すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

手紙(2)

2018-03-15 21:19:13 | 思い出すことなど
 以下に載せるのは、昨日載せた手紙の翌日、つまり電報を受け取った翌日の手紙です。
 この手紙を書いたことは、ぼく自身はすっかり忘れていて、今回発見してたいへん複雑な思いがしました。ひどくせつない、と同時に、すごく未熟。あまりに感情的・感傷的過ぎて、公開するのが恥ずかしい。でもまあ、公開してみます。
 親しい人を亡くした人が、「自分のせいで死なせてしまった」、「自分があの時ああしていれば、死なないで済んだだろうに」、と思い込んでしまう、そして罪悪感にとらわれる、典型的な例です。
 「お前のせいではないんだよ。だいいち、お前は彼女の死にそんなに関わっていない。彼女は、自分の意思で行動したのだ。そしてそのことは良かったのだ」、と言ってやりたい。「お前は悲劇の主人公じゃない。主人公になりたかったかもしれないけれど」、とも。
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 今日は涙が出て仕方ありません。
 12日の午後、出発の前に彼女に会いに行きました。
エレベーターの前で待っていると、出かけていたお母さんが帰ってきて、「さっきからお待ちしていました」と言って、病室に案内されました。彼女は、「今までのこと本当にありがとう」と何度も繰り返して、握手を求めました。そのとき彼女は、もう間もなく自分が死ななければならないことを、もうそれっきりでぼくと会えないことを、予感していたのだと思います。ぼくももう二度と会えないことを予感していたはずです。それなのにぼくは、沈んだ雰囲気にならないよう陽気にふるまって、急いでその場を去ってしまいました。
 お母さんが僕について病室を出てきて、「今度はあの子はもう…」と声を詰まらせて、床にぼたぼたと涙を落としました。その時僕はお母さんを慰める言葉が出ませんでした。
 彼女は最後まで「今までのこと本当にありがとう」と言ってくれたのに、ぼくは笑って彼女の手を握り返しただけだったと思います。本当はその時にほくは彼女に今までのことの許しを請わなければならなかったはずなのに。
 彼女の死の原因の何割かは僕にあるような気がします。
 ぼくたちの出会いの初めのころ、彼女はぼくとの結婚を望んでいました。ぼくはそれに同意しようとはしませんでした。それが、彼女がフランスに行く決心をした遠因だと思います。ぼくが結婚していれば、彼女は一人でフランスには行かなかったはずです。そして彼女の病気は、早いうちに発見され、治療されて、それで済んでいたかもしれません。
 かわいそうなことをした、と思います。ぼくと出会ったことが、彼女の不幸の原因だったかもしれないのに、彼女は、ぼくと出会って幸いだったという意味のことを言ってくれたのです。せめて僕にできることは、出発を延ばして最後まで彼女のそばにいてあげることだったはずです。いまさら、安らかに眠るように、などと言ってみても仕方ないことです。
 彼女に許しを請わずにしまった今、だれにそれをすればいいのでしょうか。彼女のお母さんにでしょうか。
 昨夜、夜中に突然風が出て、明かりがバチっと音を立てて消えました。廊下は真っ暗で表の戸が開いて風に動いていました。昨夜ぼくは「霊魂の存在を信じない」と書いたけれど、実際は何も知らないだけなのかもしれません。
12月8日
A 様
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