日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

栃木・横根高原、湿原木道 その3

2015年07月16日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

象の鼻から井戸湿原へ歩(ハイク)を進める

 

想  像 

前日光牧場を開発するとき、併せて横根高原をイメージして開発したのでしょう。

此処に大きな石あり、見晴らしも良し、象の鼻に似ている石あり。

自然を生かした『象の鼻展望台』が完成した。

よき眺めでした。


象の鼻の地点に広場が有りました。

 


 雑木林の中を行く、井戸湿原へ急ぐ

 

 

デジブック
『象の鼻から井戸湿原へ』

 

 

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葛飾新聞&葛飾の戦後

2015年07月15日 | 技術  道具・伝承・歴史

ネット(通信販売)によって買い求めた
『占領下の東京下町』

 

終戦の8月が近づいてきた。
様々な本が店頭をにぎやかしている。


山崎豊子さんの戦時日記見「無惨、惨状」非戦を誓う。
戦時下の日記が作家・山崎豊子さんの自宅から見つかる。

大阪大空襲の中、命かながら逃げ惑う様子や、
家が焼かれて「この無惨、惨状、戦争は絶対いけないものだ」と
非戦の誓いが、新聞記事で目に止まった

次の書籍は、葛飾戦後の様子を検証したものです。

 

 

 

戦後「光」と「影」の中をたくましく生き抜いた庶民の記録

太平洋戦争敗戦直後の昭和22年6月に創刊され、
今までにほとんどその存在が知られていない地域紙『葛飾新聞』を丹念に読み解き、
GHQの占領下にあった東京・葛飾の様子を鮮明に描き出したものである。
資料の乏しい戦後の葛飾を知るうえで、きわめて貴重な記録である。

現存する『葛飾新聞』は、昭和22年6月15日付の創刊号から
同27年5月25日付までのものです。
区民によって葛飾図書館に寄贈されていた。

父親がこの新聞を購読していたことを思い出した著者〔木村千恵子〕が
図書館に問い合わせたところ、その存在が判明した。
著者にとってこの新聞は亡き父親との再会にも等しいのだったのであろう。

以来著者は、この新聞との格闘の結果、本にまとめあげた。

著者は、葛飾青戸生まれ。葛飾探検団〔葛飾区郷土と天文博物館・活動主宰〕の一員である。

・・・・・・・略・・・・・・・

『先の戦争が、日本人の心に如何に重いものであったか物語っている』
著者の力強いめーセージが心に響いてくる。
   〔推薦者・豊田〕                      


葛飾探検団の皆様宛てに
    「第1回打ち合わせ議事録」として送られてき資料です。
関係の一部を抜粋しました。
ヒントを得て買い求めました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


             読後感

   1、砂糖配給禁止、お米1日2合3勺、衣料切符、スケソウタラ
   2、学校給食、さけ缶、脱脂粉乳 
   3、未復員、遺骨の未受領の届出 
   4、復員引揚げ促進同盟結成
   5、その名も「平和橋」盛大な竣工式

  ほんの一部を拾い上げたに過ぎないが、食料に纏わる記事が大半を占めていた。

中でも、昭和22年葛飾区を襲ったカスリン台風〔河川堤防の決壊〕の被害は、葛飾区内を呑み込み濁流の
海となった。こんな中に有って、死者3名、行方不明1名、重傷3名は少ない犠牲者の数でした。

  
  なんと言っても水害には救助用の舟が必要、進駐軍当局の計らいで100艘の上陸用舟艇が現地に配置され救護に当たられた。これに対して区議会は「連合国総司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下」に感謝の決議を行った。
  マドロスパイプお似合いの元帥に対し、葛飾区から感謝状が贈られた一文は強烈な印象に残った。

                  

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栃木・横根高原 その2

2015年07月14日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

土産品・花器を求める

鹿沼市内

『まちの駅』=〔道の駅〕

全国に点在する『道の駅』が、ちょっとしたブームになっている。

地方創生の切り札として期待が大きい。

 

何をお土産にしようか?

少々せっかちな性格です。

求める時は、店内を一回り、第一印象に残ったものを買います。

たまには違ったものを・・・、頭をよぎった。

心機一転、花を活けて貰いたいと選んだ逸品です。

オット・・・治外法権を逸脱!!

