音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

フューネラル (アーケイド・ファイア/2004年)

2012-08-20 | ロック (ヨーロッパ・その他)


音楽のブログなので余り(直接的に)政治的な事を書きたくないが、このバンドについて触れるにはどうしてもそういうことも書かないと辻褄があわなくなってしまいそうだ。9.11で世界一の超大国であるアメリカが攻撃を受けたことで、時の指導者(最高責任者)は全く不可解な戦争をはじめる事となった。ロック界も世界同時多発テロには大きく反応した。ミュージシャン達はそれぞれを立場でそれぞれの主張を始めた。最初は殆どがライブを自粛・中止、作品発売の延期、一方でニール・ヤングなどは10日後にチャリティを開催、この動きには多くの大物ミュージシャンも追従した。チャリティ・アルバム「ゴット・ブレス・アメリカ」は全米1位にもなった。だが、このチャリティ精神とは全く程遠かった前述のブッシュの政策に、ロック界はいよいよ政治的なメッセージを発するように急変した。特に2003年のイラク戦争に対する反発はものすごく、ブラービースティーのような反戦ソングにはじまり、それまでは政治色に関しては皆無だったミュージシャン、特にグリーン・デイナイン・インチ・ネイルズ、更にリンキン・パークまでもが自分たちの立場表明を顕なもののとした。

アーケイド・ファイアもそんな特別な存在になってしまった。そもそもこのグループはウィン・バトラーとレジーヌ・シャサーニュの、後には夫婦になる二人によるソングライティング・ユニットを中心として結成したが。このウィン・バトラーと弟ウィリアムの出身地が、あの権力者の膝下テキサスだったために彼らは颯爽と故郷を捨てカナダへ移住した。この3人を中心とした大所帯の集団は、基本的にはオルタナティブ音楽で足場を築きながらも、多岐で奇想天外な広がりをもった音楽を展開するが、これはひとえにウィンの反戦という姿勢は大きい。政治がその役割を施さないのなら、しかも道理に叶ったことをしないのであれば、音楽だってもう枠に填っているだけではなにも変わらないという意欲が全編に溢れている、まさにこの作品、言うなれば心と魂の叫びである。アルバム中、4曲が"Neighborhood"(隣人)と題された連作になっていて、#1Tunnelsでは「僕は君にむかってトンネルを掘るんだ」とロックシーン2000年代のマッチョイズムに対しての幻滅についてまで出口を見つけたんだと言っているところも、彼らのなにに関しても囚われない、そして音楽にもその奔放さが強い意志と共に存立しているのである。この時期、前述のグリーン・デイは反ブッシュ一色だったし、それは彼らの攻撃的な姿勢とも相俟って多くの支持を得た。この作品もカナダの音楽ファンを席捲し、反ブッシュは勢いを増していたが、2004年ブッシュは再選された。この事で、彼らもグリーン・デイも、次なる名作を産むこととなる。なんとも皮肉な話だ。

本作品のタイトル”Funeral”は「葬儀」。ファーストアルバムにこの表題をつけた意味は多く、メンバーに続けて9つの不幸が続いたとか、ブッシュを葬り去るとか色々想定されたが、それよりももっとポジティブにロックのあるべき姿を模索していたのだと作品を聴いているとそう思う。多種多様な音楽は時として亡霊を招聘するサウンドだと批判した評論も後を立たなかったが、結果、音楽はなにかできたのかって言う総括をしつつ次に向かっていく彼らの様な信念のあるミュージシャンと出会えるのも音楽の持つ有難い一面であるのだから。


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