すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

砂と緑

2020-09-03 09:44:36 | 思い出すことなど
 初めてアルジェリアに働きに行ったとき、12月初旬、ちょうど雨期の始まる時期だった。地中海岸沿いの町で、寒く、はじめのうちは夜になると少し雨が降った。雨はだんだん長く降るようになり、激しい雷も鳴るようになった。
 町はずれの日本人宿舎のぼくの部屋の窓の外は見渡す限りなだらかな傾斜の草地で、着いたときは乾季の枯れた草原だった。それがある朝、ほんのわずかな緑色が、何かの間違いと思われるほどにポツンと目に入った。それからひと雨ごと、朝目が覚めて窓外の草原に目をやるごとに、緑が少しずつ少しずつ広がっていく。毎朝外を見るのが楽しみになった。
 休みの日に歩いてみた。緑の芝草の中には、アヤメ科のニワゼキショウの仲間の小さな薄紫の花が咲いている。キク科のコオニタビラコ(春の七草のホトケノザ)の仲間と思われる、地面に張り付いたような黄色の花も。
 いつもは水を運んでいる村の少女たちが、手に手にかごを持って草地でアザミの新芽を摘んでいた(アザミの新芽は、日本でも天ぷらにすると美味い)。
 谷間の道沿いに、桃よりもやや色の濃い、少しだけ花弁も大きなアーモンドの花が咲いた。村に続く道には、ユーカリの白いむくむくした花が咲き、ミモザの黄色い花が一斉にあふれるように咲いた。日中も雨が降るようになり、荒れ地だと思っていたところは一面の小麦畑になった。小麦畑にはさまって、緑の広大なうねりに色を添えるように、赤やピンクや白のヒナゲシも咲いた。ヒナゲシの揺れる丘の向こうに地中海が見えた。
 それは日本の春にも増して、いっそう鮮やかに早回しに、枯れた大地が甦る喜びの体験だった。
 ただし、雨期は乾季よりずっと短い。緑の季節は短い。4月になると雨は止み、太陽は急激に輝きを増し、気温が上がり、収穫は終わり、草はみるみる枯れる。枯れた草の上に、どこにこんなにいたのだろうと思うくらい、数知れぬカタツムリが這い上がっている。灼熱の地面から逃れようとするのだ。そしてそこで死ぬ。

 乾季が始まる直前に、ぼくは一週間の休暇を取って南に向かう長距離バスに乗った。せっかくアルジェリアにきているのだから、サハラ砂漠を見てこようと思ったのだ。
 だがそれはこの次にしよう。
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