クラシック音楽界でモーツァルトと並ぶ、神童・天才といわれたのはこのサン=サーンスを他において居ない。1835年、ブラームスより2年遅れて誕生、いわば同期であるが、官吏の家に生まれ2歳でピアノを弾き、3歳で作曲、10歳でバッハやベートーヴェンの楽曲をを弾いたコンサートを開き、16歳で交響曲を書いたといわれる。また、絶対音感の持ち主だったらしいが、音楽家で絶対音感を持っていたという記録があるのはモ . . . 本文を読む
前回書いた「マーラー第1番巨人」はそこそこちゃんと纏まったかな。でもマーラーは最近漸く聴くのはしんどくなくなってきたが、書くのはなかなか辛い(というか余りにも今までの自分の音楽に関する取り組みが自己満足だった点をさらけ出す様で恥ずかしい)。だが、一方で今マーラーに向き合わなかったら、いつ向き合うのかという使命感もある。尤も、実は演奏家が一番大変なんだろうと思うが。だから、実はマーラーの鑑賞文は . . . 本文を読む
私にとっては実は不思議な音楽家がひとり居る。どういう御仁かというと、交響曲を聴いていて、ベートーヴェンに疲れたとき、更に、ブラームスですらちょっと受け付けない時、ましては全く気分転換でマーラー(彼の場合長いということもあるが・・・)の交響曲すら聴きたいという精神状態のとき、それでも、協奏曲や室内音楽、ましてやオペラなんて全然受け付けない時、一人だけ最後に交響曲を聴ける人。それは、何を隠そう、こ . . . 本文を読む
シューベルトという音楽家は本当に謎が多い。そして、その謎の多い一方でなかなかそれが解明されていない。私は小学校の音楽の時間に、「偉大な音楽家」として音楽教室の後ろの壁に左から肖像画が並んでいた音楽家だけは最低全部名前と顔が一致するようになれといわれ(もっともピアノ教室でも同じようなことを言われ、顔と名前は一致したが)その順番は今でも忘れない、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴ . . . 本文を読む
パガニーニこそは、ご存知、ヴィルトゥオーソの先駆者である。音楽界における大きな変化のひとつにこのヴィルトゥオーソの出現がある。世の中は資本主義の発展とともに、技術革新によって楽器も大き発展していた中で演奏家のあり方も考えられ、これに拍車を掛けたのが情報流通の発展である。彼らの名声は音楽雑誌等の宣伝にも大きく依存され、ここに音楽における「競争社会」が激化してきたのである。特に、19世紀前半のパリ . . . 本文を読む
偉大な音楽家ベートーヴェンを語るときにどうしても不可欠な要素が3つある。ひとつはピアノ・ソナタで、これは後々にはピアノ協奏曲にも通じる。そして交響曲。これはハイドンやモーツァルトが作った骨格にまさに生命を吹き込んだ。交響曲という領域では後々の音楽家の殆どすべてに多大なる影響を与えた。そして、もうひとつが弦楽四重奏曲である。これはベートーヴェン自身が最後の最後まで拘った。そして、驚くべきことに、 . . . 本文を読む
モーツァルトの代表的なピアノ協奏曲の鑑賞記を書いてきたが(21、22、24番も何れアップする予定)、やはりこの第27番変ロ長調(K.595)は、ピアノ協奏曲というジャンルを代表する名曲である。グリーグも、皇帝も、又私にとってはブラームスも良いが、この楽曲はそれまでのモーツァルト自身のピアノ協奏曲とも違う、当然、それまでのピアノ合奏曲とも違う一線を画した素晴らしい楽曲である。というか、結構長いこ . . . 本文を読む
食わず嫌いという言葉があるが、当然、音楽だってそういうものもある。例えば、音楽のジャンルで言えば、私はシャンソンなんてその部類に入ると思う。というかシャンソンって音楽のジャンルとして確立しているのだろうかとも思うし、どちらかというと先にカンツォーネありきで、イタリア民謡があったからこそ、それをフランス語で表現した。それに、どうも日本でのシャンソンの扱われ方とか取り組み方が余り好きではなくて、な . . . 本文を読む
ブラームスの1番というと、やはり「ブライチ」で、どうしても交響曲第1番のことになってしまうが、私は、同じ1番でも、ヴァイオリンソナタ第1番が、ブラームスの1番の中では一番完成度が高いと思っている。尤も、古典派時代の作曲家と違って、この頃の人たちは余り同じジャンルで何曲も沢山作曲をしないから、第1番が多いのだが、因みにブラームスで言えば、ピアノ協奏曲も、弦楽六重奏曲も、第1番が良い。この曲が作曲 . . . 本文を読む
モーツァルトのピアノ協奏曲の内、唯一、表題がついているのがこの曲である。それだかどうだかピアノ協奏曲の中では結構有名なのであるが、当時は全くといって人気の無い曲であった。ウィーン時代、毎年カーニバルのシーズンに予約演奏会を開催し、呼び物のピアノ協奏曲により大きな人気を博していたモーツァルトであったが、皮肉なもので作品の内容が深みを増すと共に、モーツァルトの人気は落ち目になっていったのである。1 . . . 本文を読む
実は、フランスの音楽家というのはたくさん輩出しているにも係わらず、私の勝手な意見としては余り音楽的に感動したり評価している音楽家はいない。ベルリオーズ、フランク、サン=サーンス、ビゼー、フォーレ、デュパルク、デュカス、サティと誰をとっても然程、心に響く音楽(勿論、何曲かは名作と呼ばれるものは作っているが・・・)というのが少ない。というか、フランスという国は「芸術の国」なのであるが、例えば、文芸 . . . 本文を読む
このブログで先日ブラームスの「交響曲第2番」の鑑賞記を書いているときにふと気づいたのだが、そういえばシューマンも交響曲を書いていることに気がつき、私の勝手な持論で、彼とショパンがロマン派音楽確立の基礎を作り上げたと言っているが、果たして、彼の交響曲観というのはどんなものだったのだろうかと言うことを探索したくなってしまったのだ。なぜなら、彼はかのブラームスの師であり、また、ブラームスをこの音楽界 . . . 本文を読む
今年2009年は、メンデルスゾーンの生誕200年である。実はそんなことを昨年から結構大きな声を出して言っていたが、クラシック関係者には殆ど相手にされなかった。それで蓋を開けたら、ハイドンの没後200年の方が大きく取り上げられて、なるほど、音楽関係者ってそっちなのかと・・・? だが、待てよ、今年がメンデルスゾーンの生誕200年ということは、この時期はロマン主義音楽家が次々に誕生している筈だからと . . . 本文を読む
ピアノ協奏曲というと、やはりこの曲には触れておかないといけないのかな。世界でも聴かれているが、特に日本で人気があるのが、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番である。この曲はクラシック・ファンにもこよなく愛されていて、また、クラシックを良く知らない人も(曲を知らなくても)題名は知っているという不思議な曲だ。変な話であるが、私の後輩がちょっとインテリぶったIT企業の男子社員と合コンの際に好き . . . 本文を読む
ピアノ協奏曲を、何れもワルシャワ時代に2曲書いているショパンであるが、実際に完成したのは、この第2番が先であり、第1番と順番が逆になったのは出版の順序が逆になってしまったからである。「ピアノ協奏曲第1番ホ短調」の鑑賞文では触れなかったが、この時期に大恋愛をしていた。ショパンの初恋の相手は、コンスタンツァ・グワドコフスカヤという人でワルシャワ音楽院在学中にめぐり合った年下の声楽科の女性であった。 . . . 本文を読む