あび卯月☆ぶろぐ

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伊集院光・著『のはなし』 改訂版

2007-11-11 00:28:21 | 書評・雑誌
今日、書店で伊集院光の『のはなし』を手にとって奥附をみてみると第三刷とあった。
伊集院さん本人もラジオで言っていたようにじじつ売れているようで、ファンとしては嬉しい限りだ。
ベストセラーが大嫌いでベストセラーと名のつくものはなるべく避けてきた私だがこの本ばかりはベストセラーになって欲しいと節に願う。
いや、やっぱり“ベストセラー”にはならなくてよいかな。
まぁ、少なくとも岡田斗司夫の本よりは売れて欲しいな(笑)
(それじゃあ十分ベストセラーだね)

この本、私は出版されてすぐに買って読んだが、好著であった。
ファンの間でテレビに出ている伊集院光を白伊集院、ラジオでの伊集院光を黒伊集院と呼んでいる。
多くの人は白伊集院しか知らないだろう。
すなわち、さんま御殿やスパーモーニングなどで無難な面白話、あるいはコメントをするデブというイメージである。
ところが、ラジオでの伊集院光はそれとは全くの別人である。
実際に聴いてみるのが一番だが、とにかく脳汁垂れ流しという表現がピッタリなほど、毒とシュールと下品と自己嫌悪とお馬鹿に満ち溢れている。

私はそんな黒伊集院が大好きなのだが、本書『のはなし』の語り手である伊集院光は黒でも白でもなく灰色なのだ。
いや、どちらかというと白に近いのだが、テレビでもラジオでも見せない姿を見せてくれる。
ほとんどは面白話をベースとしているのだが、その中にしみじみと感動できる話なども入っていて、白黒どちらの伊集院を知っている人も意外に思うだろう。
もっと正確に言うと、本書のなかでは白をベースに黒と灰色が混じっている。
まず、白の文章から紹介しよう。


二年くらい前だろうか、おちんちんが急に痒くなって困ったことがある。
(略)
とりあえず、痒み止めが欲しいのだが、場所が場所なだけに何でも良いというわけにはいかないだろう。
すぐそばの太腿に塗って何でもないアンメルツが、ほんの少量付着しただけで「火事だー!」となるあの場所だもの。
(略)
しかし、一番の難関がレジでの尋ね方だ。
「おちんちんが・・・」とはいい出しにくい。
「こういう場所[註:薬局]だから医学的な表現なら問題ないか・・・」と思ったが、おちんちんを表す医学用語は洋物ピンク映画のタイトルの定番になっているカタカナ三文字のアレだろう・・・とてもじゃないが口に出せない(略)」
(略)
レジにいた白衣のおばさんから「何かお探しですか?」といわれた。もうこうなったらいうしかない。この期に及んで一瞬だけ「股間のエッフェル塔が・・・」と小粋なパリジャン風の言い回しも浮かんだが、・・・

「あそこが痒いの話」より



失礼しました。
どちらかというと黒の方かも知れませんね。
伊集院さんはこういう話をさせると天下一品だ。
ハナから下ネタで申し訳ないが、股間が痒いというある意味ではなんでもないような話を最大限に膨らませて面白くする才能に恵まれている。
「火事だー!」という箇所には声を上げて笑わせてもらった。
男性なら一度はこういう経験あるのではないだろうか。
また、伊集院さんは洋物ピンク映画、略して「洋ピン」という表現が大好きで、ラジオでもたびたび聴かれる。
洋ピンは伊集院さんにとって(私にとってもだが)、エロの対象ではなく、笑いの対象である。

『のはなし』は基本的にこのような日常の些細な出来事を語ったものや少年時代や中高生時代の思い出話によって構成されている。
伊集院さんはラジオでもそうだが日常のなんでもないような出来事を膨らませて面白くする才能に長けている。
また思い出話も十二分に面白く話してくれる。
私もお手本としたい。

では次、「プールの話」から。


何より嬉しかったのが、プールの授業がスムーズに進んだ日にだけ与えられる『自由タイム』だった。
四時間目も残すところあと10分、プールサイドに全員が上がった状態で先生がおもむろにいう。「まだ少し時間があるな・・・」
その言葉を聞いてから誰からともなく湧き上がる『自由コール』。
「ジ・ユ・ウ!ジ・ユ・ウ!ジ・ユ・ウ!」それはいつしか大合唱となっていく。
ある者は手をたたき、ある者は足を踏み鳴らし、ある者は天に拳を突き上げて「自由!自由!自由!」。
しばらく黙ってその様子を伺っていた先生がいう。
「それでは・・・」。
一瞬、水を打ったように静まり返る群集。
そしてついに先生の唇が動く「・・・自由!」。
歓喜の声を上げ、次々とプールに飛び込む民衆、上がる水しぶき。
そうだ!われわれは自由を勝ち取ったのだ!
『自由』。なんという素敵な響きなのだろう!
犬掻きでも潜水でも何でも良い。
縦だろうが横だろうが決まったコースなどない。
塩素を踏もうが、帽子に水を汲もうが思いのまま、それが「自由」なのだ!



