日本の立場はあくまでも「恒久平和」であり、「戦争放棄」であり、「世界で唯一の被爆国」でもある。このこと抜きに日本の立場などないのではないだろうか。その子々孫々にわたる災禍、凄惨かつ阿鼻叫喚をもう一度明確に提示する必要があるのだ。それ以上の武器などありえないと私は思う。忘れないことだ。忘れてならないことなのだ。平和な暮らしを一挙に奪い、一人ひとりの人生を狂わせ、人々の大切な「生命」を奪ってきた「愚かなる戦争」は愚かなる大量殺人事件なのだ。どんなに抵抗しようとも、武器弾薬、ましてやまして広島・長崎の人々を前に、核爆弾など廃絶以外の何ものでもないのだ。私たちの地球なのだ。私たちの命なのだ。失えば返してはもらえない、かけがいのない命ばかりなのだから。
 

短歌/ミョウガタケ

2009-05-28 05:58:28 | 創作(etude)
 ・大地より天に向かいて胸を張るきみ緑なる詩人というか

 ・花なればもの忘れんと人の云う忘れたきことあまりに多し

 ・夏茗荷葉を高々に空に向け疲れませんかその格好で

 ・茗荷谷駅の名前で思い出すわがふる里の茗荷田楽

 ・食すればもの忘れんと伝え聞き忘れて欲しき人に送らん