個人的なことを言えば、私はルノワールが大好きだ。なぜだか分からないが兎に角、ルノワール好きだ。日本人は印象派好きが多いから、当然ルノワール好きは多いと思うが、私は印象派云々ではなく、兎に角この芸術家の作品が大好きだ。幼い頃から自宅にも、祖父母の家にも、また、良く行く友人の家にも、このルノワールの模写が飾ってあったというのが多分その理由である。そして、月並みだが、ルノワールの作品の中で圧倒的に好きな作品が「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」である。だからとどのつまりは、この世の中にある絵画と呼ばれるものの中で最も好きな作品かこの「ムーラン」である。
ルノワールの作品から私が勝手に感じるものは何か。それは「愛」、「笑顔」、「幸福」、「喜び」、「挑戦」など。つまり、人間社会においてすべて、プラスであり、ポジティヴであり陽性である、そういう類のことを感じ取れる。だからこの芸術家が好きなのかもしれない。
「週刊 西洋絵画の巨匠 第3巻 ルノワール」には、「幸福な生命の輝きを描く画家」としてその生涯が綴られているし、また、脳科学者・茂木健一郎氏の連載(実はこの連載が面白くってこのシリーズを楽しみにしているとも言える)では、「やさしい光の残照」と題して、前述の「ムーラン」を評して、「意識に直接与えているものを通して私たちの生きる何気ない一瞬を写す」という作為が印象派の価値だと解説。これは私の意見を同じである。さらに「絵を描くときしま心の内から照らす光源が深い意味を持つ。ルノワールは生きるということの刻々を変える不思議な光源を胸に抱いていた」と表現され、このルノワール評は見事である。そして最後には、「今でもわたしたちは印象派が世界にもたらしたやさしい光の残照を求めて花の都に赴く」と。なるほど、自分を考えてもそうだ。私はモンマルトルに行くためにパリへ行ったのであって、決してルーブルを観にいったわけではないのだから。
ルノワールに関しては、多分、このブログでも今後色々と触れていくと思う。だが、決してそれは私の一方的且つ勝手な思い込みであり、この画家に関しては公平に鑑賞することが出来ないのも事実である。音楽におけるブラームスと同じで、特別な思いが専攻してしまうのである。今でも実家に行くと「2人の姉妹(テラスにて)」、本家に行くと「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の複製画が飾ってあるが、これらを観るたびに自分の美術鑑賞の原点に返らされるのである。
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