中の茶屋付近
富士浅間神社・・・・中の茶屋・・・・馬返し
吉田登山口での最初の茶屋
バスを捨てここからハイキング・スタート
↑中の茶屋から馬返しまで約90分
↑中の茶屋の佇まい
↑富士講石碑の数々
↑最大級の石碑
↑中の茶屋を取巻くように
富士講が盛んであったことが伺える
↑ツタが秋を呼ぶ
↑熊・・・出るよ
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今日のメモ
浅間神社を出てバスで一気に(徒歩80分)登り、
最初の中の茶屋に到着。
周辺を取巻くようにこう・登山碑が目に入る。
中の茶は浅間神社と、馬返しの中間に位置し昔は休み人で
にぎわったことでしょう。
衣類を調整したり、草鞋をしめなおし、腹具合を整える・・・・・。
このあたりは植物や、動物の宝庫ともいえるエリア。
国の天然記念物に指定されている
富士桜やレンゲつつじの混成群がありヤマネや日本サルも
生息している。熊も・・・ね。
リーダーが桜の咲くころ、また計画します。
是非参加を・・・・と言っていた。
本宮浅間神社~中の茶屋までのバスは捨てたらどうですか・・・?
とくさんのおっしゃる通りです。
後期高齢者ゆったり組ですからご容赦願います。葛ハイは、毎日曜日AコースBコースの計画があり健脚とラクラク(後期高齢者向き)に分かれます。1ケ月8コースの計画があります。
富士山はどこに行ってもゴミだそうです。
いくいくは世界遺産になるでしょうが、慌てることはないでしょう。日本一の富士山ですから、どこからでも見え、取り巻く周辺にはぐるりと湖。
富士山が世界遺産にならない理由の一つが分かりました。
富士山よりもっと素晴らしい山が、ロシアにもニュージーランドにも沢山有るそうです。
日本の富士山も見下されたもんですね。
ところで提案、山が駄目なら裾野を世界遺産に。
バスを捨てても良いですが、ゴミを捨てないように注意しましょう~~~。
どんな方向性で使用するのでしょう。
お役に立てていただけば幸せです。
どうぞ使ってください。
何といっても富士登山のルートで多く利用されたのはこのルートであろう。昨年の実績一覧表がありますから参考にしてください。
http://www.yamanashi-kankou.jp/fujisan/noboro/noboro002.html
途中には石碑を見かけることができませんでしたが、
馬返しは一合目から始まりやはりここに茶屋がありました。後日up.
ここにもたくさんの富士講の石碑がありました。
明日の夜のブログになります。
よろしくお願いいたします。
うちの近所でも関連を知ることのできる石碑が残っています。
さすが本家本元へいくと残されたものも多いですね。いつか行ってみたいです。
観光バスで高速道路を直行し、浅間神社をちょいと拝み中の茶屋から馬返しまで。
これでは昔の富士講崇拝者に叱られそうです。
江戸時代、相当に日数を要して富士山に参拝したのでしょう。
東京生活が長くなりました。
一般家庭の入り口に「三つ峯講○○」の御札をよく見かけます。
そこの主人に尋ねると、昔おじいさんが秩父・三つ峯神社に毎年参拝に行き、その証です。・・・・とおっしゃったのが印象的でした。
大山参りーー大山講
三つ峯神社参りーー三つ峯講・・・などなど
山岳信仰が華やいだ時代があったのでしょう。
富士塚まで設けて・・・
信仰の程が伺えます。
http://matsumo-web.hp.infoseek.co.jp/fuji-san/pageco1.htm
人が変われば目の付け所が違います。
屋根の勾配はちょいと気が付きませんでした。
やはり、雪でいろいろ見たり、試したりしておられるから・・・。
やはり角度が指的されれば、ずいぶんと急です。
東京あたりは、雪滑り止で屋根の上で雪を溶かすような仕掛けになっていて地面には落とさない。
この富士登山道は8月の28日、吉田の火祭りを持って富士登山は終わり(end)ですから富士山に挑戦する方は人一人居ませんでした。
期待されるほど中身は何にもなく、ただ場所を変えたウオーキングで辺りの景色は異なっていました。
江戸時代、富士講のつわものたちが、この旧道を一歩一歩山頂目がげて登って行ったという山岳信仰を念じながら歩くことは、温故知新…何かを感じ取れればよいかな~と思った次第でした。
山岳信仰はやはり現代にもいろいろの宗教があるように、やはり山に対する信仰と言う理念で信仰心ががっちり固まっていたのでしょう。
↑で秩父・三つ峯神社の三つ峯講で、
少々書きましたが、三つ峯講の参拝者、参拝道路なる昔絵を見たことがありますが、道すがら、峠越え、川を越えるは大変な至難の技であったようです。
富士講なるものは、山岳信仰の代表と言えるものですから、富士考絵図なるものがどこかに必ずあるものと思います。
そのようなものを、見れば往時の信仰の程が見え隠れするでしょう。
http://tanken.com/fujiko.html
少々ありました
茶屋と言えば誰もがイメージをするのが時代劇に出てくる…あの、あのイメージを想像します。
周囲のイメージは全く申し分ありませんでしたが、お休み処が、皆さんの抱いていたイメージと合致しなかったようです。
言葉で表せば「休憩喫茶処」と言った感じでしょうか・・・・?
中の店内状況を見るわけにはいきませんでしたが、何やらお蕎麦はあるようでした。
永田町奇々怪々学校が騒がしい
何やら次の候補は
『麻池聖晃』が立候補メンバーとか?
高みの見物、ドウニデモナッテチョウダイ
と捨て台詞。
敵前逃亡も2回もあると、中の茶屋ではクマが出てきて先生どもを退治するかもしれない。
永田町の先生殿
頭をじっくり冷やして総裁選挙に臨んでくださいと・・・・言いたい。
中の茶屋と周囲の講石碑、霊験あらたか環境となんとアンバランスなのだろう。
中の茶屋があまりにも近代建築になってしまっているのが不釣り合い。
やはり時代劇に出てくる、倒れかかった家屋に前に縁台が置いてあり板屋根と言った佇まいが似合いそうです。
そして入り口の暖簾が風にゆらゆら・・・。
モモママさん、こんな光景を望んでおられるようにうかがえた。
縄文人も、やはり不似合いと感じました。
茶屋ではお蕎麦か何かを出しているようでしたが、おにぎりを食べましたので関心を持ってみませんでした。
熊の看板
地元の方が居ませんでしたから情報が、ありませんでした。
茶屋の屋根はやはり雪が落ちやすい角度だなぁ~と思いました。
熊も賑やかな団体さんには近づかないでしょうね
苔むした沢山の富士講石碑を拝見すると
如何に山岳信仰が盛んであったか、往時が偲ばれますネ。
古道ですね。むかしの江戸の富士講、一生に一度、憧れだったのでしょう。
次は大山詣ですかな。
どんこはこのところ急に騒がしくなった
永田町妖怪学校のシェンシェイがたが
チーチーパッパ チーパッパと
右往左往しているのを寝ころびながら
眺めるくらいしか出来ません。
それにしても見物料を払う値打ちもないようです。
ああ、真に国を思うリーダーがこの国に誕生するのは
夢のまた夢なのでしょうかね。
石碑の多さにびっくりしました。
>中の茶屋の佇まい
山小屋と違って、町の中の建物おようです。
中には記念のお土産とか売ってるのかな?
でも往き道は買いませんね。
私は 猿 や 猪 に注意は見たことがありますが
熊に注意は見たことがありません。(立札さえ)
九州人の憧れの富士山 続き たのしみです。。。