音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

シークレッツ (トニー・ブラクストン/1996年)

2010-11-20 | ソウル・アフロアメリカン・ヒップホップ等


1960年代以降、アメリカ音楽界というのは実に保守的である。というか、勿論アメリカの音楽が面白かった時代は、ジャズの隆盛とロックン・ロールの出現、もうひとつは黒人音楽である。しかし、その黒人音楽もモータウンレーベルが設立されてからというものは、完全にこの類の音楽が商業化してしまい、作られたスタアの登場となった。勿論、ジャズもロックン・ロールも、最終的には商業音楽化してしまっている。1970年代の後半、イギリスではニューウェーブという新しい音楽ムーブメントが生まれ、その後の世界のポップ音楽を変えていったのに比べて、アメリカはディスコブームで終わり、ここから新しい音楽の可能性は殆ど生まれなかったが、日本ではソウルミュージックとディスコ・サウンドが都ほど明確に分類されていた訳ではなく、イメージ先行でソウル市コール、黒人イコール、ダンシングミュージック、イコール、ディスコという図式だったのかねしれない。正直、1970年代の後半は「サタディ・ナイト・フィーバー」をはじめとするディスコ音楽中心の映画のヒットがあったが、寧ろこれで出てきたのが白人ミュージシャンで、アメリカ音楽商業主義が機能し、ディスコで流れる曲の半数以上が何時しか、ソウルから白人ミュージシャンの曲に変わって行った。

そんな中、逆にソウルのミュージシャンは逆に「本物志向」が求められていった。基本的に黒人ミュージシャンというのは歌がうまく、リズム感も良くという印象があり、ステージもショウ的要素が強いという印象があるが、例えば、スティーヴィー・ワンダーやダイアナ・ロスといったところは、可なりポピュラーに近寄っていったし、マイケル・ジャクソンに至っては、もう殆どポップ・ミュージック、そして、プリンスはロックになっていった。それは多様性という言い方もできるが、一方で本来あるオーソドックスなソウル音楽を求める層も当然ある訳で、そんなファンの期待に応える様にスターダムにのし上がっていったのが、ディオンヌ・ワーウィックやホイットニー・ヒューストンである。彼女らはヒットチャートでも人気があり、またその才能は評論家からも支持された。トニー・ブラクストンそんな風潮の中、少し遅めのメジャー・デビューだったが、彼女の場合、昔からオーディション荒らし(別に荒らしてはいないが、どこへいっても高い評価だったので知れ渡った)であり、同時に姉妹も皆、歌が歌えるということで、先に5人姉妹グループ「The Braxtons」デビュー、トニーは5人姉妹の長女であった。その後、グループから独立してソロデビューが1993年、このアルバムはセカンド・アルバムとして発表され、シングルカットされた「You're Makin' Me High」がまずチャートの第1位、続いてシングルカットされた「Un-break My Hraet」は全米11週間第1位という大ヒット記録を作り、トニーの名前が全米のみならず世界中に広まった。そしてその年のグラミー賞その他数々の音楽賞に輝いたのである。トニの特徴は低い深みのあるセクシーヴォイスでどちらかというと高音で張り上げ系の多いポップ音楽、取り分けソウルミュージック界では希少価値であり、それが彼女の魅力にも繋がった。

しかしながらとても不幸なことに、トニーは二度の自己破産になっている。最初はこのアルバムが大ヒットした直後の1998年で、その後は胸の病気や住宅ローンのトラブル、そしてレコードレーベルとの契約トラブルに見舞われるという不幸な境遇の中、今年、久しぶりにアルバムを発表したが、つい先日、二度めの自己破産を申請した。負債額は8億とも40億とも言われているが、どうして、こんな才能の持ち主がこうなってしまうのかは残念でならない。


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1 コメント

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Unknown (CCC)
2011-10-01 04:42:48
アメリカで最後に生まれた「世界に広まった新しい音楽」はヒップホップなんじゃないかと思います
それ以外は概ね同意

にしてもトニーって家族とグループ組んでたのか初めて知った……
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