シューベルトが苦手だった。しかし、ピアノ教室の諸先輩もそう言われていた。無論、ショパンやリストを弾く人達だから、レベルが違うのではあるが…。
しかも、私の場合は少し理由が違う。それは、この交響曲第8番(最近第7番に訂正された最初に聴いたときは8番だった。)が、ルートヴィッヒの「運命」の裏面に録音されていたことに起因する。
運命と言う、理論的には高度だが、一方でとてつもなくポピュラーに近い名 . . . 本文を読む
この頃、私の音楽との関わりにおいて、大きな事件があった。
学校で「音楽鑑賞会」に出掛けたのだ。
小学校何年生の事だかは、詳しく覚えていない。なにしろ、私は、当時流行歌にはとんと疎かったから、例えば流行っている曲の1曲でも覚えていれば、何年の事
だか分かるのであるが、それに関しては全く自信がない。
この鑑賞会については、さわりを「水上の音楽」のところで書いたが、初めてのオケの公演は、大変興 . . . 本文を読む
私には兄弟がひとり、2歳下の妹がいる。彼女も幼稚園でオルガンを習い、私立小学校に入学し、同じ様にピアノ教室に入って来た。
しかし、彼女もオルガン出身で、指がねてしまうのと学校では正課にヴァイオリンの授業があり、どちらかというとそっちに比重がかかっていったのである。
そういえば前年に辛酸を舐めた発表会に、次の年は出演した。
発表会には、出演の順番があり、トリは勿論一番上手な人で大体が大学 . . . 本文を読む
クラシック音楽を全く聴いたことの無い人でも口ずさむことのできる旋律を3つ上げろと言われたら、私は迷わず、この曲と、アイネクライネナハトムジークと、エリーゼのためにの3曲を上げる。なんと、2曲はルードウィッヒの曲だ。
運命はとにかく父が好きだった。しかも彼はカラヤンでなければ駄目だった。私もこの曲の出だしは知っていたし、短いが完成度の高い曲だと思ったが、実は、カップリングされていた、シューベル . . . 本文を読む
この頃、父が買って来てくれたレコードに、タイトルは忘れたが、クラシックのオムニバス盤があった。2枚組で、いわゆる、誰でも知っているクラシック名曲かきあつめである。
現在はCDになり、クラシックベスト100みたいな内容が3000円以下で買えたりするが、当時は2枚組レコードでも結構値段が高くて、曲数は25曲程度である。だが、名曲集であったので結構擦りきれる程聴いた。
当時は、オムニバスシングル盤( . . . 本文を読む
このブログは実は自己の音楽遍歴を中心に、演奏の歴史と、鑑賞の歴史をバランス良く書いていく予定だったが、良く考えると、6歳から14歳はピアノばっかりだったから、鑑賞音楽もクラシックが多く、但しそれらの曲は、実は最初に聴いた時より歳を経て、一応色々はジャンルの音楽を聴き、奏でた後の方がずっと良く聴こえる。
それに、並行して書いているとどうもクラシックに偏ってしまうので、音楽遍歴にとらわれず書いてい . . . 本文を読む
わたくし的にいうと、先のビートルズの「レット・イット・ビー」の直後に出会った洋楽がこのグループだが、正直、結構度肝を抜かれた記憶がある。
要するにジャンルはロックであるのに、オケの様な編成、ブラスセクションの格好良さであった。
当時はピアノを中心に、聴いている音楽の殆どがクラシックだったから、金管楽器の迫力と、やはりサックスだったのかなぁ…。クラシックにはない迫力を感じた。
ビートルズはメロ . . . 本文を読む
ヨハン・セバスティアン・バッハとの出会いはいつも衝撃的だ。
私は幼稚園からずっとミッション系だったので、多分讚美歌の旋律は自分のベースになっているのだと思う。楽器としてピアノを始める前からの物である。だから彼の作品、特にカンカータなどは、空気や水の如く、ごく自然に吸収される。なぜか、どれも初めて聴いた気がしない。それは、小学校以降いつも彼の曲を聴いてそう思ってきた。
だが、それ以外の曲はすべて . . . 本文を読む
この頃、私はピアノ教室との約束をひとつ破っていた。それは教室から出された課題曲以外は絶対に弾かない事である。
当時歌謡曲が相当流行っていて、平凡とか明星という芸能界雑誌には必ず付録に歌の本がついていて当然五線譜も半分以上は載っていた。それらは、教室に通っている生徒には即興で意図も簡単に弾ける五線譜だから、先生はそれを避けたかったのだろう。だから良く学校で昼休みや音楽授業前の休み時間に、友人に . . . 本文を読む
洋楽で一番最初に自分で買ったLPレコードだったと思う。同年代では、このアルバムか、少し後で、クイーンの「シアーハートアタック」というケースが多いと思う。同名シングルは日本でも60万枚のセールスを記録するほどの大ヒットだったと記憶している。
ただ、個人的にはこのアルバムでは、アクロスザユニバースが好きだ。
ビートルズというグループは私には飛び抜けて凄い影響を与えなかったのは、どちらかというとメ . . . 本文を読む
クラシックで最初に買ったレコードはこの曲だったと思う。
この曲に出会ったのは小学校で連れて行かれた、音楽鑑賞会。
他にエルガーの「威風堂々」等が演奏されたと記憶しているが、この曲が一番印象に残ったのは一番オーケストラっぽかったからかも知れない。
別の記事でいずれ触れと思うが、もし、この鑑賞会にピアノがフューチャーされた楽曲が演奏されていたとしたら、私の音楽人生は大きく変わっていたと思うが . . . 本文を読む
私立の小学校はピアノを弾ける生徒が多いというのは私の学年には当て填らなかった。だから、音楽の時間は私の為あるようなものだった。音楽の専任教師は芸大卒のガチガチのクラシック至上主義者。楽器のひとつでも出来て当たり前的な方だったから、私は月一度は必ず授業中に弾かされた。自信のない声楽も歌わされた。当時、ピアノ教室ではすでに「野ばら」なんかは原語で教わっていたから音楽教師も伴奏してくれたが、それは見事 . . . 本文を読む
年2回、ピアノ教室の発表会があった。この教室には生徒が60人くらい、小学1年生から、上は大学生迄。その生徒が一堂に会するのであるが、前回記したピアノ教室のシステムだった為に、殆どの生徒は顔見知りだった。
但し、この発表会に出るには一つ条件があり、当時のバイエル赤版をすべて終了していなければ、発表会の課題曲が貰えないのであった。
当時、私にはひとりのライバルが居た。同じ幼稚園に通っていたRさ . . . 本文を読む
ピアノ教室はけっして苦痛では無かったが、大好きという訳でもなかった。週3日も、1日は土曜日だったから特に大変でも無かった。
今考えてみると、このピアノ教室のシステムはとても面白く、大体レッスンの時間は決まっているが、順番に関しては割と自由である。40帖くらいの広いサロンがあってその真ん中に大きなグランドピアノが置いてある。入口付近に大きな丸テーブルがあり、その真ん中に楽譜が沢山あり、待ち時間 . . . 本文を読む
幼稚園の時、演奏会でオルガンを担当することになったのが楽器との出会いである。オルガンといっても足でペダルを踏む木製のオルガンではない。電動製であるが、はたまた、エレクトーンとも違う。同じ製品を父が練習用に買って来てくれた。まだ、おたまじゃくしもよめなかった。
演奏会は拍手喝采だった。だが、何を演奏したか今では覚えていない。
このこともあって、母は地元のピアノ教室に私を入れようとしたが、芸 . . . 本文を読む