音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

パープル・レイン (プリンス/1984年)

2012-04-27 | ソウル・アフロアメリカン・ヒップホップ等
1983年という年は、1967年や1977年ほどではないが色々な意味でポップミュージックの転換年でもあった。特にロック音楽に関していえば1977年に起こったロンドンパンクを皮切りにしたポスト・パンクとニューウェーブのムーブメントが、略、終焉した年でもあった。だが、新たなる出発をロックという領域でスタートさせた年でもあった、前者の代表がポリスの「シンクロニシティー」で、後者の代表がU2の「WAR . . . 本文を読む

ヨシュア・トゥリー (U2/1987年)

2012-04-19 | ロック (ヨーロッパ・その他)
最初にこの作品を聴いた時の感想を言うと、正直「これがU2か」と思ったものだが、そう考えるとこのバンドには実はこれまでに、少なくとも3回はそういう思いをさせられている。そしてこれがその第一回目だ。だからと言って、それはオオカミ少年のそれとは違うからその度に驚き、そして何度も聴く、そう、何度も何度も聴くのだ。U2ってバンドに関しては初期の頃しか自分で演奏したことがないから、そういう意味では耳コピで . . . 本文を読む

エレファント (ザ・ホワイト・ストライプス/2003年)

2012-04-18 | ロック (アメリカ)
21世紀。ロックは再生した。いや、それどころではない。全く新しい境地を求めて、そして物凄い勢いで拡散を始めた。これはある意味でポップ音楽の革命であると思っている。私がよく述べさせて頂いている、何故クラシックは凄いのか、芸術なのか? それは何度も言うが、現代においてもこの音楽を、より高い芸術性をもって、また真に誇らしい自負に満ちた志しと、更に新しい感性を持った多くの人々がそれを弛まぬ研鑽と努力を . . . 本文を読む

デンジャラスリィ・イン・ラヴ (ビヨンセ/2003年)

2012-04-16 | 女性ヴォーカル
正直なところ、デスチャ(デスティニーズ・チャイルド)のデビューを知った時、私はこのユニットは長く続かないだろうし、また、売れないだろうと思った。なぜなら、既にTLCがこの構成では全く先んじていたし、また彼女たちが前座をやっていたクリスティーナ・アギレラとは、この時点でちょっと格違いだと思ったからだ。しかしこの予想、半分は当たり、半分は外れた。彼女たちは再結成したものの、そんなに長くは続かなかっ . . . 本文を読む

スピード・オブ・サウンド (ウィングス/1976年)

2012-04-14 | ロック (イギリス)
最近、漸くこの歳になって、ビートルズの「音楽的な偉大さ」というものが徐々に自分の中で解明されてきた。音楽というものは不思議なもので、如何にどんな尊敬する人がなにか凄いことを言ったとしても、あるいは、5歳の子供が童謡を聴いて述べた感想も、理解できるときはできるし、無論、5歳の子供でも共感してしまうこともあり、尊敬する音楽家の指摘に共感できないこともある。つまりは自分で修得できないものは、なにを言 . . . 本文を読む

ドラマ (イエス/1980年)

2012-04-11 | ロック (プログレッシヴ)
このブログだったか、何処かにだったか忘れてしまったが、私が良くこのバンドの事を論ずるのに、こういう言い方をしている。「イエスはジョンのバンドでもリックのバンドでもない。クリス・スクワイアこそがイエスそのものである」と。これは私が4本の弦楽器が好きだということだけではなく、少なくともデビューから1980年代までのイエスの活動を辿っていると、自ずと導かれるのがこの回答なのである。私がそう結論づけた . . . 本文を読む

サイコキラー77 (トーキング・ヘッズ/1977年)

2012-04-09 | ロック (アメリカ)
私がトーキング・ヘッズの存在を知ったのは、まだ、彼らのデビュー前であった。正確にいうと、まだこのバンド名ではなかった。ニューヨークのパンク・シーンというのはイギリスよりも古いことは、パティ・スミスその他のところで何度か触れたが、実は結構密接に係りがあって、その中心は1973年にヒリー・クリスタルが開業したCBGB(Country, Blue Grass, and Bluesの略)というニューヨ . . . 本文を読む

スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ (オアシス/2000年)

2012-04-03 | ロック (イギリス)
ノエルとリアムの兄弟。男兄弟というのは概ね協力体制を築いているときは、それは大変お互い頼れるものである。例えば日本史でいえば、足利尊氏と弟直義。鎌倉幕府を倒幕し、その後建武の新政に不満を持つ武士たちを束ねて北朝を支援、楠木正成、新田義貞という南朝方の名将を打ち滅ぼすと、自らも征夷大将軍となり京都に幕府を開いた。この間の直義の功績は大きく兄を支えていたが、政治力のなかった尊氏は全てを直義に任せた . . . 本文を読む