兼題「新 茶」雑詠等
新茶(しんちゃ) 初夏
【子季語】
走り茶、古茶、陳茶、茶詰
お茶は年四回摘み取られるが、その年の最初に摘み取られるお茶を新茶という。
一番茶であり、走り茶とも言う。
四月の終わりから五月中頃までである。香りはよく、美味しいお茶である。
静岡茶や宇治茶が有名です。
字余りのようなる暮らし古茶を汲む (M/Y)
(選 評・・主宰)
いつの間にやら年寄りの仲間に入りました。これからの人生は、
まさに字余りのようなもの。
昨日まで新茶であったものも新茶が出てくれば古茶になってしまう。まあイッカ・・。
人生を達観した作者が、そこに居る。「古茶」との対比を上手に表現した佳作です。
『縄文人の感想』
字余りのようなる暮らし古茶を汲む
字余り人生、古茶を汲む人生、実に良い句だと思いました。
俳句は5(上)・7(中)・5(下)で、作者はどこの部位に字余りが生じたのだろう。
おそらく「ような暮らし」の部分かも知れないが、此の言葉をひねり出したのは
流石だと思いました。
人生に古茶を汲む~わが人生も85歳・・成程と感心しました。
人生の経験リセット・二度生きる
作家・五木さん
作家、五木寛之さんは大河小説「青春の門」や浄土真宗の宗祖を描いた「親鸞」で知られて
いますが卒寿90歳を迎えた。
「経験をリセットして、二度生きる」という晩節孝を語っていた。
90歳という年齢を迎えて、一心に小説を書き続け気が付いたら90歳でした。
リスキング(学び直し)が、今盛んに言われています。それもよろしいですが、自己の経験を
リセットする、たまには他力を借りてみると言うことです。
「趣味は養生」とし、ゲームや川柳、俳句、短歌を楽しみながら健康に活かすことです。
「年を重ねると一番の問題は、対人関係が少なくなる」ことです。
生きている一日が、ただ空虚に吸い込まれるようであってはならない。
今日一日「すること」を持ち続けることだと思います。
聞くこと、語ること、多くの人々と会話を楽しむことが大切だと思います。
【人生100年羅針盤】「経験をリセット、2度生きる」
コメント欄はopenです。
五木寛之さんは90才でいらっしゃる。いつまで生きられるかな?と思いつつも、まずは今日1日をです。
◎ 晩節や字余り人生此処にアリ
先ずはゆったりノンビリ行こう (縄)
菱木博之さんの言葉、新聞1面を使って乗っていました。
人生100年の羅針盤・人生二度生きる!!
ポイントを拾い書きしました、楽しく元気に参りましょう。
いい句ですね~
自分の人生もそんな感じです、毎日を大切に行きたいです
90歳という五木さんまだまだ書いて折られますものね
俳句のことはよくわかりませんが やはり
「字余りのようなる暮らし古茶を汲む」が目を引きました。
縄文人さんの感想も なるほどなるほどと思わされましたよ。
「古茶」との対比を上手に表現した佳作です。」↑
私も素敵に拝見させて頂きました。
が、縄文人様の作品は?と考えてみました。
1句めまたは7句めの作品ではと考えましたが?です。
きょうも梅雨空みたいな天気です。
お茶のお話の様ですので、
まさにいまの時期うってけでしょうから。
先日も出かけた静岡で新茶いただいてきました。
いい句ですね~~川柳にもなりそうです。
で、お茶。 我が家は、よそからお茶を頂くことが凄く多いのです。
夫の好きなメーカーのお茶を買うこともあり!沢山ありますので、賞味期限なんて過ぎ過ぎ(笑)
でも、全然気にしない人なので大丈夫ですが、お味は落ちてません。
五木さんは90歳ですか。
先日お会いしたオジサンも90歳で囲碁もやりますし、川柳もやってるそうです。すごく若若しかったんです。
人生100歳時代は当たり前になってきましたね(*^^*)
◎ 歳重ね軌道修正もう出来ん
直線ゆたりボチボチ行こう (縄)
コラ・・・誰だ!!
軌道修正~馬鹿なこと言う出ない!!
≫≫≫俳句のことはよくわかりませんが
俳句は5・7・5ノ17文字です。
従って~この17文字の中に納まらないで・・・18時、20時になったようなもの。
俳句としては失格です。
年老いると此のような句を作る、どちらかと言えば、
はみ出た余分な人生~と言ったところですかな!
「新茶」としないで「古茶」としたところが?いいではありませんか。
我が縄文人の句は、
◎ 茶摘みする一家総出や家は留守(縄)
田舎の畑は、廻りにぐるりと茶株が廻らされていました。
その株を摘み取り、窯で蒸し、囲炉裏で揉んで新茶つくりしました。