夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

穏やかな一日

2008-04-07 07:01:39 | つれづれなるままに
 この数日は穏やかな春の空が広がっている。わけても昨日は風もなく、日差しも春そのものである。庭先には福寿草や椿が花を開き、チューリップの葉がぐんぐん育っているのが感じられる。
 飲んだくれコンサートの余韻を身体に残して朝帰りをして、車の冬タイヤを交換しようと思った。私の車は8人定員なのでタイヤも大きく重く、ボルトの数も1本多い5本である。それの交換を終えると、一冬の感謝を込めてタイヤを水洗いし日差しで乾燥させた。それを終えれば、勢いで車の洗車だ。お金さえ出せばタイヤ交換も洗車も簡単だが、今日の日差しは温かで水に触っても気持ちがいいのでおっくうでもなかった。
 滋賀に住む妹から、長男の結婚披露宴の案内状が届いていた。6月21日京都で開催するらしい。甥と会ったのは中学生くらいのころだろうか。みんな大人になっていく。親は年を加えていくばかりだ。少し遠いが、会えるうちに会っておこうと思っている。カミさんも一緒に行きたいというが、娘たち二人を誰かに託しての2日間以上の旅は経験がなく、難しい気がしている。
 

飲んだくれコンサート開催

2008-04-06 16:07:44 | つれづれなるままに
 「飲んだくれコンサート」を、昨夜久しぶりにあうんを会場に開催した。このコンサートは気の置けない仲間が集まって、好きな楽器を片手に歌う人は歌い、飲食をする人、会話する人など本当に自由な空間である。
 今回は飛び入りも含めて13人くらいが集まって、まずは食事準備から始まった。私と後援会役員のFさんは、昔から地元ではなじみの「虹のマート」という駅前市場に出かけた。今日のメインディッシュは「ちゃんちゃん焼き」で、銀鱒の野菜と白みその料理である。そのほか、焼きそばは横手市風の目玉焼きを焼きそばにのせて食べるもの。焼き肉もたっぷり準備してうまかった。しらとり農場からはジャガイモ・キタアカリを差し入れしてもらって、ジャガバターで焼いて食べた。やっぱりいける!
 デザートはパイナップルといちごである。午後6時30分には準備が完了して、乾杯!しらとり農場のオーナーは酔っぱらう前にと、最初にチェロを弾いた。オーナー夫人はピアノ演奏と相変わらず心にしみるような歌声。れもんずのOさんは相変わらず巧みなテクニックでのギター演奏で参加者の心を魅了した。えんえんとコンサートは続いて、馬車がカボチャに変わる寸前に後かたづけが終わり、みなさんそれぞれのコースに解散した。
 残ったOさんと、スタッフの2人、そして私で更に1時間歌い続け、お腹が空いたところでラーメンを鍋からすくって食べた。今度はあうんのウッドデッキ前のりんごの花びらが開く時期に、もう一度コンサートの計画をしようということになった。
 今回は花こそなかったが、Jさんの描いた、西堀公園のボートと桜の絵を飾って気分を盛り上げたのだった。たまっていたそれぞれの心の闇が晴れたような、さっぱどした気分の朝を迎えた。

躍動的な一日

2008-04-05 08:21:42 | つれづれなるままに
 春の職員の異動で、新任職員が混じっている。児童の日中一時支援事業はいよいよ佳境で、今週いっぱいで春休みが終わりとなる。来週から新学期だ。それだけに今がスタッフにとって一番の正念場といえるだろう。4月からリーダーとして2年目のMさんは、ますますその責任感がにじみ出て、目配りや指導助言が的を得ててきぱきと動いてくれている。しかし、あまりにも張り切りすぎて燃え尽き症候群にならなければよいのだが・・・。
 朝一番で後援会長のMさんからの電話。昨日依頼したK食品と連絡が付いたという。早速おからをいただきに行くことにする。通常は家畜の飼料などで有料で販売しているということだったが、話をしている内に福祉施設だからということで、ただでいただけることになった。JAの米の精米所で、籾殻と米ぬかを分けていただくことでお願いをし了承を得た。
 午後一番におからを150㎏トラックでいただきにあがった。Hさんはもともと私と同じ町会出身だったようで、「いつでもおからがなくなったらもらいに来るように・・・」言ってくださった。
 ブルーベリーのピートモスが来週中には入荷し、さらにその上に敷き詰めるチップもトラック10台分が搬入予定となった。後は、ブルーベリーの植栽前に穴掘りを終えれば、一気にこの一連の作業が始まる舞台ができあがりつつあった。
 ボカシづくり作業も、いよいよ本格化しそうである。軌道に乗せたいものである。

