すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

友人T

2020-08-28 10:50:10 | 思い出すことなど
 昨日触れた友人Tとは、最初はフランス東部、スイスにほど近いブザンソン市の大学の夏期講習で出会った(というと恰好良いが、大学付属の言語教育研究所の、外国人向けの講習)。でもその時はすれ違う感じで、ほとんど話さなかった。お互い、「フランスまで来て日本人グループを作っている(そういう連中が多い)のは愚だ」、と思っていたから。
 ぼくは、大きな荷物を抱えてブザンソンの人気(ひとけ)ない駅について、そこから2キロほど離れた学生寮にどうやって行けばよいのかわからずに困っているところを声かけてくれ、ヒッチハイクで寮まで連れて行ってくれ、おまけに学校の案内までしてくれたイラン人の学生を通して、ガーナ人やブラジル人などの友人ができ、ぼくより早く来ていたTはまた別のおもにアラブ人たちのグループに入っていたようだ。
 (余談になるが、このイラン人にはびっくりした。駅で声をかけられたとき、かなりたどたどしいフランス語だな、と思ったのだが、後で聞いたら、フランス語は一言も知らずにいきなりここに来て一か月だという。
 ぼくはそれまでに、週15時間ぐらいの授業を3年間受けていた。第三世界からひと言も言葉を知らないフランスに勉強に来れるということ自体非常に恵まれているし、彼はここでしっかり勉強して国に帰ればエリートコースに乗るのだろうが、それにしても、グループを作ってもっぱら母国語を話している日本人たちとのあまりの違い。
 ひと言も理解できないままやってきても、モチベーションと善良ささえあればすぐに学生仲間が作れるし、一か月たてば駅でオロオロしている新参者を助られるくらいにはなるのだ。)
 (さらに余談になるが、彼の紅茶の飲み方にもびっくりした。角砂糖をひとつ摘まみ、摘まんだまま角をお茶に浸け、液体の滲みた砂糖を口に入れ、お茶を一口飲む。それの繰り返し。一杯のお茶を飲むのに角砂糖をいくつ口に入れるのだろう。イランでは当たり前だよと言っていたが。)

 さて、Tとはその4年半後にアルジェリア東部の町スキクダで再会した。石油化学コンビナートの科学技術通訳として。彼は派遣会社経由で、在庫管理・部品調達部門で。ぼくは本社雇いで、メンテナンス部門で。「どこかで会ってるよね?」、「あぁそうだ、ブザンソンで会ってるんだよ」という話になって意気投合した。
 ブザンソンに、ぼくは当時の東京日仏学院の専門課程を修了して、ちょうど募集していた短期給費留学生試験を受験したら受かったので行ったのだし、アルジェリアにも、アフリカから帰ってからぶらぶらしていて食い詰めたから仕方なく行ったのだが、彼はフランス建築を学ぶために必要な語学習得のためにブザンソンに行き、研究を続けるための資金を稼ぎにアルジェリアに行ったのだという。
 そのあとの人生を見ると、モチベーションの差というのは恐ろしいものだ、と改めて思う。中村哲氏(08/20)の場合と同じに。だがそのことにはくどくどと触れない。
 Tは帰国してから一級建築士の資格を取り、個人住宅を主に手掛けている。彼の作る家は釘を一切使わず、木組みで建てる、というものだし、なんと壁を土で作る。木組みに適したしっかりした木材や土壁に適したきめ細かな土を全国から探す。その家は快適だろうが、ぼくなどの手には届かない。「百年は持つよ」と言っている。ぼくの手には届かないが、彼の建築家としての姿勢をぼくは尊敬している。
 「語学の天才」の話をしようと思ったのだが、長くなりすぎたので明日にしよう。
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