これなどは伊集院さんの文章の中で白眉とも言うべき箇所である。
こういう表現はラジオでもよくしていて、いつも爆笑させられる。
つまり、これも日常のなんでもない風景を誇張ないしは別の物語性を附加し、気が附くとまったく別の世界になっている。
ここでは、はじめ登場人物は小学生だったはずなのに気附くと階級闘争に勝利したプロレタリアートになっている。
私には目の奥には児童の足に鎖の後が見えた。

伊集院さんはラジオで自分の文章力の無さが嫌になるとの旨の発言を繰り返しており、それゆえ、本を出すことも何度かためらったようだが、なかなかどうしてこんな面白い文章なかなか書けたものではない。
すべて紹介しきれないが、これ以外にも伊集院さんの文章は本当に面白い。
いくら技巧に優れた文章でも内容が良くないと意味が無いし、技巧は訓練すれば巧くなる。
しかし、面白い文章を書くにはある程度、才能に左右される面がある。
私は伊集院さんの文章を読んでその才能を羨ましく思った次第である。

さて、お次はちょっといい話。「警備の話」から。


思い起こせば、17歳の時にお笑いを始めて今にいたるまで、小さいながらも「あ、俺いま一ランク上がった」と思う瞬間が何度かあった。
(略)
そんな中で今でも強く覚えているのが22歳の時の「岩田さんに認めてもらった瞬間」のことだ。
岩田さんは石川島播磨の造船工場を定年まで勤め上げ、それでも残った住宅のローンのために警備員をやっていたおっさんで、昭和から平成にかけての激動の時代に有楽町のニッポン放送の正面入り口の警備を担当していた人だ。
岩田さんは頑固なうえに責任感の強い人だから、ニッポン放送の入り口を通ろうとするあらゆる怪しい人物を止める。
っていうか完全に怪しくない人以外全員止める。
「生放送に間に合わない!」と駆けてくるリポーターも見逃さない。
「生放送に間に合わないリポーターを装った敵」の可能性があるから。
おそらく背中に大きく「リポーターでございます」と彫ってあっても入れないと思う。
むしろ入れない。そんなリポーター普通いないから。
20歳そこそこで、ラジオ局に出入りするようになったばかりの僕なんて当然ストップだ。
(略)
その後、オールナイトニッポンの二部を受け持つようになってからも、社員ディレクターが同行してくれているとき以外は岩田ストップ。
それがそのうち「あんたが悪い人間じゃないのはわかってるけど、俺も仕事だからよ」と声をかけてくれるようになったものの、受付行き。
そんなある日、いつものように岩田ストップを覚悟して入り口に行くと、岩田さんが僕を止めない。
「やや、岩田さんが僕を止めない、これは岩田さんを装った敵なのでは?この岩田さん風の警備会社の社員証を確認すべきなのでは…」と思いつつ、こっちから「あの…受付に行かなくていいんですか?」と尋ねると、岩田さんが入り口のロビーの壁を指差していった。
「随分出世したね」。
そこには、その日から始まった深夜番組聴取率強化キャンペーンのポスターがあって、中央に僕の顔写真がでかでかと載っていた。
たった一ヶ月だけの社内向けキャンペーン用に、オールナイトニッポンのパーソナリティの中で一番ギャラが低かったのを理由に起用されたのだが、ポスターそのものよりも岩田ストップなしで入り口を通過できたのがすごく嬉しかった。
初めて岩田さんに止められて実に2年の月日がたっていた。



こういう話はラジオでは滅多に聴けない。
伊集院さんは高校生のとき、三遊亭楽太郎に弟子入りする。
ところが、転身しラジオパーソナリティーを目指す。
『激突!あごはずしショー』というオーディション番組を経てオールナイトニッポンの二部を担当することになったがその時点でも楽太郎には隠したままだった。
伊集院光という芸名は自分であることを楽太郎にバレないために、優雅で自分とは似つかないという理由で附けたものだ。
この頃、伊集院さんは波乱万丈だった。
いわば死にものぐるいで頑張っていた時期である。(勿論、いまも十分頑張られていると思いますが)
それゆえ、岩田ストップを掛けられなかった時の喜びはひとしおであっただろう。
伊集院さんはラジオ界に入り、ラジオ界で奮励努力し、ラジオ界で出世した人だ。
伊集院さんほど、ラジオを愛している人間は居ないのではないだろうか。
だから近日公開された『Little DJ』という映画の中でディレクターが深夜三時以降のラジオを蔑ろにする姿勢を当り前のものとして描いており、その表現に本気で怒っていた。

また、本書を読んで伊集院さんの師匠である三遊亭楽太郎に対する敬愛の念が伝わってきた。
普段ラジオでは楽太郎に対して悪口のようなことしか言わないが、心の中では尊敬しているのだろう。
そんな師匠にまつわる話でもっとも心に残った箇所を紹介して終わりとしたい。


昔カバン持ちをしている頃、僕の師匠の三遊亭楽太郎が「俺さ、ステーキとか食っても贅沢しているって充実感は湧かないんだけど、吉野家の牛丼大盛りに玉子乗せて、その上に牛皿の大盛り乗せると『罰当たりなくらい贅沢してる』って思うんだよね。1000円くらいのもんなのに」っていったのを聞いたとき「この人のいっていること正しい」って思った。

「「お金持ち」の話」より



こういう感覚を持っていない人とはお友達になれない気がする(笑)