音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ラ・フォリー ~狂人館~ (ストラングラーズ/1981年)

2013-08-15 | ロック (イギリス)


パンクロックはリアルタイムで遭遇したポップ音楽の一大ムーブメントであったが、実は個人的には当時、今ひとつピンと来ていなかった。理由は三つあって、当時音楽活動をやっていたにも関わらず、周囲では然程話題にならなかったし、勿論、誰も演奏してみようなんて言わなかった。二つ目に、当然、ピストルズがその中心であったが、パンクロックという括りでいうと、ロンドンとニューヨークのアーティストの括りが当時の日本のニュースソースでははっきりしなかった(以前、このブログのどこかで書いたと思うが、某ミーハーロック音楽雑誌に「ピストルズとその仲間たち」みたいな感じで「ラモーンズ」、「クラッシュ」、「パティスミス」なんかが紹介されていた。動物図鑑かと思った)。三つ目にそのムーブメントは大変短期間で、すぐその勢いがニューウェーヴ・ロックへと引き継がれて行ったこと。この中で、やはり一番大きな要因は三つ目で、筆者はこの期間で、一気にニューウェーヴに傾倒していった。だから、その範疇で考えてしまうと、パンクはニューウェーヴの中の一要素的な認識だったのは事実である、勿論この誤解は後年、四半世紀くらい経ってからやっと修正することができたが。

ストラングラーズは、前述の動物図鑑に紹介されていた。で、当時、ロンドンとかニューヨークとかそんなことは関係なく(前述したように、この誤解も後年、修正した。大事な点だった)この仲間たちの中ではパティとか、テレヴィジョンとか、ストラングラーズが結構気に入っていたのだったが、今考えると、その共通項はインテリだったという点だったかもしれない(筆者がインテリだというのではなく、このミュージシャンの出自が・・・。ただ、クラッシュも「ロンドン・コーリング」でニューウェーヴ化して、また、ピストルズに関しては、ジョン・ライドンのP.I.L結成とその音楽姿勢に関して、実は更にインテリだったことでは驚きを感じたが・・・、これも後年)。だが、その後暫く忘れていたこのバンドのことを再び発見したのが、全米チャートに於ける彼らの活躍ぶりだった。このアルバムに収録されている"Golden Brown"がビルボードのチャートを徐々に上昇してきた際、如何にも筆者好みの変拍子と聴き覚えがある、明らかに英国人ヴォーカリストの声質が気になったのは必然であった。それがストラングラーズだと分かったと同時に、久々に彼らのレコードをターンテーブルに載せるまでは、何時間もかからなかったと記憶している。実は、途中、2作品程抜けてしまったが、1曲めの"Non Stop"を聴いた際に、間違いない、ストラングラーズだと。しかし、一方で筆者の知っている彼らとは全く違う要素がふんだんに盛り込まれているのも事実であった。それが、前述のシングルに象徴される彼らの新境地(筆者に取って・・・、かもしれないが・・・)である、ロマンチックな部分、或いはエロチックというのが正しいのだろうか、でも、間違いなく初期の彼らの音楽には全くなかった部分であった。

この時代、筆者自身がポップ音楽の中で、行き場所を探してもがいていたのも事実である。プログレがなくなって、拠り所(というより、地盤かもしれない)がなかった。ニューウェーヴは凡ゆる方向にベクトルを広げ過ぎてしまった。街にはダンスポップが溢れていて、好きではないテレビを点けても、ミュージックビデオが流れてくる。そんな時代に、昔の曲でなく、その時代のミュージシャンによる斬新な変格を遂げた姿に時を経て巡り合えた事実が、実は一番嬉しかったのかもしれない。


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