あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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ブログサーフィンをしてみた

2005-11-25 01:46:04 | 雑記
ちょいと、ブログサーフィンなるものをしてみた。
(そんな言葉があるのかどうかは知りませんが(笑))

で、やはり一番おもしろいのは政治に関しての議論が活発なブログ。
例えば森永卓郎氏のブログにおいて憲法改正の是非について
右派左派を交えての議論が交わされていました。

いや、実はそれは議論ではなく右派と左派の罵り合いであって、
およそ議論と呼ぶに相応しくないものでした。
ネット上には右だろうが左だろうが下品な手合が多すぎるように思います。
こんなことだから、メディア等に「ネットは云々~」と軽蔑されるのではないでしょうか。

人のふり見て我がふりなおせではないですが、
ネットで議論をする上で最低限の品位は失わないようにしたいと誓った今日このごろでした。

メディアは無くならない

2005-11-25 00:54:33 | マスコミ・新聞
23日にニュース23で「ネット時代のジャーナリズムを考える」と題して
ネット(主にブログ)とジャーナリズムとメディアの在り方について論議がなされていた。

(註:以下の文中で使われる「メディア」とは新聞やテレビなどの情報媒体、即ち狭い意味での「マスコミ」と定義しておく。)

その中で鳥越俊太郎が「ブログはナショナリズムに使われやすい。」と言っていた。
果たしてそれが本当だとしても、メディアの大勢がおよそ反ナショナリズム的であるからバランスがとれて良いではないかと思う。

それはさておき、筑紫哲也は某IT社長が「ネットがあるからメディア(マスコミ)は必要なくなる。」
という旨の発言を紹介しその言説を危惧していた。
しかし、筑紫さん安心されたし。メディアは決して無くならない。

一部の知的に怠惰な手合は「ネットとテレビの融合」なる幻想を喧伝しているが、
現代の日本において政治とマスコミが融合しないことと同じく
ネットとテレビメディアが融合することはありえない。
そもそも、ネットはメディアたり得ないし、メディアはネットたり得ない。
ジャーナリズムもメディアもネットも役割の棲み分けが出来ているからだ。
すこし概説すると、
ジャーナリズムはあらゆる事象(事件)の価値を判別し、記事にする。
メディアはさらにその記事を選択し、報道し、かつ、論説や解説を加える。
ネットはメディアの報道や論説・解説に対し個人的な立場から意見や評価を下す。
ネットがいくら擡頭したところでジャーナリズムやメディアが無くなる道理は無い。

また、ネットの現状を見ても明らかなようにネットは常にメディアに批判的であるし、
言い換えれば、ネットは第四の権力と云われるメディアを監視する役割を果たしているし、今後もそうあるべきだと思う。
考えられないことだが、仮にネットがメディアと馴れ合うようなことになれば、
それは、ネットの怠惰に他ならない。
翻って、鳥越氏のようにブログの擡頭は「ナショナリズムの擡頭」などと云うことは、
取りも直さず、“メディアの怠惰”であるということを心得るべきである。