最近、私の中で大谷育江ブームが到来している。
「大谷育江」という字面を見てピンと来たあなたは多分声優ヲタ。
少なくともアニメに詳しい方でありましょう。
もったいぶらないで言うと、大谷育江さんはポケットモスンターのピカチュウの声を担当している声優さんだ。
私は声優ヲタを公言しているが今までブログでは声優の記事を書いた事がなかった。
いい機会だから自分の経験を交えて九十年代後半からの声優史を書いてみようと思う。
私はものごころついた時から、アニメ、テレビのナレーション、洋画の吹き替えなどの声に興味があった。
つねにこの声は誰々だと意識しながら見ていた。
大体、幼稚園に通っていた頃からそうだった。
声フェチというとニュアンスが違う気がするがそれに近いものとみていい。
はじめは声だけを確認していたが、じきに声優の名前も覚えてゆく。
そんな私が声優に興味をもったのは自然な流れであった。
本格的に声優ヲタクになったのは中学三年ごろ。
当時は横山智佐に嵌っていた。
きっかけは横山智佐が週刊少年ジャンプの投稿ページ「ジャンプ放送局」のアシスタントだったこと。
それを発端に声優関連の雑誌などを買うようになり、果てはCDやビデオまで買うようになった。
アニラジと呼ばれる声優のラジオも聴くようになった。
私が聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」(横山智佐が出ていた)、「國府田マリ子のGM」、「林原めぐみのハートフルナイト」、「mamiのRADIかるコミュニケーション」、「瞳と光央の爆発ラジオ」、「平成アニメっ娘倶楽部」(なんて恥ずかしいタイトル・・・)、などなど。
ファンだから聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」くらいであとは別段ファンでなくても声優ラジオということで聴いていた。
横山智佐は完全にアイドルとして好きだった。
モー娘ヲタはよくイタいと言われるが当時の私はそんな感じだった。
かなりイタい子だったと思う。
いま思い返してみると恥ずかしい限りだ。
横山智佐のファンだったことは私の黒歴史であるが、この時期、相当多くの声優を知った。
九十年代後半というと第四次声優ブームといわれる時代で、アイドル声優が跋扈していたし、声優関連の雑誌も多く出版されていた。
いま声優雑誌の数は全盛期の半分くらいである。
「アニラジグランプリ」という声優ラジオの専門誌も今は休刊となっている。
当時アイドル声優として人気のあった声優は林原めぐみ、宮村優子、丹下桜、椎名へきる、國府田マリ子、井上喜久子、氷上恭子、岩男潤子、飯塚真弓、桑島法子、豊島真千子、三重野瞳あたりである。
この中でいまも人気を保っているのは林原めぐみと井上喜久子くらいのものであろう。
私は声優、ことにアイドル声優の多くを知ったが、声を知らない人も多かった。
というのも、アイドル声優はいわゆるオタク系のアニメに多く出る。
意外かもしれないが、私はオタク系のアニメをほとんど見なかった。
今ではさほど抵抗は無くなったが、中高生の時分はオタク系アニメを殆ど嫌悪していた。
だから、今でも声優を知っている割にアニメを知らないのでアニメオタクからは馬鹿にされることがある。
横山智佐を卒業した後、好きになったのは宮村優子だった。
(横山智佐を卒業したのは自分のイタさが嫌になったからだと思う)
宮村優子といえばエヴァンゲリオンのアスカが有名だが、私はエヴァなんてオタクがみるアニメだと思っていたので興味すらなかった。
私が宮村優子を好きになったきっかけは、「宮村優子の直球でいこう!」というラジオ番組を聞いたことと、決定的だったのはある雑誌に載ったラジオメンバーとの座談会記事を読んだことによる。
その座談会で宮村は岩田光央とトークを繰り広げるのだが、下ネタやオヤジ発言のオンパレードで私はこんな声優が居たのかと衝撃を受けた。
