・・・だが、ぼくはもう、「限りなく希薄な存在になりたい」という願望を持つことは無いだろう。ぼくのかつて持った願望は、自我のあるいは自意識の(ぼくは哲学の勉強をしていないので、この辺の区別や定義はよくわからない。とりあえずこういう言葉を使ってみる)産み出す苦しみ、他者との軋轢など関係性の産み出す苦しみ、を最少化したい、そのためには自分の存在そのものを消しても構わない、ということだと思う。
自己を攻撃し、取り込んで解体しようとする、自己が恐怖しなければならない、二つのもの-死と他者(あるいは、死と社会)。ぼくは多くの時、死ではなくて他者を恐れていた。そしてその恐れを生み出しているものは、じつは肥大した自意識なのだということに、うすうす感付いていた。
ところが今ぼくはこうやってブログを書いたりそれをFBに投稿したりしている。今でもぼくがかつてのような願望を持っていたとしたら、それは最大級の矛盾だ。ブログを書くということは、自我の他者との係わりを肯定し、求めさえしているということだから。
ぼくは決定的に変わってしまったのだ。あの願望は、一種の「青春の病い」のようなものだったろうか(それにしてはずいぶん長く続いたのだが)?
だからぼくは安心してよい。もうあれは現実には取り付かれる
あの、存在感の希薄な歌声たちは、これから時たま、懐かしいイージーリスニングとして聞くことにしよう。
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