大切なタイミング

2008-04-05 06:57:35 | 創作(etude)
 「タイミング」はいつも大切
 あの時が重要な鍵を握っている
 あの時、まさにその時
 あなたが、ぼくが
 まさにそこにいなかったら
 何にも始まらなかったことだ
 
 地球が45億年前に
 兄弟星と共に太陽をめぐり
 ついにその時が来た
 兄弟星と地球が引き合う距離だったからこそ
 新たな星が誕生したのだ
 生命が生まれる環境を作ったのだ

 それと同じように
 僕ときみはたまたまか偶然か
 あの時間にあの年に
 その場所で出会った
 そしてそこから34年間の
 ぼくたちの物語が始まったのだ

 計画してできることではなく
 何かの力がそこには働いて
 二人の心が惹かれ合う
 いいことだったり
 よくないことだったり
 それは磁力となったのだ

 タイミングとは日本語で
 なんと訳しているのだろう
 好機とか契機(good timing)
 それとも一期一会
 そこには監督のいない
 ネバーエンディングストーリーの始まり

 タイミング
 その出会いの瞬間が大切
 一秒でも早くても遅くても
 もう場面が変わるしかない
 人はそれを縁という
 良縁だろうか無縁だろうか

 タンポポの花が咲き
 やがて野原に風が起こり
 タンポポの種が飛ぶ
 飛んだ種がどうなるのか
 それはまさに運次第
 運命とはよくいったもの

 運のいのち
 縁のいのち
 タイミングのいのち
 自然のいのち
 邂逅のいのち
 波動のいのち
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

  

行動を起こせば道が開く

2008-04-04 06:54:35 | つれづれなるままに
 朝から一日、人の情けを感じた一日だった。
 後援会長のMさんを訪問し、今の課題を相談をした。Mさんのお人柄は、いつも冗談が顔に出ていることだ。にこにこしながら私の話を聞いてくれる。そして話を聞くと直ぐに行動だ!「よしやるべ!」こうしてこれまで13年間、一緒に動いてくれたのはM後援会長だった。一つ目は新規事業所の目処について、旧JA支所は確保できそうなのかを確認。すると競争相手もなく、かなり順調に進んでいるらしい。向こうも福祉であれば文句なく譲りたいという確信を持っている様子。5月くらいには決着がつきそうとのことなので、いよいよ資金集めに入ることになりそう。
 そして、二つ目は有機肥料の原料を調達するために、豆腐製造業の会社から廃棄される「おから」と、JAの米ぬか、籾殻の確保を相談。M会長は早速手配を開始して、お昼にはすべてOKの電話をくれた。これでボカシの作業が継続的に行うことが可能となって、商品として販売できそうだ。
 「安全屋」のオープンをするためには、この有機肥料の「ボカシ」をまず完成させることから始まるのだ。すでに保護者の方が1袋5㎏300円で40袋分の12,000円分を予約してくれている。

 午後3時30分、先日訪問したブルーベリーおじさんに電話。ブルーベリーの土壌に欠かせない「ピートモス」の手配について教えを乞うと、直ぐ来いと云われて次長と一緒に出かけた。120本のブルーベリーの確保と、ピートモスの仕入れ方や、植樹方法などを伝授された。ブルーベリーおじさんは話し好きで、そしてなかなかのアイデアマンらしい。あうんのパン製造を聞くと青森県なんだから、りんごを使った商品開発をすべきだと熱く語った。
 62歳の彼は元は会社員で、家族もなく単身であり、今はブルーベリーが家族同然で頑張っているという。
 私は今月中に120本のブルーベリーの穴を掘って、植え付けを済ませたいと思う。
 残された課題は、ブルーベリーの表土部分に敷き詰めるチップの確保だけだ。ブルーベリーは酸性土を好むほか、適度の水分を保持する必要があるのだ。

