音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

フォー・ユア・プレジャー (ロキシー・ミュージック/1973年)

2013-09-23 | ロック (イギリス)


デヴィッド・ボウイと共に、筆者が若い頃は中々きちんとした評価が下せず、結果、どちらかというと毛嫌い、聴かず嫌いだったアーティストがこのロキシー・ミュージックだ。なので、この作品を1990年代だったかに、改めて聴いたときは鳥肌が立ったのを覚えている。「こんな活かしたオルタナロックがあるんだ!?」って。そして、単純にブライアン・イーノはロキシー時代が一番良い。そう考えると当時から最高の音楽を演奏、ファンに提供していたことが分かる。ロキシーのリアルタイムは、アルバム「サイレン」辺りで、というのも、彼らを知ったのが、我々の年代ではほとんどの人がそうであろう「カントリー・ライフ」のジャケットである。特に深夜のお色気番組ではこのジャケットの紹介は引っ張りだこだったし、当時の物議を醸したアメリカ盤は我が国の放送規定で映像として流せないとか、雑誌はモノクロなら目立たないからこの女性モデルのシースルー下着画像を出したものもあった。あ、これ、音楽雑誌ではなく一般週刊誌の話である。

だが、一方で、ボウイとの共通点は、アマチュアバンドでは、殆ど彼らのコピーは演奏しなかったであろうという事。理由は簡単で、アマチュアごときではこの音は格好良く再現できないし、音楽的な芸術性も高いから、ポップ音楽として一般には受けない。それに、これが一番決定的なのだが、ボウイにしても、ブライアン・フェリーにしても、こんな個性の強いヴォーカリストは素人では無理だ。いや、玄人だって滅多にいない。ミック・ジャガーやロバート・プラント、ロッド・スチュアートの真似やコピー(まぁ、これだって本来無理なんだが・・・)は幾らでもいるしやろうとするが、この二人、そして敢えていえば、ロジャー・ダルトリーは誰もできなかった。いや、実は、筆者の同輩で一人だけ居た。彼は今何処? そして、特にこの作品のすべての曲に於いて、ブライアン・フェリー以外にこんな格好良く歌えるシンガーはいないし、無論、アンディ・マッケイのサックスも、イーノのシンセ・ワークも、またこの強い個性をしっかり支えるフィル・マンザネラのギターも、どれを取っても、この時点でポップ音楽の境地に達しているのが、この作品なのである。またこの作品のもう一つの醍醐味は、アナログ時代のA面とB面でプロデューサーが違うこと。そのせいか前半(CDでは1-5)は各々の個性が結構アンバランスながら、しかし前衛的な音を出しているのに比べ、後半3曲はいずれも大作で、組曲のような構成になっている。ロキシーの歴史の中でも、この3曲は結構特殊で、一番印象的かもしれないし、やはりフェリーがしっかり目立っていて、ロキシーというバンドとしての真骨頂だったのだと思う。そう、残念ながらこの作品を最後にイーノがロキシーを去ってしまうからである。イーノはこの後、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の先駆者として、クラシックの現代音楽家という位置付けをされる偉大な芸術家になるが、この後もボウイやトーキング・ヘッズとも関わり、ポップ音楽にも多大な影響を残す。だが、やはり、この作品は別格だと思う。

前出の友人、ただひとりフェリーが歌えるんじゃないかって今でも思っている彼も、やはり若い頃はロキシーも好きだった。だが、もし、フェリーのように歌えたとしても、当時の日本では良いと思われなかっただろう。いや、日本では今もそれは変わらないと思う。日本のポップシーンは、半世紀たっても未だオリジナリティの欠片も提言できないのだから。残念ながら・・・


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