音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ドゥービー天国 (ドゥービー・ブラザーズ/1974年)

2010-09-21 | ロック (アメリカ)


このバンドは、実に面白い変遷を遂げてきた歴史を持っていると思う。というか、昔の日本の歌謡曲(Jポップではない・・・)の様に、常に新しい流行要素を取り入れて来たアルバムを制作している。

ドゥービー・ブラザーズは良く、トム・ジョンストン時代とマイケル・マクドナルド時代に分かれるという評論をされるが、では、一体その分岐はどこにあるのかいうことを問うてみると、実ははっきりとした境界線がある訳ではない。つまりは、この二つの時代に境などなく、自然にグループのイニシアチブを取る人間が変わっていったのである。そして、それが良く分かるのがこのアルバムから、「スタンピード」と「ドゥービー・ストリート」である。この時代は誰が牽引していたというのは大変理解し難く、実は、ジェフ・バクスターの存在が大きい。ジェフはスティーリー・ダンを脱退して正式メンバーになったが、一般的にスティーリー・ダンと言えば当時、ドゥービーとはライバル関係にあるバンドであった(本当は構成やコンセプトが全く違うから比較する存在にはならないのに、こういうところが商業音楽の良くないところである)のだが、彼が持ち込んだテイストはこのアルバムにも表れているし、この後の2作でドゥービーは単純なロックンロールバンドからの脱皮をすることが出来た。このアルバムで言えば、初の全米No.1ヒットとなった「ブラック・ウォーター」などは、新しいドゥービーのテイストであると同時に、この当時にイーストサイドとは違っていても既にロックン・ロールというのは落ち目になっていて、前作「キャップテン・アンド・ミー」から一歩進んでいる。冒頭に書いたように、日本の歌謡曲というのが常に時代と共に歩んでいたように、このバンドはほんの少しだけであるが時代を先取りしている嗅覚を持っていた。前作ではロックン・ロールなのだがディスコ・ブームにも対応できるサウンド(だからと言ってソウルではなかった)を既に発表していたし、このアルバムでは、アメリカ音楽で最もはっきりしなかった時代、1974~76年を既に憶測しているように、なんと曲に統一性がないアルバム作りをしているのかと思うと、それまで3枚のアルバムで培ってきた筈の自分たちのサウンドを壊してしまってまでもここまでやるのかと思ってしまうほどの内容である。例えば、山口百恵や中森明菜は、当時の歌謡曲の中でも、最高に完成度の高い楽曲を歌っていた。トップ・スターであるから当然であるが、そこに注入する音楽関係者の力の入れ方は他の歌手の比ではなかったが、やはり結果として日本の歌謡界を流行曲という名のもとに牽引していたのである。ドゥービーも同じ要素を持っていたが、アメリカの音楽はポピュラーでも大変多用であったために、このグループだけに集中することはなかったが、今、改めて聴きなおすと、アメリカの当時の最新音楽トレンドが集約されているのである。

だからかもしれないが、私はドゥービーに関しては逆に然程アルバムに対する固執も少ない。彼らのヒット曲を集めたベストアルバムがあれば、それだけで事足りると思ってしまうところも、何処か、日本の歌謡界にも似ているのではないか。


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