冤罪といいましても様々なものがありますが、
どんな小さなことであっても、
濡れ衣を着せられてしまうのは辛いことでしょう。
一昨日行った映画の予告編を観て思い出したのですが、
趣味の会で数年ご一緒したAさん(故人)に、
そんなお話を聞いたことがあるのです。
職場内の嫉妬から始まったことのようですが、
Aさんは訥々(とつとつ)と、
その苦しみを話してくださいました。
どんなに自分ではないと、
無実を訴えても疑いは晴れなかったそうです。
家族だけが信じてくれたので、
辛くても生活のために定年まで勤められたそうですが、
毎日が針の筵(むしろ)のようだったそうで、
勤務途中にある湖に何度飛び込もうと思ったかしれないとのこと。
家族以外誰も信じられなくて、
ずっと口をつぐんでいたとのことですが、
たまたま私と二人だけで食事する時間があった時に話してくださったのです。
私に話すことになった経緯は省きますが、
お話を聞いてから私は言いました。
「そのことをしたのはAさんではないことは確かです」と。
すると彼女は、
「他人様に初めて信じてもらえた」と言って涙を流すのです。
後日、
ゆりさんが信じてくださったことで、
何十年ぶりかで、
心に靄がかかったままの状態がとれたという趣旨の手紙を頂きました。

彼女は私に事件?の話をするときも、
関わった方がたのことを悪くは言いませんでした。
淡々と時系列で話してくださっただけなのですが、
私は「コノ方と間違えられてしまったのでは」とわかりました。
でも私自身も関わってもいない職場の方のどなたかを、
犯人扱いには出来ません。
ですので、
「貴女(Aさん)ではない」と言っただけです。
Aさんの、
かっての職場の方々の大半が故人になられているのでは?としても、
詳しく書くわけにはいきませんが、
相手を心から信じてあげることの大切さを想いました。
Aさんと、
ある会場でお会いした時には小走りに駆け寄ってこられ、
「有難うございました有難うございました」と、
私に抱きつくようにされたんです。
信じてもらえたことが本当に嬉しかったのでしょうね。
それは私の力ではなく、
家族全員が彼女を信じてくださったからなのです。
それがあったからこそ、
彼女は辛くとも死なずにすんだのです。
彼女を支え続けたご家族の立派さと、
信じることの大切さをつくづく感じたAさんの想い出です。
Aさん天国で安らかに!
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