あび卯月☆ぶろぐ

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江藤隆美氏、死去

2007-11-24 01:39:10 | 歴史・人物
元衆院議員の江藤隆美氏が22日午前、訪問先のベトナムで死去した。
江藤氏は総務庁長官などを務め、自民党の旧江藤・亀井派の会長だった。
マスコミには抵抗勢力、派閥政治家、利権政治家の権化のように扱われ一般にも甚だ評判が悪かったように思うが私は案外好きだった。
政治家として実際にどのような活動を行っていたかについては確かに評価の分かれることろであろうが、少なくとも歴史認識、国家観において氏は立派な政治家であったと思う。

総務庁長官当時の平成七年に、日韓併合についての発言が国内外の反発を招き、辞任に追い込まれたことがあった。
しかし、いま改めて読んでみても寸毫も問題ある発言だとは思えない。
むしろ私からみれば随分バランス感覚の取れた人であると思う。
そんな江藤氏をして新聞は「タカ派論客」などと書くのだからよほど頭の中が左巻きになっているのだろう。

以下、問題とされた発言を掲げる。


あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら,国際協定は成り立たない。
サンフランシスコ条約でもほかに結びようがありましたか。日米航空交渉,日露
航空協定もそう。強い国と弱い国,ほかに方法がないわけだから。直接,脅かして
心理的,政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時はおれの国が弱くて
やっつけられたときだから仕方がなかった。
  日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。軍を配置して
暴動を起こさせなかった。民族を統合するというのは,そりゃ反対がある。
  しかし,日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった。高等農林学校を作り,
ソウルに京城帝国大学をつくり,一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかった
わけだから,鉄道5千キロ,港湾の整備,開田,水利をし,山には木を植えた。
いいこともやったが,誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今,尾を引いている。
  全国民に創氏改名をやらせたとは思えない。あのころ,同級生で朝鮮人名で
何人も勉強していた。そのままの名前で陸軍中将にまでなった人がいる。今日,
日本では経済界,芸能界,野球選手とあらゆる面で韓国人が活躍している。
韓国から日本に来て,あらゆる階層で活動するようになった。日韓併合条約の
大筋の効果だったかもしれない。
  朝鮮人蔑視の過ちをしてきたが,台湾には反省して戒めた。台湾では今も俺は
日本人だという人がいっぱいいる。おれは日本語以外使ったことはないという人も
いっぱいいる。日本の軍隊に参加した人もいる。だから朝鮮の統治について日本は
幼稚であり,無策であった。民族の誇りを傷つけた。部分的に日本の政策に
反対するものに弾圧をした。
  日本の侵略について,日本人全体としては植民地と思っていなかっただろう。
だから内地,外地と呼び,外地を内地の水準に高めようとした。李王朝の金銀
財宝を日本に持ってきて飾っているようなところはない。フランスのルーブル美術館,
イギリスの大英博物館は世界中からかっぱらってきた。日本は中国からも韓国からも
そんなことはしていない。



以上のような歴史的事実に基づいた至極真っ当な発言が「問題発言」とされた時代があったのだ。
いや、もしかすると今でも問題になるかもしれない。
だとするならば、我が国は戦中と変わらず、「本当のこと」が云えない国である。
いま、戦前を「言論の自由がなかった!」と高らかに主張している手合は同じ口で今の時代の言論を統制すべく「右翼」だの「タカ派」だのと叫んでいるのである。
まったく滑稽というほか無い。

他にも、江藤氏は韓国の金泳三大統領(当時)が村山富市首相(当時)との会談を取り消すことを進言したり、
「最近、中国・韓国などの不法滞留者が群をなして強盗をしている」
「『南京大虐殺の犠牲者は30万人』というのはウソだ」
と述べたり、
また、歴史教科書の「従軍慰安婦」記述にも反対していた。
ついでにいうと小泉改革にも反対していた。
いやはや、日本にもマトモな政治家がいたのである。

謹んで江藤氏の御冥福を御祈りしたい。