音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

プレッツェル・ロジック (スティーリー・ダン/1974年)

2013-10-26 | ロック (アメリカ)


やっと秋らしくなってきた昨今、でも季節ハズレの台風が毎週襲来と、今年は中々秋を感じられない。ちょっとこのブログの更新も空いてしまったが、筆者にとって一番秋を感じられる音楽アーティストはやはりこのスティーリー・ダンかもしれない(ということは、以前に書いた「秋はドゥービー」というご同輩と余り変わらないということかも)。で、お約束的に書けば、この作品を出した頃のドゥービーはなにをしていたかというと、丁度この作品発売の1ヶ月前に「ドゥービー天国」を発売。前作「キャプテン・アンド・ミー」の評価が高くヒットし、その勢いでこのアルバムも売れていた(大体、ヒット作の次の作品はいきなりチャートの上位に行くのが常道)し、なんとシングルカットされた"Black Water"は全米No.1に輝いた。また、このドゥービーの作品のは、前作に続いて、こちら、スティーリー・ダンから、ジェフ・バクスターが参加していた。

この作品は実は彼らに取って大きな分岐点になる作品である。まず、この作品までは、このスティーリー・ダンという活動形態は、一応、バンドの形式を保っていたといえよう。それが証拠にこの作品発表時にアルバムの内ジャケットに彼ら5人の写真が掲載されている(LPは実家にあるので見に行かれないが確かにCDにも歌詞カードの中にその写真が掲載されていた)。そして、この作品のツアーも開催されたが、実はこれが最後のツアー(1990年代の再結成ツアー等を除いて)となった。これには理由もあって、シングルカットになった名曲"Rikki Don't Lose That Number"(リキの電話番号)が、アルバムのヒットに先駆けて、全米第4位まで上る大ヒットとなった。これは彼らにとっては革命的なことであったし、事実筆者も彼らの「シングル」で考えれば、この曲がベストだと思う。そんな訳で、プローモーターとのやり取りがあったのだろうが、彼らはツアーを行うことで、このアルバムも上昇し、スティーリー・ダンの名は全米に轟いた。更にこのライブツアーにはあのマイケル・マクドナルドとジェフ・ポーカロが加わったことも有名で、この二人の活躍は音楽ファンであれば周知の事実なので、ここでは割愛するが、このバンドのアメリカポップ音楽に於ける影響力は計り知れない。しかし、そんな彼らが何故、バンド形態、及びライヴツアーを中止してしまったのか。一般的には、彼らは多くを望む聴衆の期待に応えようと、より高い演奏クオリティと発想力で対応し提言してきたが、聴衆の要求は増長する一方で、彼らは歓迎されていないと判断したからだと言われている。確かにこの当時、ロックの領域でこれだけの演奏力を持っていた集団はいない。また、彼らがドゥービーとほど近いところにいたことで、同じ音楽傾向を彼ら自身が望まなかったのも事実。故に、高い音楽スキルをもっていながら、「音楽を楽しもうぜー!」っていうジェフが、度々、ドゥービーのレコーディングやライヴに参加するのはよく理解できる。これは全く穿った見方かもしれないが、前述したドゥービー初のNo.1ヒットがあの"Black Water"ということは、スティーリーの「リキ」に繋がる部分だし、この短期間でアメリカのロックに関する価値観が少しずつ変わっていったことを証明していると思う。

この作品、最初の邦題は「さわやか革命」だった。その名の通り、この作品は彼らの過去2作に比べるととてもポップな出来栄えで、内容もバラエティに富んでいる。まさにさわやかな革命だったのであるが、残念ながら、まだこの音を受け入れられる体制が聴衆側に整っていなかったのかもしれない。


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