あび卯月☆ぶろぐ

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スパルタ教育と障害者

2007-12-22 01:55:43 | 言葉・国語
「スパルタ教育」という名前のお笑い芸人がいる。
つい先日、スパルタ教育は障害者を馬鹿にするネタをやっていたことが明るみに出て、公式サイトおよびブログが閉鎖され、活動も休止した。
ネタの内容はあまりにも下劣なのでここで紹介はしない。
私はブラック・ユーモアが大好きであるし、かなりきわどいネタというのもあってよいと思う。
しかし、ただ単純になんのひねりも諧謔もなく社会的弱者を貶めるようなものは芸でもなんでもない。
人を不快にさせるだけである。

スパルタ教育はかつて「爆笑問題のバク天!」の「テレビに出てはいけない芸人」というコーナーに出演していたことがある。
実はこのコーナー、あのアンガールズを一躍有名にしたコーナーなのだが、アンガールズは実際のところテレビに出てよい芸人だった一方、スパルタ教育はその名の通りテレビに出てはいけない芸人だったようだ。


さて、私は平素、障害者を「障がい者」と表記することに反対したり、差別語とされている言葉を抹殺することに異を唱えているのでとんでもない差別主義者だと思われている方も少なからず居られるかと思われるが、そんなことはない。
不条理な差別には徹底的に反対するものである。
ここでポイントとなるのは差別の定義であって、その点において所謂「良識派」とズレがあるようだ。

たとえば少し前にこのようなことがあった。
ゼミの時、ある女性が提出した文章の中に「障がい者」という表記があった。
「なぜ「害」を「がい」と表記するのか」と問うと、
「障碍者は決して害になる存在ではない。「害」と書くととまるで存在が害であるかのような印象を受ける。福岡市はすでにこの表記に統一している・・・云々」という答えが返ってきた。
ならば「障」という漢字も問題ではないか、しかも「がい」と平仮名表記にしたところで意味するところは一緒だし、そもそも障害者の障害というのは体に障害があるという意味で存在自体が害だなんて誰が云ったんだ。
と、このように反論すると先方は口ごもったままだった。

先日も、教職の授業の時、ある学生の学習指導案を校閲していると、やはり「障がい者」という表記があった。
例の如く問うてみるとやはり先ほどの女性と同じような答えをしたのち、驚くべきことに「(障がい者と表記することは)モラルの問題です」と云った。
この学生の言い分に従うと「障害者」と表記している私は大変モラルの低い不道徳漢ということになる。
今ならまだ笑い話にもなるが時が進めば笑えなくなるかもしれない。

結局、みなそういう表記にしているから従うべきだというのが本音というか本質といったところだろうか。
それにしてもまったく馬鹿らしく愚かしいことだと思う。
「障害者と書くと存在自体が障害みたいだから」という発想からして理解しがたいが、「障がい者」と表記することによって差別問題に取り組んでいると思っているならば、偽善以外の何ものであろう。
偽善でなかったら、勘違いか何も考えていないかのどちらかだ。
「障害者」を「障がい者」と表記することで障害者差別が少しでも改善されるのだろうか。障害者福祉がより良いものになるのだろうか。
本気でそう思っている人が居るとすれば一刻も早くその頭を冷やすべきだ。
第一、「障がい者」など見苦しいまぜ書きをするくらいなら全く新しい名称を作った方がマシである。

これは日本人の古くからの性質なのかもしれないが、都合の悪いことは何でも隠したり曖昧にしたりと表面上だけを改善して ・・・いや、改善したつもりになって満足している。
これが近年特に言葉の表記において顕著だ。
「障害者」だけでなく看護婦を看護師に変えたり、スチュワーデスをキャビンアテンダントや客室乗務員に変えたりし、またそれに従った人たちの意識の根底に流れているものもまさにこの「改善したつもり病」である。
しかも本来変えるべきでない表記を自分自身で勝手に問題にして変えているのだから笑えない冗談だ。


註:私は普段、「障害者」を「障碍者」ないし「障礙者」と表記しているが本稿では便宜上「障害者」に統一した。

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4 コメント

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スパルタ教育 (チキソ)
2007-12-24 22:54:25
「スパルタ教育」はニコニコで見ました。
なんというか…哀れでしたね…。


「障がい者」
→「言葉だけ変えても意味ねーよ。」って言っても、
「変えないよりはマシ。」って言ってきますからね。
自分から言わせればこの表記、マヌケにしか見えないのですが。っていうよりむしろバカにしているような感じがするんですけどねぇ。まぁあちらさんからはそうは見えないのでしょう。
そのうち

「「努力」の「努」の「奴」は「奴隷」を連想させるから使うのを止めるべきだ」

っていうトンデモ主張も飛び出すんじゃないんですか?w
なんか…本気で主張しそうで怖いです…。

最近、ニュースでも「混とん」みたいなひらがな漢字併用表記が多く、真面目なニュースもバカっぽく見えて仕方ありません…orz


ブログを更新したので良ければお立ち寄りください。
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Unknown (あび卯月)
2007-12-25 01:17:45
>自分から言わせればこの表記、マヌケにしか見えないのですが。っていうよりむしろバカにしているような感じがするんですけどねぇ。

私が「障がい者」表記を嫌う最大の理由はこれです。
その裏に偽善が潜んでいることも不快ですが、なにより目に見える形で不快感を与えてくれます。

「努力~」のお話ですが、本当に言い出しそうですね。
漢字にケチを附け出したらキリがないと思います。
例えば「民主主義」の「民」なんて漢字も起源を辿ればとんでもない漢字ですよ(笑)
いつかそのことを記事にしようと思っています。

ブログを更新されたようで嬉しい限りです。
早速お邪魔させていただきます。
返信する
ポリティカリー・コレクト (粗忽亭主人)
2007-12-25 10:23:26
スパルタ教育のネタは某所で文字で見ましたが、ひどいもんですね。ああいふのをブラック・ユーモアと思ってゐるやうならお笑ひはやめた方がいい。タモリの密室藝とかモンティ・パイソンとか見たことないんでせうかね。まあ、年齡からすれば知らなくてもしかたないけど。
アメリカのポリティカリー・コレクト表現は、はたから見てゐるとお笑ひですが、日本もだんだん笑へなくなってきました。特にご指摘の「漢字をかなにかへるだけ」は無意味かつ醜惡もいいところですね。それでなにかをやったつもりになってゐるのは思考停止のきはみ。「障がい者」と書くくらゐなら、好きな言葉ではありませんが「ハンディキャッパ」とでも書く方がなんぼかましだと思ひます。
漢字といへば、むかし、女偏の漢字は「奴」とか「奸」とか惡い字が多い。怪しからん。てなことを言ってゐた人がゐました。まあたしかに古代支那の女の地位を反映してはゐるのでせうが、何千年もむかしのことにケチつけてもしやうがなからうに、と思ったものです。この傳でいけば、征夷大將軍に一人も女がゐないのは怪しからん、とか、攝關に以下同、とかいふことになってしまひます。
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密室藝 (あび卯月)
2007-12-27 01:54:41
私もタモリさんの密室藝が大好きなのですが(今では徹子の部屋くらゐでしか見れない・・・)、ああいふ藝を継ぐ人がゐませんね。
まことに残念なことです。

「障碍者」ですが、いづれ本当に「ハンディキャッパ」といふ表現になりさうですね。
気違ひは駄目でもクレイジーだとOKという思考と同じやうに。

女偏の漢字がけしからんと云ふ人はいまでも田嶋陽子センセイあたりが言つてゐると思ひます(笑)
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