 午後6時30分からは、初めての韓国語教室の見学。次長のSさんと一緒に参加した。これがまた、第1回目というのに、すでに本格的な会話練習。書くことも、聞くことも、話すことも初めてなのに、講師の先生はがんがん白板にハングルを書き、発音し、そして繰り返し参加者もそれにこたえている。何よりも進み方が早くて、わたしも次長も眼をぱちくりするばかりだ。終了後、親切なおばさんが、「もう少し我慢すれば、最初の基礎の所に戻るからもう少し辛抱だよ。CDがあるからダビングして使えばいいよ!買えば高いから・・・。」そういってくれたのが嬉しかった。1年間通えば、おばさんたちのように読字ができ、発音も可能となるのかと少し希望を感じていた。 
 代表のKさんから韓国語の講師先生は留学生で、皆ボランティアでやってくれていること。我々の毎回の会費は会場費を賄い、講師の先生が帰国するときにお餞別を渡すくらいであることを聞いた。1時間30分の講義はそういう意味では、彼らの善意で成り立っているのだと思うと、少しでもその心に触れたいと思った。教室の準備や、後片づけもみんなで協力してわいわいとやる。新たな出会いもここからなのだと、次回からが楽しみとなった。
 帰りの道すがら次長と、「仕事と全くかけ離れた世界に触れると、なんだかそれも新鮮でリフレッシュするね。」と話していた。

次女の通院

2008-04-03 06:22:23 | つれづれなるままに
 次女の左顔面が腫脹し、昨日はあうんを休んだ。カミさんが次女と一緒に国立病院の歯科医を受診した。そして結果はやはり虫歯から雑菌が入り、化膿しているということだった。最近の医療機器の進歩はめざましいものがあり、娘たちのような重度制約者であっても簡易にレントゲン写真撮影が可能な優れものが登場している。カミさんの言によれば以前は口腔内のレントゲン写真を撮影するのに、口に鉛の板を噛ませていたという。現在はカメラが顔の周りを回って、本人が動かなくても撮影が可能となったようだ。ただし受診台に座らせられた後、知的制約のある娘たちは顔も身体も動けないようにベルトで固定されるらしい。結果的に次女の治療は抗生物質を服用し、顔面腫脹が治まってからとなるらしい。
 こうして、とりあえず次女の顔面腫脹と不機嫌さの理由は解明され、私たちも治療の目処が立ったことに安心したのだった。次女も顔面が腫脹しているものの、食欲もあり機嫌もよく平常の生活を取り戻している。
 今回の一件で両親はもちろん、あうんスタッフも重度の制約者の心身の異常に関する観察の視点を、娘から学んだという点では成果もあったといえるだろう。

次女の災難

2008-04-02 07:00:04 | つれづれなるままに
 わが娘マミ(次女)はてんかんによる脳性麻痺があり、言葉は話せない。しかし、彼女の気持ちは言葉以外の彼女の表情や、声の抑揚、気持ちを表す態度などで推し量る以外にはない。そういう意味では、彼女のコミュニケーション能力はそれなりに磨かれ育ったと思うようになった。たとえばお腹が空けばそれなりの欲求を表す声を出しているし、態度でも表現しようとする。態度とは何かと言えば、たとえば指を吸ったり、食事のテーブルの席に座って早くしてよと言わんばかりに待っている。しかしなんと言っても顔の表情ほど気持ちを表してくれるものはないかも知れない。目の輝きなどはその際たるものであり、嬉しいとき楽しいときなどは誰もがあー喜んでいるんだと納得できる笑顔が見える。なんたって本当にピアノの前のマミは時には空中浮揚でもしているんじゃないかと思うくらいに椅子からはねているし、ベートーベン張りにその鍵盤に身体ごとぶっつけるかのような激しい曲想の時さえある。そして私たち両親やそのケアを引き受けるスタッフの悩みは、彼女の体調不良時のその部位探しとその痛みの程度などがわからないことだろう。両親はそういう意味では30年間一緒に暮らしているので、少しの変化でも「おや?」と感覚的にその片鱗をアンテナに察知する。たとえば大腸が生まれつき短いというマミにとって、空気も一緒に飲み込みながら食事をするので、ガスが充満しやすく腹部が膨満する。そしてそれはマミの最大の敵でもある。ご飯中でも苦しいのかごろんと横になり、食事どころの騒ぎではなくなるのだ。そんなときあうんスタッフも理学療法士のAさん直伝による排ガスマッサージや、トイレ誘導を行ってその苦しみを解放してくれるのだ。
 さて、このマミの体調が2,3日前からおかしくなった。カミさんも[「最近マミの表情が暗くておかしい。目を合わせなくなった。泣き声が耳につく。」などと言いだした。そして一昨夜はマミが食事前に、激しく顔を叩いて泣き出したという。昨日あうんから車に乗車し家に帰る際に、右の顔と左の顔のバランスが崩れ、左頬から鼻にかけて腫脹していることに気付いた。おたふく風邪?いやすでに彼女は幼いころ体験済みだし、それに耳の下から腫れ上がるということを考えればそれは違う。そして「!」と気付いたのは、虫歯から膿がたまって腫れたのではないかということだった。家内にもそれを話して二人で納得した。そして歯科と重症児者の入所している国立病院に電話をかけて、なんとかきょう受診することになったのである。それにしても、痛みを表現できないということはなんとも痛々しいことである。想像するにも余りある。早く回復して欲しいと願うばかりである。
そんなわけで、今朝は天気晴朗なれど、波高しという気分である。

