美は探究にあり?

美術鑑賞についての戯言です。「週刊西洋絵画の巨匠」発行を機に、文芸、音楽と共に趣味の範疇だったこの分野を探究します。

西洋絵画の巨匠 ルノワール

2009-05-10 13:14:02 | 週刊 西洋絵画の巨匠


個人的なことを言えば、私はルノワールが大好きだ。なぜだか分からないが兎に角、ルノワール好きだ。日本人は印象派好きが多いから、当然ルノワール好きは多いと思うが、私は印象派云々ではなく、兎に角この芸術家の作品が大好きだ。幼い頃から自宅にも、祖父母の家にも、また、良く行く友人の家にも、このルノワールの模写が飾ってあったというのが多分その理由である。そして、月並みだが、ルノワールの作品の中で圧倒的に好きな作品が「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」である。だからとどのつまりは、この世の中にある絵画と呼ばれるものの中で最も好きな作品かこの「ムーラン」である。

ルノワールの作品から私が勝手に感じるものは何か。それは「愛」、「笑顔」、「幸福」、「喜び」、「挑戦」など。つまり、人間社会においてすべて、プラスであり、ポジティヴであり陽性である、そういう類のことを感じ取れる。だからこの芸術家が好きなのかもしれない。

「週刊 西洋絵画の巨匠 第3巻 ルノワール」には、「幸福な生命の輝きを描く画家」としてその生涯が綴られているし、また、脳科学者・茂木健一郎氏の連載(実はこの連載が面白くってこのシリーズを楽しみにしているとも言える)では、「やさしい光の残照」と題して、前述の「ムーラン」を評して、「意識に直接与えているものを通して私たちの生きる何気ない一瞬を写す」という作為が印象派の価値だと解説。これは私の意見を同じである。さらに「絵を描くときしま心の内から照らす光源が深い意味を持つ。ルノワールは生きるということの刻々を変える不思議な光源を胸に抱いていた」と表現され、このルノワール評は見事である。そして最後には、「今でもわたしたちは印象派が世界にもたらしたやさしい光の残照を求めて花の都に赴く」と。なるほど、自分を考えてもそうだ。私はモンマルトルに行くためにパリへ行ったのであって、決してルーブルを観にいったわけではないのだから。

ルノワールに関しては、多分、このブログでも今後色々と触れていくと思う。だが、決してそれは私の一方的且つ勝手な思い込みであり、この画家に関しては公平に鑑賞することが出来ないのも事実である。音楽におけるブラームスと同じで、特別な思いが専攻してしまうのである。今でも実家に行くと「2人の姉妹(テラスにて)」、本家に行くと「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の複製画が飾ってあるが、これらを観るたびに自分の美術鑑賞の原点に返らされるのである。


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西洋絵画の巨匠 モネ

2009-05-09 09:29:50 | 週刊 西洋絵画の巨匠


モネと言えば光である。採光である。私も素人ながら写真を撮るが、最も重要なのは採光。太陽の光をどう取り込むか。住宅建築でもそうらしい。また、モネというと国立西洋美術館の絵画「舟遊び」は松方コレクションであり、当館の常設展示でも一際存在感がある。更に、睡蓮に代表される連作である。

個人的に好きな作品は「印象日の出」(マルモッタン美術館蔵は「日没」を描いたものとも言われ、印象派展出品作品は別だという説もあるが・・・)であり、印象派というネーミングにも繋がった作品。しかし、これら印象派時代の作品はモネにとってはただの序章に過ぎず、本当のモネの芸術家としての大成はこれから後の彼の進化にある。

例えば、「日傘をさす女性」の連作には顔が描かれていない。当時はこれだけでも大変な物議を醸したであろう。だが、どうだろうか。光が当たっていない人間の顔はこんなふうにも見える。まさに印象なのである。

モネは変化する風景を描写することに長けていた。無常という考えは日本に古来からある。そんなことから日本を愛し、憧れた画家の一人でもある。

そしてモネは、晩年、さらに高いステージに上がって行く。印象という瞬間の美からその変化していく美の探求として連作という発想に辿り着く。さらにはそれらの集大成とも言える絵画の世界だけでない実現としての庭園を造り上げ、その変化の描写に、晩年の殆んどを注ぎ込んだ。まさにこの段階では、美術家という範疇に収まらず、総合芸術家(勿論、彼も彼のファンもそんな言い方は望んでいないだろうが…)であった。


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西洋絵画の巨匠 ゴッホ

2009-05-06 22:12:41 | 週刊 西洋絵画の巨匠


正直なところ、ゴッホに関しては好き嫌いで言えば「嫌い」であった。だから良く分からないというのが本当のところだった。このシリーズ創刊号を読むまでは。不思議と、今までゴッホという画家を知らなかった訳ではないのに、なぜかゴッホに関してはきちんと作品に触れたことがなかったのである。

そんなゴッホであるが、有名な「ひまわり」の連作や「医師ガッシュの肖像」、及びミレーの模写以外に、「日本趣味・雨の大橋」と「タンギー爺さん」が個人的には好きな作品だった。しかし、この本を読んで、そうか、ゴッホがその才能を開花させたのは、ゴーギャンとの共同生活の後の、晩年の僅かな間に集約されていることがわかったのである。私はこの時代の作品に関しては殆ど詳しくない。だから、ゴッホは印象主義の時代にあって、勝手に印象主義の画家から外していたのである。

ゴッホというと「黄色」の印象が強い。それは彼の尊敬するミレーにも通じる色である。だが、そうではないことがわかった。ゴッホが本当にすごいのは「青」を駆使してからにある。南仏アルル時代にその片鱗はあり、開花したのはサンレミ時代であろう。この時代はまさに後に天才と言われる作品を数多くこの世に輩出している。その作品の数も恐ろしいほどの作業量である。

私は、印象派は、マネであり、モネであり、ルノワールをこよなく愛し、尊敬し、また影響を受けたと思っていたが、この歳になって、ゴッホに出会ったことはとても有意義だと思う。ゴッホの作品をもっと時間を掛けて鑑賞し、探究したいものだが、その入口に立てたことは嬉しい。


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はじめに

2009-05-05 23:19:37 | 美術全般
美は探究にあり?

そもそも美とは何だろう。

美術という領域は、人類がこの地球上に誕生せし時代から、どのように関わってきたのであろうか。
なんて、面倒なことは考えない。
自分にとっての美とは何かの探究で構わないというとても身勝手なブログである。

美術という分野には色々トライをしてきた。
油絵も描いたりしてみた。
だが、一向に自分の中では進まない。
文芸や音楽に比較すると、余り身近ではない。

だが、一方で「美」は日常に溢れている。

そんな折に、小学館から「週刊 西洋絵画の巨匠」というシリーズが発売された。無論、実家には、画家のシリーズ豪華本とか、パソコン用のCD-ROMとかもあるのだが、なぜかこのシリーズがとても気になった。だから、これを機に、もう一度自分のとっての美と美術の探究をしてみたいと考えたのである。

例によって、「長続き」と「まめな更新」は不可能だと最初から思っているが、とにかくやってみようと思う。


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