プリンスはやはり「戦慄の貴公子」がベストだという評価は未だに変わらない。だからこのブログでもレビューはまだ書いてないその前の作品「ダーティーマインド」と2つ書けばいいかなってずっと思っていたが、それは同時に筆者が個人的にこの時代のポップスを体系的に見ていないことと、同時にその中に於けるこのプリンスというアーティストの重要価値に全く気づいていなかったことに誤解の原因があるということを最近理解した . . . 本文を読む
ローリン・ヒルを知ったのは、勿論映画「天使にラブソングを2」(原題"Sister Act 2: Back in the Habit")である。ウーピー・ゴールドバーグの人気作の続編だが、1作目のコメディに比べ、現代アートを全面に出したこの作品は個人的には前作を遥かに上回っていると思うが、その殆どはローリンのアーティストとしての魅力に尽きる。後日、彼女がフージーズというユニットを組んでいてアルバ . . . 本文を読む
ここのところ以前は苦手だったジャンルを努めて聴いているようにしているが、やはり筆者は典型的な聴かず嫌いであることが判明している。中でもヒップホップはその代表で、実は最近このジャンルのソフトも買い漁っているし一日に聴く頻度もかなり高い。残念なのは語学力でスラングがイマイチ分からないのがあってリリックの面白さをすぐに察知できないことがある。そんな状況なのに、考えてみたらこの作品のレビューを書いてい . . . 本文を読む
ビースティ・ボーイズのデビューアルバムである。正直なところ、ラップ系やヒップ・ホップはずっと苦手で聴かず嫌いだった。ただ、以前にも書いたが、私のこの音楽に対する唯一の救いは1980年代初頭、一時期N.Yの居た時に、当時まだメジャーに出ていなかったパフォーマンスの一つとして自己表現に鍛練する若い連中を見ていたことだ。実はこの類いのジャンルは70年代後半からあったらしく、それは、体たらくした黒人音 . . . 本文を読む
1983年という年は、1967年や1977年ほどではないが色々な意味でポップミュージックの転換年でもあった。特にロック音楽に関していえば1977年に起こったロンドンパンクを皮切りにしたポスト・パンクとニューウェーブのムーブメントが、略、終焉した年でもあった。だが、新たなる出発をロックという領域でスタートさせた年でもあった、前者の代表がポリスの「シンクロニシティー」で、後者の代表がU2の「WAR . . . 本文を読む
日本語文化というのは実に奥深い。正直、私は中学で「古文」を習ったときに、特に「万葉集」以降の短歌の世界がそれまで「小倉百人一首」で感じた日本の季節の移り変わりの「美」の他に、人間が色々な駆け引きや批評に利用しているという事を知ったが、それはなんとも「いとをかし」。そんなに面倒なことをするのか理解が出来なかったが、それも灯台もと暗しで、そうか、その日本語文化を当時の世相に照らし併せて考えると、な . . . 本文を読む
恐らくファースト・アルバムが想定の範囲を大幅に超越した反響と数字、更には賞賛を得てしまったと思われるホイットニー・ヒューストン。私も彼女が他界したので言うわけではなく、何故かこのファーストに特別の作品としての高評価をしている訳ではないが、なんというか、ブラック・ミュージックがこんなにポピュラーに聴くことができたのは、彼女のファースト・アルバムが最初だったことは間違いない。そして、ホットニーはそ . . . 本文を読む
1980年代の中盤以降、私は殆どといってポピュラー音楽を聴かなくなった。理由は色々ある。一番大きい理由はロックの勢いが無くなったことだろうか。勢いというのは、60年代から連なってきたあのロックンロールの明解さ、単純さ、そして闊達さがロックになくなってきた。勿論そういうバンドもあったにはあったが、ニューウェーブでロックは様々な音楽とも融合を試み、その殆どが成就した。しかしその成就のされかたの殆ど . . . 本文を読む
人間の記憶というのは、かくもいい加減なものだろうかという事を知ったのがこの作品。特に音楽というものはちょっと変わっていて、自分の演奏経験のあるものは、大体「譜面」で覚えているからそんなに記憶違いがないのであるが、レコードを聴いただけの曲、或いは演奏したことがあっても、ポピュラーなどの簡単な曲は殆ど耳コピだから、それを五線譜に落とせば別であるが、そのまま演奏経験があるような曲というのは、やっぱり . . . 本文を読む
実はこの音楽ブログにおいて、プリンスの作品に関しては、前作「戦慄の貴公子」のレビューだけで終わりにしようと思っていた。その理由としこのアーティストに関してはその後の活躍は衆目の認めるところ(賛否両論あるが)であり、私なんぞが兎や角言わなくても、その存在は確固たるものであり、日本では今ひとつだったかもしれないが、世界においては同世代のマイケル、マドンナ(いずれも1958年生)に並ぶセールスと成功 . . . 本文を読む
私も、つくづくソウルミュージックが苦手だったなと今更ながら思い知ったのが、このグループの存在すら知らなかったことだ。正直、このアーティストの詳細を知り得たのは、お恥ずかしながら、ここ10年の事である。要はこのグループ、取分け、スライ・ストーンの存在を知らなくて、よくも偉そうに、やれマーヴィンだ、やれ、スティヴィーだなんて言っていたもんだと我ながら感心したり、卑下したりである。只、一方で、このス . . . 本文を読む
基本的に黒人音楽に精通しているとはいえないのであるが、マーヴィン・ゲイを最初に知ったのはダイアナ・ロスとのデュエット曲"You Are Everything"だったが、なぜかこの曲はイギリスではシングルとして発売されたが、アメリカでは発売がなかった。もし、発売があったら多分No.1になっただろうし、そうすれば私はもっとその時点でこの偉大なアーティストをこの当時から関わりを持てたとと思うと大変残 . . . 本文を読む
私の「残念な音楽鑑賞歴」の一つに、黒人音楽をきちんと理解していなかったという実に悲しい過去があることは、このブログにも何回か書いた。中でも、とりわけこのスティーヴィー・ワンダーに関しては本当に浅い付き合いしかしていなかったことは後悔している。それには理由があって、私はレコードを自分の小遣いで買いだしたかなり最初の頃に、彼の「悪夢」というシングルヒットに遭遇し、ん、これはと思いこの曲の入っている . . . 本文を読む
1960年代以降、アメリカ音楽界というのは実に保守的である。というか、勿論アメリカの音楽が面白かった時代は、ジャズの隆盛とロックン・ロールの出現、もうひとつは黒人音楽である。しかし、その黒人音楽もモータウンレーベルが設立されてからというものは、完全にこの類の音楽が商業化してしまい、作られたスタアの登場となった。勿論、ジャズもロックン・ロールも、最終的には商業音楽化してしまっている。1970年代 . . . 本文を読む
私の知っているミュージシャンで、プリンスほど最初に音楽を聴いてみるまでの間にワクワクした人はいない。色々な噂とベールに包まれている部分が沢山あり、同時に当時は中々情報をすぐ取得することも出来なかったので、我々は音楽関係者の感想や解説を中心にしか得ることが出来ず、それらは余り客観性のあるものではなかったから、寧ろ行間を読み取る事に苦労をしたものだ。
プリンスに関して言えば、性倒錯者という印象が . . . 本文を読む