音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

囚われの天使 (ダン・フォーゲルバーグ/1975年)

2013-01-15 | ロック (アメリカ)


前作"Souvenirs(「アメリカの想い出」)"で大きな飛躍を遂げたダン・フォーゲルバーグであるが、この作品では一般的にも、また、特に筆者にとっても、ちょっと不思議な作品になっている。このことは後述するとして、この時期にダンは、活動の場所を何故かコロラドに移している。それと共に大きく彼が変ったことが、シンプルな楽曲とは別に「多重録音」を駆使し始めたことだ。前作はジョー・ウォルシュを筆頭に多くの「明日のアメリカンロック」を担う音楽家たちと共に作り上げた、言わば、アメリカを代表するオトであったが、この作品からダンはベースになる音楽を自分で作曲、録音し、そこに、その音楽のテイストにあったミュージシャンを探して彼らとセッションしその音を重ねて録音する手法を構築・完成させていった。だが勿論、その多重録音に最も多く参加したのは、ダン自身であることは間違いなく、その音楽姿勢が後に「ひとりCSNY」と言われる所以となった。

だが一方で、この作品で気になることは、どことなく「元気のない」、また「苦悩な」ダンを象徴していることだ。まずはタイトルが"Captured Angel"(邦題「囚われの天使」)であり、このアルバムのジャケット(そのジャケットはダン自身が描いた作品である)も同様、どこかに悲しさ、寂しさが暗示されている。ダンの楽曲というのはそれまで確かにバラッドも多く、楽調もシンプルなものが多かったが決してネガティヴなものは全くといってなく、どちらかというと人間の内面には拘らなっかったところも特徴のひとつであった。しかし、今回はこのアルバムのタイトルとテーマに見られるように「囚われの天使」という、そこに自身を反映している。これに関しては多くの評論家が「失恋の実際」を音楽にしたものだと論調しているが、その確かな部分は筆者には分からない。無論、そういう歌詞の記述が実際、収録された曲の中にないわけでもないがそれで失恋をテーマにしているのかどうかの判別は難しい(コロラドへの移転も失恋を癒すためだと言う見方もあるらしい)。だが、一方で、新しい出会いとして、後々日本でも大人気となるJDサウザーを迎えて"Next Time"という名曲を残しているが、ファンとしては寧ろこちらを特筆したい。また、その次の曲"Man In The Mirror/Below The Surface"は所謂「ダン・フォーゲルバーグ節」であって、これから後の彼のアルバムにも必ずと言って入ってくるし、それが後々のアルバム「フェニックス」では"Wishing On The Moon"でメジャーに開花する。そんなことを考えるとこの作品は前作で培った良い経験を一旦自分の中に落とし込んで、それが開花する、そう、ダンという「フェニックス」的にいえば、飛翔に向けてのエナジーの蓄積、その第一段階にあった作品だったと言える。しかし、その段に置いて、逆に商業音楽界はこの作品を必要以上に高く評価した。彼はこの段階で「もし、ウエストコーストのソフト・ロックを聞きたいと望むなら、このダン・フォーゲルバーグに夢中になるはずだ。」と評されたことは大きな予定外だった筈だ。ダンの基本は「描写を得意とした芸術家」であり、だが、この時点で彼自身の「心の内面」の描写は、絵画のように完成はしていなった筈で、そのギャップが彼のジャケットの「天使の絵」とこの音楽に見られる。その内面への葛藤が音楽表現として「多重録音」に走ったとしたというのは少し穿った見方かもしれないが、筆者はこれまでの作品を振り返ると、実はその可能性はかなり高いと思われる。

そしてこの次の作品では、そんな商業音楽との一線を介するように描写に走る。ある意味でこの時点の音楽的な評価はダンにとってはちょっと大きすぎたし、少し重荷になっていた。そんな「結果論」だけを捉えた後付けのこの作品に対しての評論が多いのも残念で、そういう意味ではファンにとって「不思議な作品」なのである。


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1 コメント

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Unknown (Seko-M)
2013-01-16 23:19:03
Dan Fogelbergを聴くとturtooneを思い出しますわ!

あの頃は良かったですね。
若かったし (笑)

私は次のアルバムが好きだなぁ・・・

あ、ご存知でしたよね。
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