中の茶屋付近
富士浅間神社・・・・中の茶屋・・
・・馬返し
吉田登山口での最初の茶屋
バスを捨てここからハイキング・スタート
↑中の茶屋から馬返しまで約90分
↑中の茶屋の佇まい
↑富士講石碑の数々
↑最大級の石碑
↑中の茶屋を取巻くように
富士講が盛んであったことが伺える
↑ツタが秋を呼ぶ
↑熊・・・出るよ
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今日のメモ
浅間神社を出てバスで一気に(徒歩80分)登り、
最初の中の茶屋に到着。
周辺を取巻くようにこう・登山碑が目に入る。
中の茶は浅間神社と、馬返しの中間に位置し昔は休み人で
にぎわったことでしょう。
衣類を調整したり、草鞋をしめなおし、腹具合を整える・・・・・。
このあたりは植物や、動物の宝庫ともいえるエリア。
国の天然記念物に指定されている
富士桜やレンゲつつじの混成群がありヤマネや日本サルも
生息している。熊も・・・ね。
リーダーが桜の咲くころ、また計画します。
是非参加を・・・・と言っていた。
石碑の多さにびっくりしました。
>中の茶屋の佇まい
山小屋と違って、町の中の建物おようです。
中には記念のお土産とか売ってるのかな?
でも往き道は買いませんね。
私は 猿 や 猪 に注意は見たことがありますが
熊に注意は見たことがありません。(立札さえ)
九州人の憧れの富士山 続き たのしみです。。。
どんこはこのところ急に騒がしくなった
永田町妖怪学校のシェンシェイがたが
チーチーパッパ チーパッパと
右往左往しているのを寝ころびながら
それにしても見物料を払う値打ちもないようです。
ああ、真に国を思うリーダーがこの国に誕生するのは
夢のまた夢なのでしょうかね。
古道ですね。むかしの江戸の富士講、一生に一度、憧れだったのでしょう。
次は大山詣ですかな。
苔むした沢山の富士講石碑を拝見すると
如何に山岳信仰が盛んであったか、往時が偲ばれますネ。
茶屋の屋根はやはり雪が落ちやすい角度だなぁ~と思いました。
熊も賑やかな団体さんには近づかないでしょうね
中の茶屋と周囲の講石碑、霊験あらたか環境となんとアンバランスなのだろう。
中の茶屋があまりにも近代建築になってしまっているのが不釣り合い。
やはり時代劇に出てくる、倒れかかった家屋に前に縁台が置いてあり板屋根と言った佇まいが似合いそうです。
そして入り口の暖簾が風にゆらゆら・・・。
モモママさん、こんな光景を望んでおられるようにうかがえた。
縄文人も、やはり不似合いと感じました。
茶屋ではお蕎麦か何かを出しているようでしたが、おにぎりを食べましたので関心を持ってみませんでした。
熊の看板
地元の方が居ませんでしたから情報が、ありませんでした。
永田町奇々怪々学校が騒がしい
何やら次の候補は
『麻池聖晃』が立候補メンバーとか?
高みの見物、ドウニデモナッテチョウダイ
と捨て台詞。
敵前逃亡も2回もあると、中の茶屋ではクマが出てきて先生どもを退治するかもしれない。
永田町の先生殿
頭をじっくり冷やして総裁選挙に臨んでくださいと・・・・言いたい。
茶屋と言えば誰もがイメージをするのが時代劇に出てくる…あの、あのイメージを想像します。
周囲のイメージは全く申し分ありませんでしたが、お休み処が、皆さんの抱いていたイメージと合致しなかったようです。
言葉で表せば「休憩喫茶処」と言った感じでしょうか・・・・?
中の店内状況を見るわけにはいきませんでしたが、何やらお蕎麦はあるようでした。
山岳信仰はやはり現代にもいろいろの宗教があるように、やはり山に対する信仰と言う理念で信仰心ががっちり固まっていたのでしょう。
↑で秩父・三つ峯神社の三つ峯講で、
少々書きましたが、三つ峯講の参拝者、参拝道路なる昔絵を見たことがありますが、道すがら、峠越え、川を越えるは大変な至難の技であったようです。
富士講なるものは、山岳信仰の代表と言えるものですから、富士考絵図なるものがどこかに必ずあるものと思います。
そのようなものを、見れば往時の信仰の程が見え隠れするでしょう。
http://tanken.com/fujiko.html
少々ありました