きのふの地域調査法の講義で教授が以下のやうな事を仰つてゐた。
西洋人は肉體・裸體を欲望の根源として邪悪視する。
が、その割に西洋諸國の街角や公園には裸體の像が立つてゐる。
これはの「美」を裸體で表現しようとしてゐる爲である。
つまり、西洋人は肉體を邪悪視すると同時にそれを美しいものとみなす、という矛盾を内包してゐる。
一方、日本人はさういふ文化を持つてゐないのにも拘はらず、
西洋の眞似をして街角や公園に裸體の像を置いてゐる。
成る程、「西洋の猿眞似」と云はれても誰も反論できぬだらう。
西洋人は肉體・裸體を欲望の根源として邪悪視する。
が、その割に西洋諸國の街角や公園には裸體の像が立つてゐる。
これはの「美」を裸體で表現しようとしてゐる爲である。
つまり、西洋人は肉體を邪悪視すると同時にそれを美しいものとみなす、という矛盾を内包してゐる。
一方、日本人はさういふ文化を持つてゐないのにも拘はらず、
西洋の眞似をして街角や公園に裸體の像を置いてゐる。
成る程、「西洋の猿眞似」と云はれても誰も反論できぬだらう。