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葛飾新聞&葛飾の戦後

2015年07月15日 | 技術  道具・伝承・歴史

ネット(通信販売)によって買い求めた
『占領下の東京下町』

 

終戦の8月が近づいてきた。
様々な本が店頭をにぎやかしている。


山崎豊子さんの戦時日記見「無惨、惨状」非戦を誓う。
戦時下の日記が作家・山崎豊子さんの自宅から見つかる。

大阪大空襲の中、命かながら逃げ惑う様子や、
家が焼かれて「この無惨、惨状、戦争は絶対いけないものだ」と
非戦の誓いが、新聞記事で目に止まった

次の書籍は、葛飾戦後の様子を検証したものです。

 

 

 

戦後「光」と「影」の中をたくましく生き抜いた庶民の記録

太平洋戦争敗戦直後の昭和22年6月に創刊され、
今までにほとんどその存在が知られていない地域紙『葛飾新聞』を丹念に読み解き、
GHQの占領下にあった東京・葛飾の様子を鮮明に描き出したものである。
資料の乏しい戦後の葛飾を知るうえで、きわめて貴重な記録である。

現存する『葛飾新聞』は、昭和22年6月15日付の創刊号から
同27年5月25日付までのものです。
区民によって葛飾図書館に寄贈されていた。

父親がこの新聞を購読していたことを思い出した著者〔木村千恵子〕が
図書館に問い合わせたところ、その存在が判明した。
著者にとってこの新聞は亡き父親との再会にも等しいのだったのであろう。

以来著者は、この新聞との格闘の結果、本にまとめあげた。

著者は、葛飾青戸生まれ。葛飾探検団〔葛飾区郷土と天文博物館・活動主宰〕の一員である。

・・・・・・・略・・・・・・・

『先の戦争が、日本人の心に如何に重いものであったか物語っている』
著者の力強いめーセージが心に響いてくる。
   〔推薦者・豊田〕                      


葛飾探検団の皆様宛てに
    「第1回打ち合わせ議事録」として送られてき資料です。
関係の一部を抜粋しました。
ヒントを得て買い求めました。

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             読後感

   1、砂糖配給禁止、お米1日2合3勺、衣料切符、スケソウタラ
   2、学校給食、さけ缶、脱脂粉乳 
   3、未復員、遺骨の未受領の届出 
   4、復員引揚げ促進同盟結成
   5、その名も「平和橋」盛大な竣工式

  ほんの一部を拾い上げたに過ぎないが、食料に纏わる記事が大半を占めていた。

中でも、昭和22年葛飾区を襲ったカスリン台風〔河川堤防の決壊〕の被害は、葛飾区内を呑み込み濁流の
海となった。こんな中に有って、死者3名、行方不明1名、重傷3名は少ない犠牲者の数でした。

  
  なんと言っても水害には救助用の舟が必要、進駐軍当局の計らいで100艘の上陸用舟艇が現地に配置され救護に当たられた。これに対して区議会は「連合国総司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下」に感謝の決議を行った。
  マドロスパイプお似合いの元帥に対し、葛飾区から感謝状が贈られた一文は強烈な印象に残った。

                  

コメント
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