始めて大トリを取った時のことは克明に覚えている。そのときのプレッシャーは、今でも脳裏に焼き付いていて、目を瞑ればすぐにでも再現できる。
小学校6年の初夏。この年に限って毎年開催されていた区民館が改築とかで、産業文化会館という近隣のホールに場所が変わったが、入場定員が倍以上の大きな会場だった。しかも、ピアノもスタンウェイで、終盤に演奏する数人だけが参加する前日のリハの際に既に上がっていた。もう . . . 本文を読む
ピアノ教室の設立記念か何かの際に頂いたこの「音楽小事典(小辞典だったかもしれない)は、後々の私の人生に大きな影響を与えたと言っても過言ではない。
というのは暫くの間、この本が私の愛読書になった。本来、辞書とか百科事典などを読んでいる(調べるのでなくひたすら読む)のは好きで、だから雑学は得意なのかもしれないが、なぜか、辞書や事典は飽きることがない。そういえば実家にはブリタニカなんていうシリー . . . 本文を読む
ピアノは順調だった。
この時代は与えられる曲がいつも楽しみだった。相変わらず、「練習曲」と一般に表現されるものであるが作曲家がショパンを筆頭に著名なアーティストだっただけに、意欲も高かった。
しかし、この当時やはり音楽関連で二つ大きな「断念」があった。
それは、クワイヤー(聖歌隊)とドラム隊であった。
ミッション系の小学校だったので、ミサの時には必ずクワイヤーが聖歌の歌唱を先導する。ク . . . 本文を読む
泣くもだまる4チャンネルステレオを手に入れた私は、いつしか、音楽のリスナーへと変貌していった。私は書籍と音楽ソフトと映画ソフトをやたらと沢山持っているが、それは父親の影響であると思う。
とにかく父親はこの時期、良くレコードを買って来た。勿論、その95%はクラシックで、更にその6割以上がルートヴィッヒであり、又、交響曲が多かった。そして、殆どがカラヤンであった。
リスナーとして聴くクラシック . . . 本文を読む
この頃、私の音楽との関わりにおいて、大きな事件があった。
学校で「音楽鑑賞会」に出掛けたのだ。
小学校何年生の事だかは、詳しく覚えていない。なにしろ、私は、当時流行歌にはとんと疎かったから、例えば流行っている曲の1曲でも覚えていれば、何年の事
だか分かるのであるが、それに関しては全く自信がない。
この鑑賞会については、さわりを「水上の音楽」のところで書いたが、初めてのオケの公演は、大変興 . . . 本文を読む
私には兄弟がひとり、2歳下の妹がいる。彼女も幼稚園でオルガンを習い、私立小学校に入学し、同じ様にピアノ教室に入って来た。
しかし、彼女もオルガン出身で、指がねてしまうのと学校では正課にヴァイオリンの授業があり、どちらかというとそっちに比重がかかっていったのである。
そういえば前年に辛酸を舐めた発表会に、次の年は出演した。
発表会には、出演の順番があり、トリは勿論一番上手な人で大体が大学 . . . 本文を読む
この頃、私はピアノ教室との約束をひとつ破っていた。それは教室から出された課題曲以外は絶対に弾かない事である。
当時歌謡曲が相当流行っていて、平凡とか明星という芸能界雑誌には必ず付録に歌の本がついていて当然五線譜も半分以上は載っていた。それらは、教室に通っている生徒には即興で意図も簡単に弾ける五線譜だから、先生はそれを避けたかったのだろう。だから良く学校で昼休みや音楽授業前の休み時間に、友人に . . . 本文を読む
私立の小学校はピアノを弾ける生徒が多いというのは私の学年には当て填らなかった。だから、音楽の時間は私の為あるようなものだった。音楽の専任教師は芸大卒のガチガチのクラシック至上主義者。楽器のひとつでも出来て当たり前的な方だったから、私は月一度は必ず授業中に弾かされた。自信のない声楽も歌わされた。当時、ピアノ教室ではすでに「野ばら」なんかは原語で教わっていたから音楽教師も伴奏してくれたが、それは見事 . . . 本文を読む
年2回、ピアノ教室の発表会があった。この教室には生徒が60人くらい、小学1年生から、上は大学生迄。その生徒が一堂に会するのであるが、前回記したピアノ教室のシステムだった為に、殆どの生徒は顔見知りだった。
但し、この発表会に出るには一つ条件があり、当時のバイエル赤版をすべて終了していなければ、発表会の課題曲が貰えないのであった。
当時、私にはひとりのライバルが居た。同じ幼稚園に通っていたRさ . . . 本文を読む
ピアノ教室はけっして苦痛では無かったが、大好きという訳でもなかった。週3日も、1日は土曜日だったから特に大変でも無かった。
今考えてみると、このピアノ教室のシステムはとても面白く、大体レッスンの時間は決まっているが、順番に関しては割と自由である。40帖くらいの広いサロンがあってその真ん中に大きなグランドピアノが置いてある。入口付近に大きな丸テーブルがあり、その真ん中に楽譜が沢山あり、待ち時間 . . . 本文を読む
幼稚園の時、演奏会でオルガンを担当することになったのが楽器との出会いである。オルガンといっても足でペダルを踏む木製のオルガンではない。電動製であるが、はたまた、エレクトーンとも違う。同じ製品を父が練習用に買って来てくれた。まだ、おたまじゃくしもよめなかった。
演奏会は拍手喝采だった。だが、何を演奏したか今では覚えていない。
このこともあって、母は地元のピアノ教室に私を入れようとしたが、芸 . . . 本文を読む