すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

砂と緑(続き)

2020-09-04 15:09:28 | 思い出すことなど
 先に言ってしまうと、ぼくは砂漠についてあまり書けることがない。砂漠そのものの様子、オアシスの様子、そこに住む人々、市場で売られている品々、祈りの声…などをぼくは何ひとつメモしなかった。それを期待してこのページを読んでくださる人には申し訳ないが(その埋め合わせは後にするつもりでいる)。
 簡単に書こう。
 アルジェリアは、オリーブやオレンジが豊かに実る地中海性気候は海岸沿いの地方だけだ。その内側200キロぐらいは小麦畑だが、荒れた岩山がだんだん多くなる。道はしっかり整備されていて、長距離バスは時速100キロぐらいで南へ南へひたすら走る。時々、海岸地方に向かう隊商のラクダの群れとすれ違う。400キロぐらい進むと、見渡す限り赤茶けた土の荒れ地になる。そのあたりで、ぼくは窓外の風景にうんざりしてしまった。
 バスは時々、道端の小屋のようなものの前で止まる。ナツメヤシなど食料を売っていて、食事も用足しもできる。バスを降りて一息つき、体を伸ばす。地面ははもうすっかりサラサラの砂で、周囲の砂丘に夕日の影が濃い。
 600キロほど南下したところで前方にオアシスの緑が見えて、ほっとした。その集落で下車し、ホテルに入った。リゾート風の、プールまでついた立派なホテルだった。お湯は出なかったがとりあえず水で十分。シャワーで体を洗い、外に出て屋台の店で豆のスープとパンを食べた。

 …けっきょく、そこから先に行く気を失くし、そのサハラの入り口のオアシスで3日間過ごして旅行を打ち切って海岸地方に戻った。つくづく思った、「ぼくは水と緑のないところにはいられない」、と。二重の窓の間に微細な粒子の砂が音もなく忍び込んで積もるような土地にはいられない、と(さすがに、二重に守られた室内までは、ほとんど入ってはこないが)。
 乾ききった街路、乾ききった家々の外壁、砂を被ったような衣服の(と、ぼくには思えた)人々。ここで生まれてここで育てば、これが当たり前になってしまえるのだろうか? ぼくが長期滞在したら心が乾ききってしまうだろう。あるいは、心に変調をきたしてしまうだろう。
 心を惹かれたのは、市場の賑わいと、ミナレットから流れる祈りの声と、夜の満天の星だけだった。
 そこを発つとき、砂丘の峰と峰の間から登り始めた朝日の輝きを早朝のバスの窓から見て、「もう少しいればよかったかな」と思った。だがすぐに打ち消した。また一日がかりの長い行程が始まる。でも今度は、緑と海に向かっての旅だ。(続く)
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