久しぶりに、約半年ぶりに交響曲のレビューを書く。今年はマーラーの生誕150年なのに、なにか意外に盛り上がっていない様だ。さればかりでなく、ショパンやシューマンも生誕200年なのに、巷ではせいぜい大型ミュージックショップのクラシックコーナーのごく一部で、「ショパン・コーナー」があるくらいで、それもまだ、辻井君のCDがあるから少しは格好になっている程度で、やはり日本では、モーツァルトを除くとクラシ . . . 本文を読む
あくまでも仮説だが、もし、ベートーヴェンが交響曲第9番を書かなかったら、或いは、交響曲に合唱部分を残さなかったとしたら。後々にマーラーの様な才能に満ちた音楽家が合唱部を取り入れた名曲をこれだけ沢山残せただろうか。勿論、ベートーヴェン以外にも交響曲に合唱部を取り込んでいる例もあるし、交響曲という形でなければ声楽の入った曲は沢山ある。更に言えば、クラシックという定義の音楽が確立する以前から声楽とい . . . 本文を読む
西洋音楽史におけるマーラーの存在というのは、彼の音楽を聴くたびに大変大きな分岐点だと思っている。それは、楽典とか音楽論とかという難しい観点からではなく、あくまでも一リスナーとしてマーラーの残した音楽というのは、クラシック音楽の境界線を高い壁ではなく、ガードレール程度の少し脚を上げれば越えられる程度まで下げた、というか、気軽で身近なものにしたという言い方が出来るのであろうと思う。例えばこの「交響 . . . 本文を読む
私には良く分からないが、チャイコの曲というのは一般には旋律が美しくファンも多く、また、曲名は知らないけれど聴いたことがあるとか、好きという曲も多いほどのポピュラーであるが、プロの演奏家には大変評判が宜しくないらしい。確かに譜面の指示も多く、ヴァイオリン協奏曲のように、演奏不可能とされてしまうものもあるのは知っているが、リスナーとしては、そういう演奏家の代償や、高度な技術の上に成り立っているのだ . . . 本文を読む
この時代の音楽家が定期的に開催する演奏会というのは、「協奏曲」と「交響曲」がセットになっていた。特に、モーツァルトはその形式に拘っていた音楽家であったが、最初に演奏されるのは交響曲であった。だが、この当時、当のモーツァルトは、ピアノ協奏曲の作曲に関しては大変積極的であった一方で、交響曲に関しては相変わらず、「ハフナー」と「リンツ」以外に目新しい楽曲がなく、それ以外は旧作で間に合わせていたのであ . . . 本文を読む
ベートーヴェンの後、ロマン派時代の音楽家は実に沢山の交響曲を書いているが、交響曲というジャンルに限っていえば、書くたび新しい作品がどんどん良くなっていくという経緯を辿った音楽家はこのブラームスとチャイコフスキーしかいない。大概はベートーヴェン自身がそうであったように、すべてが前作を上回ってはいない(但し、3番を除けば、4から7番までは音楽構成的には可也進歩しているかもしれない。まぁこれはひとつ . . . 本文を読む
シューマン曰く「2人の北欧神話の巨人(3番と5番のこと)の間にはさまれたギリシアの乙女」て伝えられているのがこの曲であるが、実に的を射ている表現ではないか。ベートーヴェンの交響曲としては確かに知名度が低く、演奏機会も殆どなかった時代が続いた。しかし、ベートーヴェン自身の作曲生活から考えると、彼は「交響曲第3番英雄(作品55)」の完成直後に「交響曲第5番運命(作品67)」の制作に取り掛かっている . . . 本文を読む
クラシック・ファンならずとも、19世紀の半ばにドイツで起こった「標題音楽」と「絶対音楽」の対立論争は有名で、やがてこれは単なる音楽の表現方法の問題ではなく、人間関係のこじれ、ひいては政治的思惑と絡み合って激化していったが、これは、そもそもがワーグナーとハンスリックの好みの問題から端を発し、例えば、絶対音楽派のブラームスや、標題音楽派のこのブルックナーなどは、その争いの潮流に巻き込まれたのである . . . 本文を読む
交響曲第3番「スコットランド」の鑑賞で少し書いたが、メンデルスゾーンはこの最初の交響曲の前に、「12曲の弦楽のためのシンフォニア」を作曲していた。これは、彼自身が12歳から14歳にかけての弦楽合奏曲の習作作品集である。バッハの対位法に習い、和声を用いた高度な作品集らしいが、私は残念ながら聴いたことがない。交響曲は、17世紀イタリアでオペラの序曲がシンフォニアと呼ばれていて、G.B.サンマルティ . . . 本文を読む
音楽家として致命的とも言える、「聴力」が低下して最後にはほとんど耳が聞こえなかったといわれるベートーヴェンであるが、その最初の兆候が出たのが、丁度この交響曲第2番を作曲中だと言われている。交響曲第1番は、ハイドンやモーツァルトが確立した古典派交響曲の形式を大きく飛躍発展させる志の現われから、なんとハ長調で書き、しかもその中に数々の提案を試みたが、運命とは皮肉なものなのか、人生最大の危機を迎えた . . . 本文を読む
チャイコの交響曲第5番の鑑賞文を書いたときに、チャイコは逆から聴いてこのブログに上げようと思ったが、やはり、彼の場合、交響曲4~6番というのはとても完成度の高い作品だから、既に5番、6番「悲愴」は書いてしまったが、やはり、第1番に戻ることにしようと思う。理由は「冬の日の幻想」という標題がついているが、これは近年どうもチャイコが自らつけたのではないということが分かったこと(そんなことはどうでも良 . . . 本文を読む
「リンツ」はオーストラリアにある都市である。15世紀には神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世の居城がおかれ、18世紀後半に司教座が設立されると、学問・芸術の中心地として急速に発展していった。モーツァルトは1783年に1ヶ月だけここに滞在をした。作曲年からしてその時のインスピレーションを交響曲としたのだと思うが、なんとたったの4日間で書き上げたという逸話も残っているから、紀行文みたいなものなのかも . . . 本文を読む
ハイドンは一般に104曲の交響曲を書いと言われている(諸説あり)が、子供の頃はこの交響曲は「おもちゃ」と共に、「びっくり交響曲」と言われて親しまれていた一方で、余り、曲自体を真面目に聴いたことはなかった。その後、「おもちゃ」は、モーツァルトの父レオポルドの作品だという事がわかり、この曲も「驚愕」という表題が正しいらしいが、別にハイドン自身がつけたものではないから、正しくも正しく無いもないという . . . 本文を読む
モーツァルトの交響曲に対しては、実は、これまで余り真剣に向き合ってこなかった。正確に言えば、モーツァルトとハイドンの交響曲には、である。理由は色々あって、やはり交響曲というのはベートーヴェンから始まったものであるという認識と、ハイドンに限って言えば面白くないからであり、モーツァルトの場合は、交響曲以外に名曲、聴くべき価値のある楽曲が沢山あるからである。交響曲と同時期で言えば、ピアノ協奏曲や、弦 . . . 本文を読む
このところ古典派からロマン派の変遷を中心にライブラリーの鑑賞記を書いているが、どうしても交響曲が中心になってしまう。やはり私はクラシックの音楽鑑賞に関しては交響曲から入っていったから、このあたりが一番分かり易いのだと思う。古典派とロマン派を繋ぐものとして、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンを書いていて、要はそれがどうブラームスに繋がり、ひいてはマーラーにというチャートを構築しているのた . . . 本文を読む