すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

冷たい雨

2017-07-05 21:30:27 | 夢の記
 部屋のドアを閉めて、窓も閉めて、密室状態で楽器の練習をしている。暑い。20分もすればいったん休んで窓を開けて冷たいお茶を飲んで、ということになる(「歌の練習をするのにご近所から苦情が来るので、段ボール製の防音室に閉じこもる」という友人がいる。サウナでしょうね。ぼくにはとてもまねができない)。なかなかはかどらないし、疲れる。
 ぼくの場合、そんなに大きな音のする楽器ではないので、窓を開けたままでもたいしてご近所に迷惑にはならない、とは思うのだが、全くのたどたどしい初心者マークなので、恥ずかしいから閉め切っている。
 梅雨なのに雨の降らない、ただでさえも蒸し暑い今日この頃、そんなに暑い思いをしているのに、寒い夢を頻繁にみる。
 たいていは、凍り付くような冷たい雨が降っている。ぼくはどこかへ行こうとしているのだが、道が分からなくなったり障害物にぶつかったりして、何時まで経ってもたどり着けない。ぐっしょり濡れたシャツ一枚で震えていたりする。道はぬかるんで、泥の海(!)のようで、体はなかなか前に進まない。
 昨夜は(今朝の明け方は)、違うタイプの寒い夢を見た。
 手術台に乗せられて、血を抜かれている、そのせいか寒くてガタガタ震えている夢だ。
 この場合は、原因はまあ、はっきりしている。
 一昨日まで、フローベールの「ボヴァリー夫人」を読み直していたせいだ。あれの中には、当時の医療行為として瀉血という、血を抜く話が何度も出てくる。今から見れば野蛮な話だが、どうも当時は、「体がむずむずするので」とか、「のぼせるので」とか、何かといえば血を抜いていたようだ。
 冷たい雨の夢の場合は、直接思い当たることがない。窓を開けて薄着をして寝ていたので体が冷えた、ということでもない。
 まあ、ぼくはもともとひどい冷え性で、ひと月くらい前までは足元に電気あんかを入れたり、おなかにタオルでくるんだホカロンを入れたりしていたくらいだから、寒いことに対する無意識の恐怖心のようなものはあるかもしれない。
 夢は、体からの何らかの信号かもしれないので、よく考えてみた方が良いと思うのだが、たいていの場合漠然としていてはっきりと思い当たることがないのでもどかしい。

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