 

Y夫、の一言

下段に孟宗竹の根が張り出していたらモット良かったに。

 

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栃木・横根高原、前日光牧場  その1

2015年07月13日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

マイナスイオン一杯の山の頂を歩く
残念!もう〔牛〕チャンを見かけなかった


ハイキング

前日光ハイランドロッジ → 散策路 → 象の鼻展望台まで

それ以後のコースは順次upします。 

ガイドブックを参照しました。

案内図
青丸出発点、黄色線歩きコース

 



前日光ハイランドロッジにて

朝9時というのにライダー、乗用車は既に到着していました。

 

日光連山の山々にうっとり、マイナスイオンを一杯吸い込み
元気ハツラツ葛ハイの皆さん

 

牛が居て牧場
牛が居なくても牧場、牛を見かけませんでした。

 

 『横根高原・前日光牧場』

 

 

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トマト&ナス

2015年07月11日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

花壇の片隅で、実を付けはじめた。


元祖は百姓、
花を愛でるだけでは、もったいない。
毎年ナスとトマトを植えて、成長するを楽しんでいます。

 


花壇の片隅にしょんぼり・・・と
さまざまな花株が混栽されています。


ナスが成りはじめました。


桃太郎の品種ですが、果てさて・・・。

 

トマト&ナスを数個を採って食べました。

自家製なので、格別の味がしました。

 

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夜     景

2015年07月10日 | 紀  東京からの便り、トピックニュース

 階段を上がると
東京下町、梅雨の合間に夜景を見る

 

昨日は、東京も良く晴れ気温もぐんぐん上昇、

うっとうしい梅雨の合い間に、下町の夜景を見ることが出来ました。

 


階段を上がりて屋上へ

金曜日は何故か?客あり、焼き鳥や。
中に一人そして外待ち1人、袋を抱えて2人立ち去った。

・・・・何時もお世話になっています。


東京スカイツリー


JR小岩駅方面

ゴメンね勘弁ね!!吾れ夜間撮影は技量としこれが限度です。

三脚を立てブレない様に頑張ります。

 

 

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つるなしインゲン

2015年07月10日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

   細々と実を付けたインゲン

 

    わが菜園を見ると、さびしい。

始めた時はこんな気持ちでは無かった。

7年・・・10と年過ぎると、歳と共に菜園に対しての甘さ〔士気の低下〕を

感じる、今日この頃です。

  

 


インゲンマメ

茹でてマヨネーズ、酒のツマミにバッチリです。

 

          ・ 梅雨の空
              雲の切れ間や
                      晴れ近し


今年の梅雨は、よく降ります。 


 

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隣の芝生は青い

2015年07月09日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

 隣のカボチャは艶よく大きく見える。

 

ことわざは、人それぞれの生き方を表しています。

自分が持っていなく、相手が持っていないものに対し、未練を感じる、

羨ましくなる心理状況を表現している。

 相手が持っている物に、未練を感じるということは、

自身が不満を心に抱いていることです。



持っていない者、持っている者との気持ちの差異。

軽い精神的な不満〔開き〕で終わらく、

物欲は、争いにも通じることが有るようです。

 
Kさんのカボチャ

 

なんだか隣の菜園が、大きく、色艶が立派に見えた。

二足の草鞋は、履けぬ.

わが道を行く

わが菜園は、野菜少々と、ぺんぺん草が生えるのみです。

 

 

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市川関所跡

2015年07月08日 | 技術  道具・伝承・歴史

 小岩市川関所跡の対岸(市川市)に
                矢切の渡し下流、2kmほどに位置します

 

市川関所と呼ばれることもあったが、多くの場合は

「小岩・市川関所」と記されていた。

幕府の役人が旅人を調べた建物は小岩側にあったので、

市川村は緊急事態の時に駆けつけて助ける役割を担い、役人を補佐した。

 

 


黄色丸、小岩市川関所跡   赤丸左小岩関所跡、右市川関所跡

江戸時代以前の江戸川は太日川(ふといがわ)と呼ばれていた。

奈良・平安時代の関所跡周辺には、井上駅家(いかみのうまや)がおかれ、都と下総国を往来する

公の使が太日川の渡し船と馬の乗りかえをおこなった。

また、室町時代には、市川を旅した連歌氏の宗長が、その時の紀行文『東路の津登』のなかで、

市川に渡(わたり)があったことを記しており、古くからここに人々が集い、

川を渡っていたことがわかる
〔上の看板概略〕

 



左下が小岩市川関所跡、 中右が市川側


柵が設けられているのが分かります。

 

 

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ひまわり&葵

2015年07月07日 | 文学  川柳、短歌 俳句 詩

競いて咲きし花二種
             通勤路で見かけました
 

ヒマワリ

日回りと表記されることもあり、また、ニチリンソウ(日輪草)、

向日葵を音読みしてヒュウガアオイ、とも呼ばれる。

梅雨真っ只中です。

今年は本当によく雨が降り、

日回り(ひまわり)も、どちらを向いて花を咲かせようか戸惑っていた。

太陽の方向を見あぐねていた。

 


葵もヒマワリに負けまいと、天空に勢いよく伸びていた。

 

● 向日葵や唯我独尊見下ろして

    ●  ひまわりに負けまいと咲く立ち葵

 

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