すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

自我の苦しみ(昨日の補足)

2022-10-08 19:33:30 | 自然・季節

 ・・・だが、ぼくはもう、「限りなく希薄な存在になりたい」という願望を持つことは無いだろう。ぼくのかつて持った願望は、自我のあるいは自意識の(ぼくは哲学の勉強をしていないので、この辺の区別や定義はよくわからない。とりあえずこういう言葉を使ってみる)産み出す苦しみ、他者との軋轢など関係性の産み出す苦しみ、を最少化したい、そのためには自分の存在そのものを消しても構わない、ということだと思う。
 自己を攻撃し、取り込んで解体しようとする、自己が恐怖しなければならない、二つのもの-死と他者(あるいは、死と社会)。ぼくは多くの時、死ではなくて他者を恐れていた。そしてその恐れを生み出しているものは、じつは肥大した自意識なのだということに、うすうす感付いていた。
 ところが今ぼくはこうやってブログを書いたりそれをFBに投稿したりしている。今でもぼくがかつてのような願望を持っていたとしたら、それは最大級の矛盾だ。ブログを書くということは、自我の他者との係わりを肯定し、求めさえしているということだから。
 ぼくは決定的に変わってしまったのだ。あの願望は、一種の「青春の病い」のようなものだったろうか(それにしてはずいぶん長く続いたのだが)?
 だからぼくは安心してよい。もうあれは現実には取り付かれる
 あの、存在感の希薄な歌声たちは、これから時たま、懐かしいイージーリスニングとして聞くことにしよう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シャンソン | トップ | 世界は苦しんでいる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然・季節」カテゴリの最新記事