元来、ギャップに弱い私は見た目が好みだということもありすっかり好きになった。
CDを買って聞いてみるとますます好きになり、ほとんど“みやむーキチガイ”になった。(「みやむー」は宮村優子の愛称。)
みやむーの歌の魅力はここではなんとも語り尽くしがたいが一言で言うと唯一無比なのである。
他の声優ソングに無いものをみやむーは持っていた。
わかりやすくいうとぶっ飛んでいた。
作曲者陣を見てみればわかる。
関口和之(サザンオールスターズ)、大槻ケンヂ、戸川純、平沢進、高浪慶太郎(元・ピチカートファイブ)、ジッタリンジン・・・。
この濃さは他の声優ソングにはなかった。
ラジオでのみやむーも凄かった。
下ネタ、オヤジギャグ、シュールのオンパレードだった。
下ネタはここに書くのを憚られるような内容も多々あり、今考えてみるとよく放送できていたなと思う。
事務所もよく許したものだ。
本人も自分のことを「企画モノ声優」と言っていたので、イロモノと自覚して色々やっていのだろう。
こんなアイドルの規格から随分外れた宮村優子もデビュー当時はきちんとアイドルをやっていた。
1995~96年頃のことである。
もともと、エヴァの御蔭でブームに火がついたのでアイドルをやらざるを得なかったのだろう。
むろん、私はこの頃の宮村優子を知らない。
97年頃から次第にどんどんやさぐれて、私が知る頃にはすっかり下ネタ声優となっていた。
宮村優子ファンだった時期は横山時代と違って、私は宮村優子をアイドルとは思わなかった。
いわば、パンクロック歌手みたいに捉えていた。
だから、人が宮村優子の悪口を言ってもむしろ嬉しかったし、AV出演疑惑騒動が起きた時も「みやむーならありえるかもしれない」とむしろニヤニヤしていた。(なんて酷いファンだろう)
私にとって宮村優子はそんな存在だったのだ。
みやむーは2004年に結婚して今は第一線を退いているが、私はいまでも密かに応援している。
つづく
「大谷育江」という字面を見てピンと来たあなたは多分声優ヲタ。
少なくともアニメに詳しい方でありましょう。
もったいぶらないで言うと、大谷育江さんはポケットモスンターのピカチュウの声を担当している声優さんだ。
私は声優ヲタを公言しているが今までブログでは声優の記事を書いた事がなかった。
いい機会だから自分の経験を交えて九十年代後半からの声優史を書いてみようと思う。
私はものごころついた時から、アニメ、テレビのナレーション、洋画の吹き替えなどの声に興味があった。
つねにこの声は誰々だと意識しながら見ていた。
大体、幼稚園に通っていた頃からそうだった。
声フェチというとニュアンスが違う気がするがそれに近いものとみていい。
はじめは声だけを確認していたが、じきに声優の名前も覚えてゆく。
そんな私が声優に興味をもったのは自然な流れであった。
本格的に声優ヲタクになったのは中学三年ごろ。
当時は横山智佐に嵌っていた。
きっかけは横山智佐が週刊少年ジャンプの投稿ページ「ジャンプ放送局」のアシスタントだったこと。
それを発端に声優関連の雑誌などを買うようになり、果てはCDやビデオまで買うようになった。
アニラジと呼ばれる声優のラジオも聴くようになった。
私が聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」(横山智佐が出ていた)、「國府田マリ子のGM」、「林原めぐみのハートフルナイト」、「mamiのRADIかるコミュニケーション」、「瞳と光央の爆発ラジオ」、「平成アニメっ娘倶楽部」(なんて恥ずかしいタイトル・・・)、などなど。
ファンだから聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」くらいであとは別段ファンでなくても声優ラジオということで聴いていた。
横山智佐は完全にアイドルとして好きだった。