ブルーベリーのおじさん

2008-04-01 06:25:25 | つれづれなるままに
 この数日雪が舞うような、肌寒い日が続いている。気温がもう少し上がって欲しいと思う。そしていよいよ明日から新年度のスタートという日に、理事のKさんから呼び出しがかかってきた。この間依頼したブルーベリーの栽培に詳しい方を紹介すると言うことだった。ブルーベリーだけではないが、ハンディキャップがあっても、収穫する楽しみの持てる果実としてその背の高さなどからブルーベリーはいいなと思う。それに生食も楽しめるし、ジャムに加工しても案外手軽にできるらしい。自分たちで育てれば一番安心である。
理事のKさんは息子さんの赤ちゃんの子守の毎日で、今までと違ってなかなか外出できず友人が来てくれるのを楽しみにしているようだ。行ってみると仲介してくださる方がいて、美味しいコーヒーをいただきながらその方のお話を聞いた。わたしの言葉を耳にした彼女はたちまち、私が津軽の出ではないことを見破り、どこで生まれたのかを尋ねられた。長岡市であることを言うと、そこからまた彼女の長岡市の知り合いを持ち出し、立て板に水のように早口でその方とのつきあいのなれそめから現在を語ったのである。理事のKさんはたいしたものだと思う。ぼくは黒柳徹子さんは早口で饒舌で面白いとは思うが、テレビで見て気軽にスイッチを切りたいと思う。
 ま、紹介していただく手前我慢して、そのブルーベリーおじさんの所に向かった。
 その場所はあうんから見えるような近い場所で、ビニールハウスの中におじさんがいた。ブルーベリーの苗木がビニールハウスの中にたくさん並んでいて、2年ものから3年ものだという。私はおじさんが語るブルーベリーへの思いや、栽培のイロハをひたすら耳を傾けて聞いていた。このおじさんだったら頼りになると言う実感があった。というのも、素直になって心に染み渡るような言葉で入ってくるのである。何時間でも聞いていたかったが、それにしても田圃の真ん中のせいかとてつもなく寒い。きょうは風が冷たいのだ。1時間ほどお話を聞いて、外に植えられた5年もののブルーベリーの状態を見た。なかなかブルーベリーも繊細である様子。酸性土であることや、乾燥に弱いこと、かといって水はけも必要。栽培してから2年目くらいまでは実をとらないこと。1年目が肝心で、しっかり根付くまで水やりを夏場欠かさないこと。チップを表土の上に敷くと乾燥を防ぐことなどを学んで、おじさんのもとをおいとました。何よりもピートモスというブルーベリーの育ちやすい土壌を円形に彫った穴に入れて栽培することにより、かなり育ちが違うこともわかった。今後援会長が貸してくださっている畑は粘土質の水はけも余り良くない土壌でないのでやれるかどうかと心配だったが、この方法であれば何とかやれそうなことがわかった。「いつでもおいで」と言うありがたいお言葉をいただき、農園を後にした。それにしても植えるとすれば今月中なのだ。急がなければ・・・。