モー娘ヲタはよくイタいと言われるが当時の私はそんな感じだった。
かなりイタい子だったと思う。
いま思い返してみると恥ずかしい限りだ。
横山智佐のファンだったことは私の黒歴史であるが、この時期、相当多くの声優を知った。
九十年代後半というと第四次声優ブームといわれる時代で、アイドル声優が跋扈していたし、声優関連の雑誌も多く出版されていた。
いま声優雑誌の数は全盛期の半分くらいである。
「アニラジグランプリ」という声優ラジオの専門誌も今は休刊となっている。
当時アイドル声優として人気のあった声優は林原めぐみ、宮村優子、丹下桜、椎名へきる、國府田マリ子、井上喜久子、氷上恭子、岩男潤子、飯塚真弓、桑島法子、豊島真千子、三重野瞳あたりである。
この中でいまも人気を保っているのは林原めぐみと井上喜久子くらいのものであろう。
私は声優、ことにアイドル声優の多くを知ったが、声を知らない人も多かった。
というのも、アイドル声優はいわゆるオタク系のアニメに多く出る。
意外かもしれないが、私はオタク系のアニメをほとんど見なかった。
今ではさほど抵抗は無くなったが、中高生の時分はオタク系アニメを殆ど嫌悪していた。
だから、今でも声優を知っている割にアニメを知らないのでアニメオタクからは馬鹿にされることがある。
横山智佐を卒業した後、好きになったのは宮村優子だった。
(横山智佐を卒業したのは自分のイタさが嫌になったからだと思う)
宮村優子といえばエヴァンゲリオンのアスカが有名だが、私はエヴァなんてオタクがみるアニメだと思っていたので興味すらなかった。
私が宮村優子を好きになったきっかけは、「宮村優子の直球でいこう!」というラジオ番組を聞いたことと、決定的だったのはある雑誌に載ったラジオメンバーとの座談会記事を読んだことによる。
その座談会で宮村は岩田光央とトークを繰り広げるのだが、下ネタやオヤジ発言のオンパレードで私はこんな声優が居たのかと衝撃を受けた。
元来、ギャップに弱い私は見た目が好みだということもありすっかり好きになった。
CDを買って聞いてみるとますます好きになり、ほとんど“みやむーキチガイ”になった。(「みやむー」は宮村優子の愛称。)
みやむーの歌の魅力はここではなんとも語り尽くしがたいが一言で言うと唯一無比なのである。
他の声優ソングに無いものをみやむーは持っていた。
わかりやすくいうとぶっ飛んでいた。
作曲者陣を見てみればわかる。
関口和之(サザンオールスターズ)、大槻ケンヂ、戸川純、平沢進、高浪慶太郎(元・ピチカートファイブ)、ジッタリンジン・・・。
この濃さは他の声優ソングにはなかった。
ラジオでのみやむーも凄かった。
下ネタ、オヤジギャグ、シュールのオンパレードだった。
下ネタはここに書くのを憚られるような内容も多々あり、今考えてみるとよく放送できていたなと思う。
事務所もよく許したものだ。
本人も自分のことを「企画モノ声優」と言っていたので、イロモノと自覚して色々やっていのだろう。
こんなアイドルの規格から随分外れた宮村優子もデビュー当時はきちんとアイドルをやっていた。
1995~96年頃のことである。
もともと、エヴァの御蔭でブームに火がついたのでアイドルをやらざるを得なかったのだろう。
むろん、私はこの頃の宮村優子を知らない。
97年頃から次第にどんどんやさぐれて、私が知る頃にはすっかり下ネタ声優となっていた。
宮村優子ファンだった時期は横山時代と違って、私は宮村優子をアイドルとは思わなかった。
いわば、パンクロック歌手みたいに捉えていた。
だから、人が宮村優子の悪口を言ってもむしろ嬉しかったし、AV出演疑惑騒動が起きた時も「みやむーならありえるかもしれない」とむしろニヤニヤしていた。(なんて酷いファンだろう)
私にとって宮村優子はそんな存在だったのだ。
みやむーは2004年に結婚して今は第一線を退いているが、私はいまでも密かに応援している。
つづく